指先転換
介護士を目指していたわけでもないけれど、介護業界に携わる私は、転職の合間に資格を取りに学校に通っていた。
もともと介護事務という、医療事務のような点数計算で請求業務を行っていた。介護士の社員が毎日色々な気持ちを事務所へ持ち帰るのを見る度に、皆は具体的にどんなコトをしているのだろうと思っていた。話だけはよく聞いていたし、業界用語や仕組みなんかもそれなりに勤続年数を重ねれば理解できた。
おかげで現場を知らない私は、事務で社内初の所長が受ける社内試験をクリアした。所長になっているのにこの社内試験に落ち続ける社員がいる中で、かなり珍しい存在だったと自分でも思う。
そして、介護士資格取得のために受けていた授業は10人程のクラスで、経験者はいなかった。少なからず知識のある私の成績はいつも優秀だ。
「今日は鈴木さんに一日同行してください」
この資格取得のためには、実地研修があった。そう研修先の有料老人ホームの施設長が私に言った。承知した旨を伝え、鈴木さんとやらに「よろしくお願いします」と言った。
「こちらこそ~よろしくお願いします~」
ヘラヘラ笑いながら鈴木さんは答えた。どうにも軽薄そうで、私よりも若そうなことも相まって失礼なことを思ってしまう。
──こんな人に介護されたくないなぁ。
でも私より年下だろうがどんなに若かろうが、ちゃんと資格持ちで経験者なのだ。食事介助中も鈴木さんは笑顔で、気難しそうなご老人相手にも「今日も色とりどりで美味しそうですよ!」などと声をかける。
鈴木さんのことを軽薄だと思った自分を恥ずべきだと考えた時、それは起きた。
「これから順番に入浴介助しますから、見学しててくださいね~」
「あ、あまりジロジロ見ない方がいいですよね。失礼にならない程度に見れる場所にいます」
「え?気にしなくていいですよ!どうせ、本人はわかんないんで!」
──は?「どうせ」?やっぱりこの人はダメだ。
一人目、車椅子の女性。私は「勉強中で、ご一緒させていただきます、よろしくお願いします」と屈んで目線を合わせて笑顔で挨拶すると「はい……」穏やかに頷かれた。
二人目、またも車椅子の女性。先刻と同じように笑顔で挨拶する。「はぁ~」と感嘆したあと、私の着ているエプロンに書かれた名前をゆっくり読んだ。
三人目、車椅子だが今度は男性。少々緊張しながら笑顔で挨拶する。表情を変えずに「あー……」とだけ言う。嫌な予感がした。
鈴木さんが笑顔で「ね?」みたいな顔をする。「どうせわからない」とはこのことか。そして、鈴木さんはこの男性に対してある程度シャワーを優しくかけたあと、ザバァ!と頭から風呂桶に溜めたぬるま湯を一気にかけた。
「ワァァァ!!!」
男性は叫んだ。
熱いんじゃない、声掛けはあったから、吃驚したんじゃない。ただ頭から大量にお湯をかけられるのが苦手なんだ。
それを見て鈴木さんは笑って「いつもこうなんですよ~」と、また派手な音をたてて、頭からぬるま湯をかけた。そしてまた、男性は叫んだ。
不愉快になり、私は指をパチンと鳴らした。
鈴木さんは突然「え?え?あれ?」と混乱している。私は混乱する鈴木さんに笑顔で言った。
「私にも、少し手伝わせてもらえますか?」
鈴木さんの見た目をした誰かは、まだ混乱中だった。返事を待たずに、私はスタスタと男性の斜め後ろに立って、お湯を風呂桶に溜めた。
そして、勢いよくザバァ!と頭からぶっかけた。
「ワァァァ!!!」
男性が叫んだ。
「どうですか?気持ちいいですか?」
私は、鈴木さんに、そう問いかけた。
破壊衝動 まゆし @mayu75
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