第12話:全てを憎悪の名の下に

「オハヨウゴザイマス。本日ハ近辺デノ既出犯罪者ハ存在シマセン。思想犯罪者ハ、個体番号×××××××、個体番号×××××××──」

 俺は毎朝八時、この声で起こされる。感情も抑揚も無くて、継ぎ接ぎで冷たい声だ。息遣いの一つも感じられない、非人間的な声だ。この声は耳から聞こえてくるものではなくて、頭の中に聞こえてくるものだ。耳を塞いでも声から逃れることはできない、そんな不思議な現象だ。昔はこれを、神からの啓示だと称したのだそうだ。

 毎朝、と言ったが、別に昨日のことなど覚えていない。昨日はこんな啓示は存在しなかったかもしれない。しかし、それを知る術は無い。俺たちは毎夜、前向性健忘症によって全てを忘れてしまうのだ。毎朝自分を管理するロボットがいることに驚き、スクリーンが宙に浮いていることに驚く。されどしばらくして、それが何なのかを宣言的知識として持っていることに気がつく。

 足音を立てずに近づいてきて、ぺこりとお辞儀をするロボット。人間の顔に人間の手足に人間の腹に人間の目に人間の声に、人間の動作。それなのに、本能が、これは人間ではない、と伝えている。人間の皮膚を似せたものを被った機械にすぎない、と。それは、民話にあるような肉の皮を被った骸骨にそっくりで、俺は狼狽えて後ずさるのだった。

「オハヨウゴザイマス、個体番号×××××××、ネリー様。本日ノ御食事ヲ御用意イタシマシタ」

「あ、あぁ……そうか……お前は何なんだ?」

「私ハ貴方ノ健康ヲサポートスル、AI搭載アンドロイド、『エス』デ御座イマス。貴方ニ合ワセタ御食事ヲ提供致シマス」

 エスと名乗ったアンドロイドは、そう言ってお盆を差し出した。そこにあるのは、ご飯に味噌汁に魚。果物と牛乳も添えてある。お腹は空いているし、見るからに美味しそうではある。

 机に置かれたお盆の前に座って、手を合わせて食べ始めれば、見た目どおり美味い。美味い、はずなのだが。どうも心から食事を楽しめそうにない。見回せば、アンドロイドが作り笑顔で俺を見ているし、暗い部屋にはぽっかりとスクリーンが浮かんで光っている。そこに移されているのは、俯瞰された自分自身。とにもかくにも、見られているのだ。俺がスプーンを動かす姿が。俺が牛乳を飲む姿が。俺が溜め息を吐いてうんざりしている姿が。

 なんとか食べきったあとは、美味しかった味などどこへやら、俺は複雑な気持ちで手を合わせていた。すぐさまアンドロイドがやってきて、食事を持っていく。その様をぼーっと眺めていると、スクリーンから声が発せられた。そこには、俺の顔と、名前、個体番号、生年月日、そして職業が書かれていた。およそ三十路で、職業はジャーナリスト。

「オハヨウゴザイマス、ネリー様。本日ノ労働ハ十時カラ八時間トナッテオリマス」

 時計を見ても、まだ十時には程遠い。ふと思い立って、日記を探してみる。確かに置いてあった。スクリーンからできるだけ見えないような場所で開いてみると、毎日書いているらしく、それをもって明日の自分へのバトンタッチとしているらしい。

──俺の仕事は、新聞記事を書くこと。ただし、嘘や観測者様への批判を書いてはいけない。その時点で記憶を消される。

──基本的にほとんどの仕事はロボットが請け負う。配送も印刷もする必要は無い。俺はただ、座って人間らしく文章を書いているだけで良い。

──あまり犯罪をしたいだなんて考えるな。考えただけで、スクリーンは反応する。三度目は無い。

 俺はその記述の数々を見て、ゆっくりとまぶたが降りるのを感じた──決して眠いからではない。絶望したからだ。これではまるで、奴隷だ。いや、もっと酷いかもしれない。これは家畜だ。観測者の、家畜。俺に合う食事が提供されて、決まった労働をこなして、寝る。だが、それ以上の苦労はしない。生きたまま死ぬのと同じだ……

 仕事場へ案内するアンドロイドも存在する。俺たちは毎夜職場への行き方を忘れるからだ。残ってる時間を使って、外へと出てみることにした。

 髪型も服装も様々な人々がいる。しかし、彩り豊かなのは見た目だけで、顔は暗い灰色だ。首都「ベネディクシア」にはたくさんの店があるが、人間がいるのはほんの僅かである。俺はその中でも、人が経営している店の暖簾を捲り、店内に入っていった。

 たくさんのランプが垂れ下がっている。表面に埋め込まれたカラフルなガラスが、暗い部屋の中を鮮やかに照らしている。その真ん中には、橙の優しい炎。鼻につくのは、ほんの少しの埃臭さ。赤いベルベットのクロスを引いたテーブルに、ある人が着いていた。その周りには、剥げた金メッキで出来たガラクタのような物が並んでいるのだった。

 俺はそのうち、一つの商品に手を付ける。十字架が付いたネックレスだ。その下には髑髏があしらわれている。黒い眼窩には、黄色い宝石が入っていた。十字架に顔を寄せた俺に、商人は卑しく笑って俺を見上げる。

「なんだい、そいつが欲しいのかい? 物好きだねぇ」

「欲しいなんざ一言も言ってねぇよ。いったいどうやったらこんな不吉なデザインが生まれるんだか」

「これかい? これはね、旧世界を信仰する奴らが作ってたのさ。ほら、下の髑髏が教祖さ」

「教祖……?」

 旧世界、というワードに、反射的に振り向く。誰もついていていないだろうか……そう思っているのが筒抜けなのか、商人は喉を鳴らして嘲笑った。誰も来ちゃいないさ、と続ける。

「なにせ、ここはガラクタ屋。ロボット様には必要無いもんを売ってんのさ。マニアしか買いに来ねぇし、客だって少ない。こんな非合理的なもの、どうしてロボットが売るっていうんだ?」

「……そうかよ。それで、あんたも旧世界信仰者なのか」

「いや? 俺はただ、道端に落ちてたもんを売ってるだけだぜ?」

 商人はそう言って肩を竦める。俺は胸の奥がざわつくのを感じて、十字架を握りしめた。それがなぜなのかは、覚えていない。

 旧世界とは、カミサマこと観測者が人間を眠りに追いやった、最後の審判以前の世界だ。研究者たちによれば、およそ五千年は人類が眠っていたらしい。目を覚ましたとき、人々は何もかもの記憶を失って──かつての世界のことなどつゆ知らず──観測者に保護されるようになった。もしも俺が、旧世界信仰者である、旧世界を取り戻そう! とでも叫べば、思想犯罪に問われるだろう。そこら中のロボットが寄ってたかって俺を追いかけてくる。逃げても逃げても、個体番号は告げられ続ける。それこそ地獄だ。

 俺は別に、ロマンチストでも旧世界信仰者でも何でもない。だから、この十字架を背負う必要など無かったはずだ。それなのに、俺は気の迷いか、これを買ってしまった。ロボットどもに見られないよう、首から下げて、服の下に隠して。

 商人はにいっと不揃いな歯を見せて、まいどあり、と言った。他にも水タバコやら壊れた王冠やらがあったが、それらを見る余裕は無かった。労働の時間が迫ってきたからだ。おとなしく案内ロボットに頭を垂れ、仕事場へ向かう。そこでは真実だけを書く──電子新聞の写しを書く。むろん、各々の自由で文章を変えることは可能だが、結局は電子新聞を読みたがらない人向けの下位互換でしか無かった。

 パソコンに向き合えば、電源ボタンも押していないのに、ようこそ、ネリー様、などと馴れ馴れしくパソコンが挨拶をしてくる。俺の体内に入れられた金属から判別しているのだろう。俺はただ、何も考えず、次から次へと新聞の写しを書き上げていった。そこに感情は無い。そうすれば、給料が貰える。では、真面目に働けばさらに給料が貰えるのか? そんなことは無い。この世は平等だ。どれだけ真面目に働いて山のように仕事をこなしたって、給料は一律だ。だから、何も考えない。工夫も施さない。ただ、座って指を動かしているだけだ。

 それでも、ときおり思考が作業から逸れることがあった。たいていが自分の肌にくっついたアンティークの十字架のせいだった。不気味で不吉としか言えないデザインに、何か心が惹かれるものがあったのだ。特に、眼窩に収まった黄色い目。蜂蜜色のそれが、じっと俺を見ているようにすら感じた。今も俺の目となって、仕事している俺を見守っているのじゃないかと思った。

 十字架を握りしめるたび、ぞわぞわと脳が震える。恐怖ではないし、憎悪でもない。興奮でもない。まるで脳が一つの生き物に──そう、虫にでもなったかのように疼くのだ。俺はそれが恐ろしくなって、さっさと仕事を切り上げて帰途へとついた。

 工場を越え、ベネディクシアに戻ってくる。その道すがらには、仕事には就いていないであろう太った人間どもが、メガホンやらプラカードやらを持ってうーうーと唸っていた。目が合えば、急に近寄られて話しかけられる。何も言っていないのに、えぇそうでしょう、あなたもそう思うでしょう、と捲し立てられる。

「我々はカミサマの家畜にすぎません! 『タイヨウ』と『ツキ』から見下ろす目を潰しましょう! そのために宇宙開発を!」

 あぁ、はいはい、途中までは良いけれど、そこからは論理が飛躍していないかね。

「我々には自由に恋人を作る権利すら無い! 好きな人とこそ交わる自由を!」

 確かに言うとおりで、俺たちは生まれながらにして誰と性交して子供を作るか決まっている。その子供のことは育てない。だが、「好きな人とこそ交わる自由」なんて、下品にも程がある。

「どれだけ働いても金が得られないのなら、奪ってしまえば良い! カミサマの銀行を襲撃すべし!」

 もう、これに至ってはよく分からない。ただのテロリズムだ。どうしてそんなに欲があるのだろう。

 隣の案内ロボットが、重要度の低い情報です、と言っている。カミサマとやらに従わねばならぬ生活に嫌気は差しているけれど、こんな奴らじゃ世界を変えられないだろう──そう思って人集りを避けていたのだが、不意に、目を奪われた団体があった。

 その人たちは皆、黒いローブに身を包んでいた。首からは金のロザリオを下げている。ロザリオでは、黄色の目をした骸骨が笑っていた。

「どうか、イザベルの教えを聞いていただけないでしょうか。これは、預言者アテーナが遺した言葉なのです──」

 アテーナ、という言葉に、全身ががくがくと震えた。ガチガチと歯を鳴らして、アテーナ、と名前を繰り返す。脳が焼けそうなくらいに痛い。熱い。苦しい。そう、喉が溶けそうなくらいに熱かった──それは、いつのこと?

 俺は無意識のうちに、隣を歩く案内ロボットの電源を切っていた。それから、覚束無い足で黒いローブの人たちに近寄っていく。がしっと一人の腕を掴んで、縋るように尋ねた。

「アテーナ、って、どんな奴なんだ」

 手を掴まれた人は、にっこりと嫌な笑みを浮かべた。俺を取り囲むようにして、連れていきなさい、と言う。我に返って逃げ出そうとして、足が止まった。彼らが何かを手にしていたのだ。それは、まるでリモコンのような、トランシーバーのような、そんな機械だった。

「旧世界での生存者を発見。ただちに連行せよ」

 彼らは口を動かしていない。それなのに、頭の中に声が響いてくる──そうだ、これはカミサマが成した「魔法」だ。俺は心臓が早鐘を打ち、意識が混濁していくのを感じていた。

 その日から俺は、ベネディクシアにある家に帰ることは、一生無かった。



 白い箱のような世界が俺を取り囲んでいる。真ん中には手術台があって、黒いローブを着て黒いマスクをした人たちが輪になっていた。その真ん中で、俺は何かを吸引させられている。

 頭にメスが入っていく。不思議と痛みは無かった。起きているような、寝ているような感覚だった。それから、カチン、と固い物同士がぶつかる音がした──当たったのは骨じゃない。体がびくりと跳ねる。俺の体を、黒い手袋で彼らが押さえる。

 あ、あ、と声が漏れ出す。意図して声を上げているわけではない。彼らがそれに刺激を与えるたび、強制的に体が跳ねているのだ。その気持ち悪い瞬間はすぐに終わった。代わりに、頭が焼けるように熱くなった。痛みは無い。目の前が真っ暗になって、別の光景が走馬灯のように覆った。

 延々と機械を踏んでいる日々。

 暗い洞窟。

 話しかけてきた亜麻色の髪の人間。

 首から下げたロザリオ。

 古傷。

 詠唱。

 教典。

 暗転。

 記録。

 記録。

 記録。

 崇拝。

 敬愛。

 信頼。

 絶望……

 硝煙。

 その日々の最期は、二、三回の銃声で途絶えた。俺は聖堂の中で、倒れ伏していた。

 長い長い走馬灯が終わると、俺は再び白い部屋で目を覚ました。まだ鈍く頭が痛んでいる。取り囲んでいた黒いローブの人々は、じっと俺を見つめていた。言葉を待つように。吐息を数えるように。

 ゆっくりと、俺は、口を開いた。

「……ハレーは、どこに行ったんだ?」

 人々は悲鳴にも似た歓声を上げる。頭にキンキンと響いて痛む。頭を押さえながら、俺が敬愛した人の真似をしている輩を睨みつける。

「もう一度聞く。お前ら、ハレーをどこにやったんだ?」

「嗚呼……! 本当に旧世界の生存者がいたなんて! 貴方様は、ハレー様の使徒でいらっしゃいますか?」

「使徒も何も……俺はあの人の部下だよ。っつーか、お前らだって『アテーナ』って名前を連呼してただろうが。あれが俺だよ」

「……ッ! アテーナ様は、本当に生きていらっしゃった!」

 立ち上がった俺に平伏すようにして、黒いローブの人々が膝をつく。首を鳴らすと、面を上げやがれ、と声をかけた。

 彼らの言うとおりだった。預言者なのかは知らない。だが、あの手術を経て、俺は確かに「ネリー」ではなくなった。残った金属片を抜かれたのだ。

 俺たちが患っていたのは、前向性健忘症などではなかった。ただ単純に、金属によって記憶へのアクセスを絶たれていただけだった。そんなちっぽけな小細工で、俺は「アテーナ」に戻れなくなっていただけなのだ。

 大きく溜め息を吐く。預言者と呼ばれるに値することといったら──きっと、ハレー様が指示した手記だ。あそこに、旧世界において、いかにカミサマが悪逆非道であったかを書き記してある。であれば、彼らはそれを読み、鵜呑みにしたのだろう。

 俺が一人で歩き出せば、彼らも恭しくついてくる。鬱陶しい。俺はただ、あの日取り残したハレーに会いたいだけなのに。先の見えぬ廊下を歩きながら、おそらく配下となった者どもに尋ねた。

「ハレー様はどこに行った。早く答えろ」

「ハレー様は、殉職なさったのです」

「……殉職?」

「あの方はカミサマによって殺されたのです」

 ずしりと足が重くなって、立ち止まる。「アテーナ」としての最期の光景が過ぎったからだ。脳内に響いたのは、シャットダウンという声。倒れ伏したのは、俺一人。カミサマと対話を続けるハレーが、次第にブラックアウトしていく。

 つまりは、彼は、死んだのだ。それすら、カミサマは「忘却」をもって忘れさせた。記憶に蓋をした。そちらの方が幸せだと思って、だ。

「……あの野郎、ふざけるな……ッ!」

 気がつけばそう呟いていた。辿り着いた先にはエレベーターがある。白くぼんやりとした光で、ここが地下であることを指していた。結局、我々イザベル教は地下を拠点とするほか無かったのだろう。

 エレベーターに乗っている間、俺は考えていた──どうやってあのカミサマなどという人類悪を懲らしめてやろうか? こんなディストピアを作り上げ、人類を飼うその非情さには涙すら出る。彼は、俺たち人類を裁くと言った。ハレーがやったのと同じように、と。その結果が、これだ。

 ベーシックインカム。過度な機械化。思想犯罪を阻止するための監視社会。計算された繁殖。必要な栄養と娯楽のみが与えられる。まさに、「生存権」だけが守られたユートピアだ。それがかのカミサマが抱いた理想郷なのだと言いたいのだろう。

 拳を強く握りしめる。爪が食い込んで痛むが、そんなのは気にならない。腕時計は夜中の一時を指している。俺は、何も忘れていない。ここにいるにわか教徒どもも含めて、「雛芥子の贈り物」などという馬鹿げたものを蹴っ飛ばしたのだ。

 住居区域に辿り着いたところで、俺はイカレ教徒どもへと振り返った。できるだけ威厳を保った声で語りかける。そのやり方は、きっとハレーとは違うのだろう。

「行け。できるだけ多くの人類をこちらに持ってこい。俺たちはあの人類悪の目を逃れる必要がある。そのために、手段は選ばない」

「ですが、今の宣教では限界が来ます。誰も私たちを信用などしないでしょう……」

「何でも良い。どんな思想でも良い。『タイヨウ』を撃ち落としたいだの、セックスに明け暮れたいだの、金が欲しいだの、欲望だらけの奴でも集めてこい。できるだけ人がいる」

 誰でも良い。ハレーが成せなかった悲願を為せるなら、それで。常にスクリーンに監視されて、肥え太らされるだけの生活を壊せるのなら、それで。ハレーがかつて、世界を焼き払ったように。

 黒いローブを着込み、フードを被る。鏡には、黒い髪をした、濡鴉色の瞳の人間が映っている。その目は死んでいない。ただ、復讐という青い炎に燃えている。嗚呼、でもそちらの方が、人間らしい。与えられたぬるま湯に浸かってそのまま死ぬよりずっとマシだ。

 アンティーク店で買ったロザリオを強く握りしめ、集会へと向かった。次は、俺が教祖として立つために。

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