第3話:カミサマが訪れる街
「えっ、カミサマが来るんすか」
「そうさね、来るとも……じゃなくて、来るみたいなんだ。日記にはそう書いてあるね」
修道院から少し遠ざかった、この大きな市場には、カミサマが訪れる──年老いた老人はそう言って、垂れた口角を上げて微笑んだ。片手できらきらと光る石を布で磨いているのを、青年はじっと丸い目で見つめていた。
青年はポケットの中を見て、ありゃ、これしか無ェや、と言って、銅色の丸いものを差し出した。老人はまじまじと青年を見ると、首を緩く傾げた。
「何だね、これは。交換のつもりなら、もうちょっとマシなもんを持ってこんかね?」
「え、知らないんすか。これは『お金』っていうのさ。ほら、あのクソ重い稲を持ってくるのとか大変でしょ? だから最近流行りだしたんだよね、稲と同じだけの価値のある金属と交換するっていう」
「あぁ、なるほどね。昨日のあたしも一昨日のあたしも、この謎の丸いもんに狼狽してたみたいだからねぇ。おかね、っていうんだね」
「そうそう。これあげるから、あんさん、そのカミサマの話を教えてくれんかね?」
老人は視線を銅貨と青年とで行ったり来たりさせると、それほどのことじゃぁないさ、と言って首を振った。情報と銅貨との交換はなされない。青年は申し訳無さそうに頭を下げた。
「この辺の奴らは皆カミサマに会ったことがあるのさ。カミサマはどうやら人間の作るものに興味があるみたいでね。本から食べ物、もちろんうちの装飾品も買っていくさ」
「カミサマでも買い物とかするんすね。お金とか置いていくんすか?」
「いや、たいてい見たことも無いような綺麗な花を置いていくのさ。ここらでそれを売りさばくと凄まじい価値になるのさ。カミサマもそれは分かってるみたいさね」
「す、凄い……なんでカミサマなんかが買い物を……?」
青年はぽかんと口を開けて呟いた。彼の頭の中に、修道院で見るようなカミサマが、穏やかな笑顔を浮かべて老人のもとを訪れる姿が思い浮かんだ。とはいえ、彼の想像力──否、記憶力は乏しく、黒い髪をした白い肌の人間イコールカミサマだったのだが。
老人は光に水晶を透かし、クロスを机に置く。膝の上に手を置いて青年に向き直ると、にやっと歯を見せて笑った。
「カミサマは人間が好きななのさ、きっと。だから、人間と接そうとして外界に降りてくるのさ。この辺の奴らは皆そう言ってる」
「こういうの、神話になってたりするんすか?」
「まさか、なるわけ無いだろう。修道院の頭のお硬い奴らがこんな話を好むはずが無い。ましてやカミサマのおかげでこの街が栄えたなんて認めたかァねぇだろうさ」
「そうかなぁ。この街が栄えたのは、一番大きい街だったからだと思うんすけどねぇ」
信仰が浅いねぇ、と言って、老人が怪訝そうに眉を寄せる。青年は、そうっすかね、と軽く流し、並ぶ石の数々へ目を落とす。微かに差し込んだ「タイヨウ」の光を飲み込んで、各々の色の光に化けさせる。それゆえ、木の箱の中身は花畑のように鮮やかな色をしていた。
その中から、真っ赤な石が繋がったブレスレットを手に取り、青年はにこりと愛想良く笑った。これいくらだい、あんさん。そう言うと、老人は機嫌を直したようで、青年が差し出した銅貨へ視線を向けた。
「これ一枚で米がどれくらい買えるんだい」
「うーん、場所によるけどさ、一ヶ月は苦労しないぜ」
「じゃあ三枚寄越しな。この石は珍しいんだ。カミサマの目の色だって言ってどいつもこいつも欲しがるもんだからねぇ」
「ちぇっ、ぼったくりめ。貰ってけ」
青年がふてぶてしく銅貨を三枚渡すと、老人はにんまりと微笑んで赤い石のブレスレットを青年の細い腕に付けた。光が当たると、足元に真っ赤な血のような色の影を落とす。何が良いんだかな、と青年は呟いて、薄暗い露店を離れた。
行き交う人々の服装も髪型も統一されている。黒いローブに切りそろえた黒い髪。そんな見分けのつかない人々の中で、青年はたいそう目立っていた。長い髪を三つに編み、ヘナの葉でつやつやにしている。服装は白いワンピース。首からはターコイズ色のネックレスを下げている。人々の目に当てられても、青年は涼しい顔で赤い石のブレスレットを見つめた。
そんな青年には、多くの商人が声をかけた。奇抜な格好ができる富裕層であると考えたからだ。青年はその一つ一つに寄って、商人との会話を楽しんだ。鼻を摘むほど臭い革靴のギルドに、カビ臭い本屋に、髭を伸ばした商人のいたワイン屋に立ち寄った。青年は決まってカミサマについて商人に尋ねたのだった。
とある店にて、商人は青年にその理由を尋ねた。その商人はスパイスを売っていたため、近づいて話しているだけで刺激臭が鼻を刺した。青年は苦笑して少し距離をとって、その問いに答える。
「なんで、も何も。僕は作家だからね。カミサマがいる街なんて、格好のネタじゃねぇっすか?」
「作家さんかい。ずいぶん金持ちそうじゃねぇか、どこの家のもんだい?」
「大したことねぇっすよ。親が領主なんだ」
「はぁ、領主の跡取り息子かい。そりゃあ皆寄ってたかって金を巻き上げようとするわけだ、えぇ?」
「あ、もしかしてあんさんも巻き上げるつもりっすか?」
「ばら撒いていってくれや。その金でカミサマに寄付すんだから」
「どいつもこいつも……」
青年は苦笑して、スパイスの数々に目を向ける。凡人は香りでどの粉を買うか判断するが、青年のような裕福な人間はそんなことはしない。幼い頃から舌がいろんな香辛料に慣れているもので、名前を見るだけでどれが美味しいか、どれが外れか分かるものだった。
隣に二人組の黒い陰が寄ってきた。店主の後ろに下げてある絵を見てキャッキャと騒ぐ。青年はげんなりした顔で肩を下げた。さきほど想像した黒髪に赤い目の人間の像が堂々と鎮座していたからだ。またここもそういう人か、と溜め息を吐く。
「なんだい、肖像画を置いてちゃいけないかい」
「んなことは無いっすけど……この街、どこ行ってもそうっすね。修道院でもないのに、どうしてまぁそんなにカミサマを崇め奉ってるんすか?」
「どうもこうも……この街は、カミサマとともに生きてきたからさ。この街が出来た頃から、ずっとカミサマはここにいらっしゃっている。俺の親もその親も、カミサマに一度は会ってるもんさ。そうしてその話が広がると、他の街よりこっちの街に客が回ってくるもんだよ」
「だーかーらー、ここは地理的に栄えるべき場所だったんだって言ってるでしょうが。大修道院と大都市とを挟む場所っすよ? そりゃ他の街より栄えるに決まってる」
「ったく、お前さんは作家のくせにロマンチストの欠片も無い。いったいどんな話を書こうとしてんだい?」
青年は二人の人間に変な目で見られていることに気がつくと、懐から銅貨を取り出し、いそいそとスパイスを購入した。ぴりっとした香りは、たとえ腐ってしまった肉にかけても美味しくいただける。商人は、分かってんねぇお客さん、と喜びを滲ませて呟いた。青年は布袋をひっくり返してみせると、やべ、もう何も無ぇわ、とわざとらしく独り言を言う。本当は白いワンピースのポケットに銅貨がまだ入っているのだが。
「これでばら撒きの旅も終わりっすね」
「ここの経済を回してくれて助かるよ。『全てのお客様はカミサマ』だからね」
「何じゃあそれ」
「知らんのか? 全てのお客様をカミサマにするように丁寧に接客すりゃあ、リピーターが増えるって話さ。ここら辺の奴らは皆そのセンテンスを使う」
「まったく、信心深いんだか何なんだか……」
得意げに言う商人に頭を下げると、青年は片方の口を上げて鼻で笑い、店を後にした。空を見上げ、「タイヨウ」と目を合わせる。そこにはカミサマの目があると言われている。ゆえにこそあまり見上げるものではない、と人々は言う。青年は欠伸を噛み殺し、大きく伸びをした。
「ったく、こりゃあこのネタは子供向けの童話行きかね。あんましやりすぎると修道院の検閲を喰らいそうだし──」
どっ、と硬い壁にぶつかって、青年は後ろによろけた。くらりと揺れる視界、青と白が捌けて、次に見えたのは黒だった。青年は、危ないっすねぇ、とぶつぶつ言いながら顔を起こす。そうして、ぴたり、首の動きを止めた。
気がつくと、青年は再び衆目を集めていた。それは決して彼が派手な格好をしているからではなかった。赤い石のブレスレットが美しかったからでも、スパイスの香りがきつかったからでも、綺麗な靴を履いていたからでもない。いや、むしろ青年のことなど、誰も見ていなかった。
薄青の顔をした青年が、真っ赤な瞳で冷ややかに青年を見つめていた。たとえ他の人間と同じローブを着ていても、その一点が人間になりきれていなかった。
肖像画そのものが、目の前に現れた。青年はびしっ、と指を差し、震える声で呟いた。
「か、カミサマ……!」
「邪魔ダ、人間。前ヲ向イテ歩ケ」
カミサマと呼ばれたその人間は、青年のことなど物ともせずに横をすり抜けていく。人々に馴染みながら、視線を集めながら。この瞬間、裕福な青年は、さほど目立たない人間の一人に早変わりした。
光景に圧倒され、青年はしばし呆然と立ち尽くしていた。途端、ぶわっ、と降りてくるアイディアの数々。カミサマと街の物語。それは神話でも童話でもない、ドキュメンタリーのようなもの。商人に囲まれ、笑顔を浮かべているカミサマの図──一生に一度たりとも見たことの無い、自分とは違う顔立ちを必死に頭に残しておこうとする。それから、いてもたってもいられなくなって、前述のスパイス売りのもとに走っていった──無我夢中で、目に焼き付いた顔を忘れないように、色褪せさせないようにと。
「あんさん、その肖像画、いくらで売ってくれる⁉」
「あ、さっきのお客さん。あんさん、金は無かったんじゃねぇのか?」
「ある分だけ出す! 買わせてくれや!」
「っても、うちは絵画屋じゃねぇんだけどなぁ……」
つい大声になって商人にせがむ青年の姿を、独り歩くカミサマはじろりと赤い目で見つめた。その目はまるで蛇のようで、肖像画に映っている慈愛は少したりともたたえていなかった。むしろ、冷笑か軽蔑を込めたような、無感情な目だった。蝿が周りを飛んでいるのを跳ね除けるような、そんな冷酷無比な視線だった。
何か一言二言呟くと、カミサマは深くローブを羽織り直し、「タイヨウ」の光を避けるようにして歩き出した。
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