第8話:共和国建国についての議論

 聖堂にて、豪族一同が集まった。高い天井に靴の音が響き、なおいっそう静寂を際立たせる。神妙な顔をした豪族どもは、席に着くと、ファーストペンギンを求めて視線をあちらこちらへ向けた。

 むろん、聖堂という場所は、ある者にとってはホームであり、ある者にとってはアウェイであった。この度会議を催した豪族・カルヴァニアもまた、この地が選ばれてしまったことに辛酸を嘗める羽目になった。

 かつては自らが権力を持っていれば良かっただけの豪族たちも、あの日から真っ二つである──誰もあの凄惨な光景を覚えていないはずなのに、記録として刻み込まれた日だ。そんな根拠の無い記憶が、そんなちっぽけな存在が、人々を半分に分けたのだ。

 カルヴァニアは多く息を吸い、腹の底から声を出した。昨日の自分が作った台本を信じ、自ら絶海へと飛び込んだ。

「お集まりの皆様にまず感謝いたします。私めは南方より参りました、カルヴァニアと申します。本日皆様にお集まりいただいたのは、他でもない──我が『オブリヴィオン』の統一について議論するためであります」

「まったく、南方の者が出しゃばろうとは。先に口を出すべきは、北方の者ではないかね?」

 カルヴァニアの声に、北方を収める豪族どもが嫌らしく嗤う。喋らせたのは北方の者どもであるというのに。カルヴァニアは大きな溜め息を吐くと、失敬、と静かに答えた。

 この聖堂もまた、北方の豪族が身を寄せる場所だ。彼らの世界・「オブリヴィオン」を分割する者の中でも、特に富んだ者が集まっている。というのも、北方には大修道院があり、聖の権力との繋がりが大きいからだ。大修道院の収入──寄付という名の詐欺にあやかり、肥え太っている者だらけだ。

 かたや南方は、「カミサマの訪れる街」に近く、大修道院とはあまり良い関係を築けていない。今のように聖堂を使うのは、南方の豪族にとって首の絞まる思いをすることだった。当然、カルヴァニアもその重圧から流暢さに欠けていた。

「では、北方の方々にお聞きしたい。あなたがたはオブリヴィオンを統一したいとお考えですね?」

「いかにも。我々は歩みを一にすべきである。さすれば、我々はより豊かになるだろう。そのためにも、南方の者たちの助けが必要だ」

「しかし、北方は大修道院との協力を含む合意を成しています、カルヴァニア様!」

 南方の豪族の一人が声を上げた。北方の豪族たちは眉をひそめ、彼を睨みつける。カルヴァニアは額に手を当て、首を振った。

「存じ上げていますとも。北方の方々も、我々の合意をご存知で?」

「存じ上げているさ。南方はグリゴリ様の合意を呑んでいる。当方の意見とは、聖権力の扱いで異なると聞いているが」

 仲間の発言に、グリゴリと呼ばれた豪族は満足げに髭に手を当てた。やや肥満体型の彼は、カルヴァニアの反対に座っている。金属のアクセサリーをじゃらじゃらと揺らすその様は、人々が描く貴族像そのものだった。

 一方のカルヴァニアは、北方一質素な格好をしている。カルヴァニア自身が貴族趣味を好まないからでもあり、個性づけでもある。正教会が取り決めた黒いローブを羽織り、フードの内側から耽々とグリゴリを見つめた。

「南方の領主様は、ずいぶんと野蛮でいらっしゃる。教会の言うことはカミサマの仰ることではありませんか。我々の合意では、カミサマの許す範囲で、各々に分割統治を行っていただこうと思っておりますゆえ」

「それでは今と何も変わらないではないか!」

「いやいや、何を仰いますか。南方の皆様は、これからも豊かな生活を送ることができるのです──そのためには、大修道院様の進言に従うべきかと。大修道院様は、我々におこぼれを下さるようですから? それに、完全なる統一とは、あなたがたの収入を減らすことにも繋がるのですよ?」

 卑しく振る舞い、南方の人々の顔を覗き込むグリゴリに、北方の民は黙り込んだ。高圧的な南方の民の中では、比較的謙虚な立ち居振る舞いをしている方だろう。

 カルヴァニアは、彼が言わんとすることがすでに分かっていた。カルヴァニアとて、統一政府の建設にはデメリットが生じることは知っている。しかし、それはエゴイズムから見たデメリットであり、正義という視点では強大なメリットであった。

「分割統治を行うにあたり、皆様に法の整備はお任せいたします。むろん、大司教様の意に従うこと前提で、ですが。もしも、法律の作成まで制限されてしまっては、税率の統一、事業の拡大の規制まで、商業において苦労しますよ?」

「……確かに。カルヴァニア様の案には、税率の統一があったな」

「えぇ、もちろんです。なぜ農民が酷く虐げられる土地と優遇される土地があって良いものでしょうか? いいえ、そんなのはカミサマの教えにございません。それゆえ、私めは統一政府・オブリヴィオンをここに打ち立てたい。

──そしてそこに、聖権力があってはならない!」

 力強い主張に、豪族たちは動揺の色を示した。なんて不信心な、と呟く者、呆れて肩を竦める者、苦笑して目を逸らす者。北方の豪族のいくらかはカルヴァニアのように真摯な顔つきをしていたが、その思想の急進さにか、足並みを揃えたがらない者もいた。

 グリゴリは、ほう、と呟き、片目を細めた。紳士的な笑みは崩れ、コブラのような怪しい目つきでカルヴァニアを見つめる。

「何ゆえ大修道院様に逆らうと?」

「革命家イザベルの件ゆえ、だ」

「まさか、あの悍ましき悪魔を英雄などと呼ぶとは! 彼女はカミサマを人類悪などと呼んだのですよ? カルヴァニア殿は酷い不信心者でいらっしゃる」

「否。彼女の主張は正しい──カミサマは人類悪ではない、という一点を除けば。カミサマの教えを歪めたのは、他でもない、聖権力ではありませんか? 免罪符などという偽善を売り払い、自らだけ肥えようとするなど、まさに権力の腐敗! それを正せるのは、俗権力である我々のみなのです!」

 グリゴリの畳み掛けるような雑言に、カルヴァニアは大きな声で明瞭にそう言った。発言にショックを受ける者も見受けられた。しかし、グリゴリは違う。目を見開き、じっとカルヴァニアを見つめている。カルヴァニアを試すような目つきだ。カルヴァニアは胸を張り、さらに饒舌に続けた。

「私は、カミサマを愛している。心から信じ、慕っている。ゆえにこそ、教会の悪政が許せなかった! カミサマの教えを曲解し、挙げ句の果てに、人類の進歩に手を貸した者を魔女裁判にかけるなど、言語道断ッ! 革命家イザベルは、革命家である前に、人類の医学に貢献した偉大なるドクターであることを忘れたか⁉」

「あり得ない! 動物を解体していたことさえ悍ましい冒涜なのに、人間の体を解剖するなど、カミサマが作ったものへの冒涜である! そんな悪行を支持する者に従うなんて、君たち南方の民は何を考えているのかね⁉」

「これは技術の発展、ひいては人類の発展に大きな役目を果たします。我々は『タイヨウ』と『ツキ』が何であるかご存知ですか? 花々の繁殖は? 病の治療法は? 物はなぜ落ちるのか? なぜ昼と夜が交互に来るのか? なぜ『前期の道標』と『後期の道標』が存在するのか? それらは、カミサマが定めたからとでも宣うのか!」

「チッ、此奴は背徳者だ! 取り付く島も無い! カルヴァニア、貴様は魔女イザベルの生まれ変わりだ!」

「貴殿らこそ、そんな偽りの権力の甘い蜜を啜って生きてきた不信心者である! 南方の民は、その甘い蜜を吸わずにここまで領土を収めてきたのだ!」

 北方の豪族たちは轟々とカルヴァニアを魔女呼ばわりする。南方の豪族は負けじとカルヴァニアを擁護するために声を上げる。会議は怒号の応酬に包まれた。カルヴァニアとグリゴリは、互いを図るようにして見据えている。口を閉ざし、沈黙の中にいる。

 畢竟、豪族の頭たる二人は、他の豪族どもよりも知性が高かったのだろう。行間を読み、言葉にならぬメッセージを送ることができる。視線のやりとりで、互いの真意を探ろうとする。

──あなたが大修道院にあやかるのは、そこに財源があるからではありませんか、グリゴリ様。

 そんなカルヴァニアのメッセージを読み解いたのか、グリゴリは木槌で机を叩き、静粛に、と声を上げた。まるでその様は、審問官のようだった。頬杖をつき、にやにやと嗤うと、静かに応答した。

「まったく、貴殿の主張には驚かされる。貴殿は我々にこう解いているのだ──本当に我々は、大修道院に賛同しているのか、と」

「ぐ、グリゴリ様……?」

「あぁ、はっきり言わせてもらおう。私は神の存在など信じてはいないし、修道院の卑しい豚どもも嫌っている。私が愛しているのはずばり、金だ」

 グリゴリは肩の力を抜き、懐から煙管を取り出した。そこにはタバコという草が入っている。一度吸うとやめられないゆえに酷く高い値段がついている。これを吸うということは、相当に肥えているということだ──南方の豪族たちは息を呑んだ。

 黒い煙を吐き出すと、カルヴァニア殿、と穏やかに言った。煙の向こう側、卑しさの欠片も無い笑顔を浮かべている。

「貴殿の主張などどうでも良い。だが、技術の発展というものは非常に儲けられる。それは、我々が証明してきたものではないか。

真っ先に貨幣に目を付けた我々の一族は、共に為替業をして利子で儲けている。違うかね?」

「……えぇ、そのとおりです。我々の技術、ひいては思考の発展こそが、富を生み出すのです」

「であれば。私は貴殿の主張を呑んでも良い。ただし……」

 そこから先を言う前に、北方の豪族が口を出した。おそらく信心深い者だったのだろう。されど、雰囲気をがらりと変えたグリゴリは、冷徹に彼を黙らせた。そうして座っている不信心者はまるで、物語の中の魔王のようだ、とカルヴァニアは感じた。カルヴァニアは武者震いに襲われる。

 改めて正視すると、グリゴリは自らよりも歳をとっていた。シワの出来た顔、白くなり始めた髪。他方カルヴァニアは、齢廿四の若造である。知性で対等であったというのは、彼の錯覚にすぎなかった。

 彼は、非常に狡猾だ──カルヴァニアは固唾を呑んで、グリゴリの次の発言を待った。グリゴリは手を組むと、少し顎を上げて続けた。

「我々が大修道院に味方をする以上のメリットが欲しい。貴殿の主張では、法律は統一されるということではないか。それはいったい、誰が決めるのかね?」

「……むろん、我々であります。大修道院以外の豪族を集めるのです。そして、大修道院に対立する形でカミサマの教えを伝える教会を作ろうと考えております。そこでは、免罪符を配りはしませんが」

「我々が税を定め、その金で魔女イザベル派の教会を建てる。大修道院にも税を課し、あの富を巻き上げる。それならば納得できよう?」

「魔女イザベル……まぁ、良いでしょう。大修道院に溜まった財源は、等しく分配されなくてはならない。そして、人類の発展のために使われなければならない。私はそう思います」

「つまりは、『科学』の発展のために知識人を雇いたい、ということか?」

 次から次へと思考を先読みされて、カルヴァニアは閉口した。敵わない、と考えたのだ。それは他の豪族も同じである。今となっては、グリゴリに反対することすらできない。

 とどのつまり、誰もが富を求めていたのだ。自らが権力を握ることに飢えているのだ。そこに付け入るようなグリゴリの案を、否定できるはずが無い。梯子外しされることへの恐怖は誰しも持っていることだろう。同調圧力から外れれば、良い思いはできない。さすれば、今の地位を失うことになる……そんな恐怖に襲われていたのだ。

 グリゴリは満足そうに頷き、悦に入って笑い声を上げた。それから、北方の豪族どもの方に振り返る。彼らは背筋を正し、グリゴリに頭を垂れた。

「我々は、グリゴリ様の決定に準じます」

「なに、財源の使い方はまたここで議論すれば良いではありませんか。大修道院様だけを梯子外しすれば良かろうなのです。南方の方々も、それで満足いただけますでしょうか?」

「……我々は、カルヴァニア様の決定に準じます」

「私めは……グリゴリ様の仰ったとおりの考えでございます。人類の発展のため、オブリヴィオンを統一いたしましょう。我々が民を導くのです」

 そう言って、カルヴァニアは羊皮紙を差し出した。全員のサインを求めて、ペンを回す。最初に書かれたのはカルヴァニアの名で、最後に書かれたのはグリゴリの名だ。修道院の権力を排し、イザベル派の教会を打ち立てる。手数料や商業の発展、科学への財源の当て方は、以上に書かれた者どもによって取り決められる。この権力は世代交代によって継承される。たとえ「雛芥子の贈り物」があっても、紙に書かれた誓いの署名は彼らを縛りつけることだろう。

 長く「オブリヴィオン」とだけ呼ばれてきたこの世界に、「国」と呼ばれるものが立った。名を、「オブリヴィオン共和国」。分割統治は終わり、統一政府の時代が始まる。当然のこととして、修道院は修道院でまた共同体を建てるだろう。そうして争いが始まる──カルヴァニアにも、グリゴリにも見えている未来だ。

 次回の議会は聖堂では行われない。北方と南方の建物で交互に行われることになった。そのために財源を回すことが先決である。まずはグリゴリとカルヴァニアが議会場を建てるところから始まる。

 経済と宗教は決して交わらない。ゆえに国が建つ。ゆえに法律が生まれる。ゆえに科学が生まれる。解散した豪族どもの一人ひとりが、カミサマとの離別を選んだ。

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