二十年ぶりの登校

 早朝に鳴るようセットした目覚まし時計がうるさく音を出す。

 加藤は布団から手を伸ばして目覚まし時計のアラームを止めた。


 慣れない寝床のせいもあるだろうが、昨夜の奇数な出来事のために彼の眠りは浅く、寝たりなかったが彼は無理矢理身体を起こした。

 カーテンの隙間から細く射す明け方の陽光は弱く、室内はまだ薄暗い。


「思った以上に身体が楽だ」


 朝一番に高質な寝具をお試しで使用した人みたいな感想を口にした。とはいえ彼の疲労が予想より溜まっていないのは高校生という若さゆえである。

 そうとは気づかず環境が変わると睡眠効果も上がるなあ、などと一人ごちに言いながら布団を畳み寝室を出てダイニングに向かった。

 朝食になるものを求めてキッチンの端の冷蔵庫を開ける。中は空でそもそも電気を供給させていなかった。


「人がいなかったんだから、そりゃそうか」


 無住部屋の冷蔵庫の中身はないのが当然だとはわかっていても、腹は減る。

 冷気も光も出していない冷蔵庫を閉めて、加藤はクローゼットに近づいた。

 クローゼットには学校制服のブレザーとズボンと上下の体操着が、ハンガーにかけられて用意されていた。室内着のようなものはなく、今着ているのは下着のシャツとパンツだ。


「他に着る物ないし、制服着るか」


 裸ではないだけましだが下着だけで登校するのも避けなければならないので、南部高校制服を身に着けた。母校の制服には違いないが、加藤がかつて通っていた頃、男子は詰襟、女子はセーラー服に規定されていたが、今では瀟洒なブレザーに変わっている。


 教科書全般を鞄に詰め使い古した革靴に足を入れ、初日から遅刻したくはなかったので登校にはまだ早い時間に家を出た。

 通学路を歩く人の姿はほとんど見られず、加藤は知り合いに会わずにすむと人目を気にせずに学校へと足を進めた。


 学校周辺まで来ると南武高校の制服を着た学生がちらほら散見しだしたが、誰も加藤を怪しむ者はいなかった。おかげで容易に職員室に辿り着く。

 昨晩に転入の手続きはすましたとメフィリアに聞かされていたので、名前を告げて入ってくださいと返事があり入室した。


「あなたが転校生の加藤君ね」


 暖房のぬくとい空気がぼわっと加藤を包む。

 入室した彼の前で、髪を後ろで束ねた学生みたいなジャージを着た眼鏡で細身の女性教師がゆるい声を出した。

 女性教師はぺこりと折り目正しく頭を下げる。


「金村美月です。転校初日から早いね、加藤君」

「初日だからですよ。転校早々遅刻するわけにはいきませんから」

「えらいね加藤君」


 ほんわかした笑顔で美月は褒めた。

 彼女が教師然とした態度をしないので、加藤も気を張らずに対話できる。


「それで加藤君、クラスはもう聞いてる?」

「まだです」

「そう。なら如月先生が来るまで待ってもらってもいい?」


 美月は自身の席に腰をかけ直し、ヒーターの前を指さした。温まるといいよと遠回しに促している。


「如月先生って誰ですか?」

「如月先生はね、一年生主任の先生だよ」

「へえ。それじゃこれから何かとお世話になるわけですか」

「悪いことしなければ関わる機会もほぼないよ。如月先生は一年四組の担任と生徒指導も兼ねてるから」

「そんなに担ってるんじゃ大変だろうな」


 加藤は他人事のように言った。

 美月はパソコンのキーボードを打ち始め、加藤はヒーターで暖を取る。

 初対面教師と生徒二人の静かな空間は数分と続かず、ぽつぽつ他の教師が職員室に入ってきた。

 物腰柔らかい教師は美月先生以外いないと言っても過言ではなく、入ってきて加藤を見つけるなり「お前はどこのクラスだ」とか「なぜ生徒がここで暖を取っている」など高圧的に尋問する。その度に美月が「転校生の加藤君です。如月先生を待っているんです」と代わりに説明していた。

 席の半数以上が埋まってきた頃、首元にネックウォーマーを通し長身をダークスーツに包んだ女性教師が職員室に入ってきた。美月がその女性教師に気付いて席を立つ。


「如月先生、待ってましたよ」

「なんだ、私に何か用か?」

「転校生の加藤君。もう来てますよ」


 美月が加藤に指を向け、如月はその指先を目で追った。

 加藤と如月は目が合い、お互いに相手の顔を眺めた。


「お前が加藤か?」


 如月が加藤に訊く。

 彼が頷くと、目の前まで歩み寄る。


「如月弥生だ。一年の学年主任をしてる。よろしくな」

「はい――よろしくお願いします」


 美月先生と話す時とは違い、畏まって挨拶する。


「クラスまで案内してやる」


 席に荷物を置くと如月は踵を返した。加藤は職員室を出る彼女の後についていく。

 教室へと向かう間、如月が振り向かずに尋ねた。


「どうして転校してきたんだ?」

「――どうしてって……前の学校が嫌になったんです」


 不意の質問にその場しのぎで嘘を吐く。


「でもなんでそんなことを聞くんです?」

「今日からお前ともう一人転校してきた生徒がいるんだが、その生徒が胡散臭くてな。油断ならない。その生徒と比べたら、お前ははるかに純朴そうだ」


 そう言ってふっと鼻から息を漏らした。

 加藤から如月の表情は見えなかったが、悪いように思われていないことは感じ取れた。


「それで、なんでこの高校を選んだんだ?」

「どんな高校か、知っていたので」

「ここに知り合いでもいるのか?」

「そういうわけではないです」


 今度は嘘偽りなく答えた。 

 如月はそうか、とだけ返してさらなる追求をしなかった。

 以後これといった会話を交わさず廊下を進んでいると、如月が一年四組の教室のドアの前で足を止めた。加藤を振り返る。


「自己紹介してもらうが、いいか?」

「――はい」


 あらかじめ予想は出来ていたことだった。彼は訊かれそうな質問の答えを、頭の中に準備済みだ。

 如月が先にドアを開けて中に入って、クラスの生徒達に転校生のいることを知らせている。教室内で「噂していた通りじゃん」「どんな奴だろう」など、まだ見ぬ転校生に期待をかける声が飛び交った。


「加藤、入っていいぞ」


 合図されると教室に踏み入って黒板の前に立った。だが視界いっぱいのクラスの面々を目前にして頭が真っ白になった。自己紹介の言葉をほとんど忘失してしまった。


「――加藤信弘です」


 とかろうじて名乗って、数多くの視線に顔を伏せる。


「加藤信弘。初対面の時くらい顔を上げなさい。何か顔向けできないような悪いことでもやったのかしら?」


 教室の外から威勢のいい声が響く。教室にいる全員が声の方に首を振ると、加藤が入ってきた入り口に、腰に両手を当てた朱色の髪の女子生徒が、人を食う笑みで立っていた。

 クラスの生徒がぽかんとしたままメフィリアを眺める。加藤にいたっては口をあんぐりと開けたままになっている。


 彼女は加藤の隣まで歩いて立ち止まると、黒板に漢字で名前を書き、クラスの生徒達を正面にして身体を向けた。ニコリと微笑む。


「初めまして、米普 李亜です。できたら気軽にめふりあって呼んでくださいね」


 クラスのあちこちで「けっこう可愛いなあ」「隣の男と違って明るくて仲良くなれそう」などとメフィリアを歓迎する言葉を交わしだした。

 転校生の自己紹介を静観していた如月が、不意に両手を打ち鳴らした。


「質問は後にしろ。もうすぐ授業が始まる」


 生徒たちは黙った。教室中が静かになる。

 如月は転校生二人に顔を向ける。


「加藤と米普、二人は窓際の一番後ろの席だ」

「――はい」「わかりましたー、センセイ」


 加藤とメフィリアは指定された席に行こうとする。


「おい、米普」


 メフィリアの方だけ呼び止める。


「センセイ、なんですかあ?」

「米普、お前は遅刻だ。転校初日だからって免除はしないぞ」

「センセイ厳しい」

「加藤は刻限前にきちんと来れていたんだ。お前が間に合わないはずがないだろう」

「センセイのいじわる」


 唇を突き出して、不服を露にした。

 メフィリアに文句を言われても如月は厳然として窓際の後部の席を顎で指す。


「まあいい、早く座れ」

「はーい」


 メフィリアは納得いかない顔をしつつも加藤の隣に着席した。


「これでホームルームを終わる」


 全員が席についたのを見回すと如月は告げて、教室から出ていった。

 授業までの合間の時間に、転校生に関心を持った数人が早速メフィリアの周りに集まりだした。だが加藤に興味を示す生徒は今のところいない。


「米普さん米普さん、どこの高校から来たの?」


 溌溂そうな女子がメフィリアに尋ねる。


「どこだと思う?」


 メフィリアは問題形式で焦らした。


「ええー、どこだろう?」

「○○とかじゃないのー」

「もしかして○○○かもよー」


 話しかけた女子は周りの他の女子達と、賑やかにあれこれ予想しはじめた。

 会話の隙を見て、メフィリアは加藤にちらと目を向けた。


 加藤は隣の席でわいわい愉快に話す女子達には見向きもせず、彼から反対側の隅の席に座るふわりとした髪型の清楚な女子をぼんやりと眺めていた。

 彼の席からは清楚な女子の横顔しか見えず、加藤は全貌が気になって無表情に振り向かないかと待っている。

 清楚な女子に数人の男女グループが近づき話しかけた。清楚な女子は話しかけてきた方に振り向き、加藤は運よく全貌を見られるか、と思われたが、男女グループの壁に隠れてしまった。


 教室の前のドアが開き、教科担当の教師が入ってくる。生徒たちが談笑をやめて、それぞれ席に戻っていく。

 その短い間だけ、清楚な女子の全貌を窺うことが出来た。


 加藤は一瞬で思考が止まった。突如、全身に電撃が走るような感覚に襲われた。

 彼は顔を女子から前の席の男子に逸らした。

 加藤は教室の隅の女子に一目惚れをした。

 片や、メフィリアは一目惚れして呆けた加藤を見て、肩を震わせて笑いを堪えていた。

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悪魔の力で若返って青春やり直します 青キング(Aoking) @112428

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