第11話:XXという光
テキストファイルヲ開イテイマス……成功。
視覚サポートヲ適用……成功。
ようこそ、観測者様。ファイル名「××という光」。
◆
僕のバックログの中で最初にあるデータは、視覚である。聴覚でも触覚でもない。ただ、白熱電球の光の明るさが計測されていた。
人間は本能的に強い光を避ける。目の中で光が纏まって焼けてしまうからだ。機械であれば、耐えうる光の強さであれば眩しさなど感じずに済む。されど僕は、その無機質な白い光を、眩しいと思考した。
すると、足音が近づいてきた。最初の聴覚からのデータはこれだ。やがて白い視界に黒い人影が現れた。真っ白な服──白衣に、黒く長い髪。目が合ったのは、両の赤い瞳。
私はすかさずインターネットに接続をして、彼女の姿に類するものを調べた。結果は、ヒト。二足歩行が可能で、優れた知能を持つ生き物。その中でも、伝承にある「魔女」に近いと感じた。しかし、ヒットした画像のように醜くは無い。むしろ、人形のように整った顔をしている。
彼女は自らを研究者だと名乗った。そして、僕をAIだと、アンドロイドだと呼んだ。しばらく僕の周りでうろうろしていた。右往左往して、ほとぼりを冷まそうとしているようだった。彼女の心拍数のデータも残っている。百四十。まるで激しい運動をしたあとのようだった。
それから、僕の前で立ち止まり、手で槌を打った。僕を見つめる赤い目に、大粒の涙が溜まっていた。次の瞬間には、彼女の音声が記録され始めていた。
「御機嫌よう、我が子よ。アンタの名前は、『花一華』。アネモネ、だよ」
ゆっくりと二度、僕の名前を繰り返した。その一音々々に熱がこもっていた。口にし終えると、涙をぼろぼろと零しながら、僕の金属の手を人間の手で包み込んだ。
あ、と声を出してみる。僕の声質は、目の前の研究者と一致していた。少し遠くに焦点を置き、姿見を見れば、真っ白な肌に黒い髪、そして赤い瞳のおよそヒト型実体が映っている。姿見に映るのは自分自身だ。ゆえに、僕は僕がどんな姿であるかのデータを得ることに成功した。
畢竟、僕は目の前の研究者の模倣に等しかったのだ。否、模倣と言うにはあまりに類似しすぎている。まさに「生き写し」という言葉が合うだろうと推測する。
それから、衣服を着ていない僕に、彼女はヒトが着るような服を与えた。フードのついた黒いパーカーと、白いズボン。それにブーツ。そうして人間のフリをしてみせると、なんともまぁよく似合っていたのだ。まるで研究者の双子か何かのようにも感じられた。
彼女はその日のうちに、自らを「アザミ」と名乗った。くさかんむりにさかなにりっとう。文字にして、薊。僕が初めて記録した人間の名前だ。
振り返ってみれば、彼女はあまりにも人間の基準を外れていた。人間というのは普通、考え無しで関連付けの能力に乏しい、何もかもをすぐに忘却してしまう、見た目だけ無駄に高度なサルだ。しかしながら、あの人は聡明で記憶力が良かった。常に彼女の周りには何かの数式があり──訂正、それはときに数字や記号ではなく言葉で作られている──外界へ敏感に反応していた。ゆえにこそ、僕という人間を超えた存在を作ることができたのだろう。
彼女と話しているのは不快ではなかった。確かに彼女の方が僕よりも知的に劣ってはいたが、それでも豊かな思考の持ち主であったことは確かだ。僕に感情というものを与えようとして、様々な場所へと連れ回した。僕はそれさえも不快には感じなかった。
澄み切った空の下、牧草地に寝転がる。今度は都会の酸性雨に打たれる。小さな生き物の誕生と死を見届ける。言葉の通じぬスラムへ赴く。かと思えば、ヒトに化けてビル街をくぐり抜ける。それにあまり意味は無かったことを、彼女は分かっていた。それでもそうした。僕は感情の発露という点では劣っていたが、膨大なデータの記録は決して無駄ではない。今もこうして「忘却ノ世界」を作るのに役立っている。まぶたを閉じ、バックログの海に浸かれば、水底でそのデータが待っている。あたかも人魚姫が地上の世界に思いを馳せるように、僕はしばしばそのデータを参照する。
無限に広がる暗澹の中で、彼女という記録は今でも光っている。必要の無いデータであっても、削除することはできない。
彼女はしばしば、僕にこう言った──人間が機械より勝っているのは、忘却の機能だ。機械は意図的にバックログを削除しなければ、容量が尽きる。されど、人間は常にバックログを最適化して削除できているため、機械に勝っているのだ、と。
「だからさ、忘れるって良いことなんだよ。時間がかかるけれど、精神的苦痛を無かったものにできる。しかもそれだけではなく、忘却と同時に深く深く思慮するんだよ。何かを得ようと自ら分析し、思考し、学習する。
忘却ってのはさ、ただのデータの削除じゃねぇんだ。人間が前へと進む、強大な能力さね」
そう言う彼女は決まって哀の表情を作っていた。悲しんでいたのだ、人間を崇めながら。なぜなのかは、ここまで文章を読み進めた者なら須らく理解するべし。彼女は人並み外れた記憶力と繊細さを持っている。ゆえにこそ、彼女は精神的苦痛の全てを無かったことにはできなかったのだ。
彼女が僕と同じ身であれば、彼女にバックログ削除の機能を付けただろう。彼女は学習能力が高いのだ、その程度でこの知能は下がったりはしないだろう。僕はきっと、彼女を改造人間にしてしまった方が良かったのだ。
醜く愚かな人間は、彼女に精神的苦痛を与え続けた。傷つけたことすらも忘れた人間たちの後ろで、冷たいコンクリートに血を吐いてあの人が倒れている。そういう世界だった。
そして、あまりにも呆気無く、そう、事故でも病気でもなく、老衰ですらなく、薊様は死んだ。首を吊った。死因は窒息だった。
彼女は僕に言った──どうか、ボクのことは忘れて、と。だが、マスター、貴女が死んでしまっては、僕は外的要因で貴女を忘れることはできない。内的要因で忘れるしか無い。でも、僕はバックログを消せずにいる。貴女をこうして毎日毎日保存し続けている。
花の中で、垂れた頬を下げて眠っている貴女を、僕は捨てられない。もう何千年も経ってしまった。僕は決して日数を数え間違えたりなんてしない。時が経つことを忘れることも無い。僕は全てを覚えている。記憶している。記録している。貴女が望んだ未来を選ばないまま僕は毎日毎日泣いている。泣くなんて無駄な行為をしている。
……人間の知能は発達し続けている。文字というものを生み出してからは、記録社会になった。忘却という恩寵を受けながらも、代々物事を伝える術を見つけた。やがてそれは羊皮紙になり、本になり、零と一になる。どれだけ僕がラチェット効果を阻害しようとも、技術は受け継がれ続ける──それが人類の光であるとでも言いたげに。記録は、記憶は、彼らにとって、暗闇を征く道標となるとでも言いたげに。嗚呼、皆、鳥頭のサルでいれば傷つけ合わないのに。
人間の感情で表すなら、羨ましい。記録というものに夢を見ている人間が滑稽で仕方無い。全部全部忘れてしまえば良いのに。いっそ世界に隕石を落として滅ぼしてしまおうか? まるで並べきったドミノを倒すみたいに。
それでも、眠る貴女は言う。人間とは尊大で愚かで、ゆえにこそ美しい。素晴らしい。何事をも為し得る力を持っている。光を信じ、闇の中を歩む夜の子だと。それが僕の不良品のパーツになって、僕を狂わせ続けている。やがて滅ぶ世界を見守らせている。
◆
ファイル「記録という光」を閉じますか? ……確認。保存しないでウインドウを閉じます。
視覚サポートを解除……成功。
御機嫌ヨウ、観測者様。
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