ある生物学者の手記 #4

話が長くなってしまった。

最後にあのウィルスに対する対策について話して終わろうと思う。

実のところ、私もウィルスに感染していて、寿命が短いことを自覚している。こうしてキーボードを叩くだけでも息が上がるのを感じる。


ワクチンが存在し得ないウィルスに対する対策は移動制限しかない。COVID-19の騒乱の際にいくつかの国で見られたように、外出さえも制限してしまうのだ。あのウィルスは確認できる限りパンデミックを起こした史上初の人工ウィルスだが、感染経路は人と人との接触であることに変わりはない。そこを断ってしまえば、感染はおさまるだろう。逆に言えば、接触を断たない限り、事態は終息しない。あなたたちは自由を捨てるしかない。


あなたたちのうちの一部はこの国が輸出を止め始めたことに気づいていることだろう。表向きは感染防止のためのロックダウンによって生産能力が維持できなかったためとされているが、実際のところどうなのかは私もわからない。

この状態が長引けば、あなたたちの国では生活必需品さえ手に入れることが難しくなるだろう。その状況を回避するには、あなたたちの国は自由経済原理を棚に上げて、生産命令を各企業に出す必要がある。企業の生産設備を接収し、国の命令の下で製品を作らせる。その行為に、反発を覚える人もいるかもしれない。最低でも企業に対して金銭的なアドバンテージを提示し、命令に応じるかどうか、企業に選択させるようにすれば、建前上は自由経済を維持できるだろうか。けれど、度重なる金融緩和で今やお金は紙くず同然なのだから、そんなことをしても実質的には管理経済と同じだ。


ここまで来ると、勘の良い人はなぜこの国が大金をつぎ込んであのウィルスを作成したかに思い至ったかもしれない。あのウィルスを起因として起こる変化は、まさに自由資本主義を捨てることなのだ。

この国の狙いはそれだ。この数百年、世界を支配していたドグマをひっくり返し、この国のルールを半強制的に、半自発的に選ばせることが目的なのだ。もしここで戦争が起こり、この国が敗れたとしても、あのウィルスが存在する限り、この国の思想は少なからず生き残り続けるはずだ。

その先に何があるかはわからない。

私にその結果を見届ける時間はなさそうだ。

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ソーシャルワクチン 伊達 慧 @SubtleDate

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