悪魔は若返った事実を突きつける
加藤が次に意識を取り戻した時、彼は淡い月明かりが射し込むアパートの一室と思しき畳敷きの部屋に、棺に入れられた人と同じく腹の上で手を組んで倒れていた。
うっすら目を開けると、電球を傘を覆った照明が天井から吊るされているのがわかる。
「どこなんだ、ここは」
加藤の知らない部屋だった。
手先の感触にいつもと違う感じはありながらも、立ち上がって覚えのない部屋の中を見回した。
「気にいったかしら」
不意に横からに聞こえたこの世の者とは異なる女の声に、ぼんやりとした頭で反応する。
「その声、さっきの悪魔だな」
「そのとおりよ」
悪魔の方に向くと、彼女はあっけらかんとした顔で体育座りをして板壁にもたれていた。
加藤が問い詰める。
「ここはどこなんだ。教えろ」
「何の変哲もない東京都内にあるマンションの一室」
悪魔の答えに、加藤は怒るでも驚くでもなく無言で室内を見回した。
汚れ一つない白い壁にフローリングの床に清潔感あるダイニングなど、見る限り男性一人の生活には過不足ない間取りのワンルームだ。
「お前の言う通り、何の変哲もないマンションの一室みたいだな」
加藤は納得した上で、悪魔に尋ねる。
「で、何故俺とお前はここにいるんだ?」
「あたしがあなたをここに連れてきたからよ」
「どうやって?」
「空を飛んで」
「はあ?」
彼女の答えがすぐには理解できず、加藤は訊き返す。
「空を飛んでって、どうやって空を飛んだんだ?」
「あんたにも見せたでしょ、あたしの翼。あれは飾りなんかじゃないのよ」
「ああ、あれか」
加藤は合点がいく。確かに先程、黒々しい翼を広げていた。
「それで俺をこの部屋に運んで、何をしようっていうんだ?」
「あんたは今から男子高校生よ」
「はああああ?」
空を飛んでと答えられた時より、理解しがたい返事だった。
悪魔は不敵な笑みを浮かべて言う。
「望み通り人生をやり直すことが出来るよう取り計らいました」
「合意した覚えはないぞ」
「優柔不断なのであたしが一人で決めちゃいました」
「このアマ!」
「すみませんけど、アマじゃありません悪魔ですよ」
ニヤニヤと相手を苛立たせる笑いをする。
怒鳴ってやりたい加藤だったが、それは普段の根暗とも言うべき性格ゆえ彼の怒りはすぐに萎えた。
「それで俺が今から高校生っていうのはどういうことだ?」
「言葉通りよ。あんたには高校生から人生をやり直してもらうことにしたの」
「いまいち実感に乏しいが、今の俺は高校生なんだな?」
「さっきからそう言ってるじゃない。いい加減受け入れなさい」
「受け入れろって言われてもなあ。高校時代に戻るなんて現実世界じゃあり得ないことだからな。それこそアニメや漫画の世界だ」
「それを可能たらしめるのが悪魔の力よ」
あっはははと得意になって大笑する。
加藤は彼女の笑いが切れるのを待って、質問する。
「俺はほんとに高校生に戻ったのか? 確証が得られない限りはお前との契約はなしだからな」
「確証ねえ」
悪魔は少し考える様子を見せてから、ダイニングの横のドアを指さす。
「あの中に洗面台があるから、自分の姿を見てきなさい」
言われるまま指し示すドアを開け、彼は中の洗面台の鏡に姿を映す。
「俺、若!」
ついそんな台詞を発してしまうほど明々白々に、鏡に映っている彼の姿形は高校生の時のものだった。
現実感のない顔で彼は洗面所から出てくる。
「どうだった?」
結果を知っているうえで悪魔はわざと訊く。
彼は摩訶不思議な力で自分を若返らせた能力者を呆然とした目で見た。
「髪が長かったから高校生の俺だ…………」
「でしょう。あたしの力は嘘でも虚飾でもないのよ。納得できた?」
「ああ」
力ない声で返す。
高校生に戻った事実を認めざるを得ず気を落とす加藤の心情は構わず、悪魔は言う。
「若返った確証をあんたが得たところで、これからのあんたの人生について説明しておくことがあるの」
「なんだ?」
「あんたは早速だけど明日から学校に通ってもらうわよ」
「南武高校か?」
南部高校とは加藤が高校生の頃実際に所属していた高校のことだ。
悪魔は片眉を上げて、奇特そうに加藤を見返す。
「屈辱を味わわされた母校に通うのは嫌?」
「俺をさんざん辱めた奴らはもう学校にはいないだろ?」
「もちろん、いないわよ」
「安心した」
加藤は心からほっとした。数の誹謗を受けても反発できない悔しい思いをするのは懲り懲りだ。
安心した、という彼の言葉を聞き、メフィリアは満足して笑う。
「あんたが安心だと思うなら、転入先の選択に言うことないわね」
「しかし不安だな」
身体を高校生に巻き戻された事実を肯定的に受け入れ始めた矢先、辛い体験から生じた懸念が彼の頭にもたげた。
「対外的な問題はないとしても俺自身の根暗は改善されていないから、同じ結果に終わりそうな気がしてきた」
「大丈夫。あんたにはメフィリアフェレス様がついてる」
論証もなく、ほくそ笑みを浮かべる。
「ああ」
とても信用はできないと加藤は彼女に頷きせず、生返事をする。
「クローゼットの中に学校に入用なものを大方入れた鞄があるから、他に欲しい物があれば自分で揃えなさい。それじゃ、あたし帰るから」
憂いに沈んでいる彼にそう言い置いて、片手をあげた。すると彼女は虚空へ吸い込まれる形で姿を消した。
一瞬のことだったので、加藤は目を点にして眺めるだけで別れてしまった。
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