第13話 闇討ち

 その日の夕方、半助と彦六は何もなかったように帰り支度を始めた。長英はほかの黒子たちと一緒に小太郎と帰って行った。小太郎や黒子たちは、あの菊次郎親方の屋敷のそばの関係者が住んでいる長屋にいるので、まず身の危険はないという。だが、半助は帰る前に急遽呼び出され、菊次郎親方とあの寄合所に出向くことになった。

「なんかまずいことがあったみたいだ。悪いな、先に帰っていてくれ。夕食は外で済ましてくる」

 長屋に帰ると、今日は松庵邸からあの体の大きな酒井がやって来ていた。

「おかげさまで橘も無事で、役人たちも引き上げて行った。大変なことに巻き込んじまって本当にすまない、このお礼はまた後ですると松庵先生も言っています」

「とんでもない、それより長英先生は…」

 彦六はもう黒子たちにまじって無事に小太郎と一緒に帰ったとその詳しい様子を知らせた。酒井はすっかり安心して帰って行った。しばらくして半助が帰ってきたが珍しく、表情が険しかった。

「どうしたんですおじさん」

「どうもこうもありゃしない、竹薮の寅吉が、うちの見世物の稼ぎ頭、曲芸の駒平一座を引き抜きにかかったんだ。駒平の地方興行がいくつも中止になったんで調べたら、寅吉が息のかかった興行師に命令して全部おさえてやがった。それで駒平が寅吉の方に移れば地方興行がちゃんとできるようにして、しかも給金も倍にするというんだ」

「え、駒平さんまで? それでどうなったんですか?」

「もちろん菊次郎親方は、やめるようにきつく言った。すると寅吉は、どっちが頭を取るのか勝負しようと切り出してきた。やつははなからそれが狙いなのさ。だが菊次郎親方だって、奴の誘いに乗るような馬鹿じゃない。あした青竜のからくりを帰してもらいに奉行所に行く。自分が行けば今度こそ返してもらえるだろうから、お前もそんなことは言っていられなくなる。と切り返したんだ」

 それで明日の夜、菊次郎親方は青竜のからくりの結果を持って最後の話し合いを持つことになったそうだ。

「まあ、でも菊次郎親方は立派な人だ。見世物の明日を考えて毎日精進していなさる。きっと明日吠え面をかくのは寅吉のほうさ。ハハハ」

 だがその夜、夜中の二時ごろ、だれかが半助と彦六の長屋の戸を叩いた。半助は嫌な予感がして飛び起きた。

「おう、小太郎のところの黒一じゃねえか。いったいどうしたっていうんだ」

「それが…菊次郎親方が闇討ちに遭って…大けがで、危ないんです…」

「くそ、寅吉の一味にちげえねえ。彦六、行くぞ」

「はい!」

 突然のことに、半助はさっと上着だけをひっかけて外に飛び出た。三人で夜の道を急ぐ。

「それで、医者に見せたのか? 親方はどうなんだい!」

「今は奥さんに付き添われて屋敷の奥で横になってるんですが…。奥さんが隣の菊次郎長屋に知らせてくれたんです。こんな真夜中にすぐ来てくれるお医者様もいないのでどうしたもんかと小太郎さんも心配したのですが、そうしたら新入りの黒三が、突然これは危ない、私が診ようって言って今手術っていうのをしてるんです。でもあの黒三って野郎、まじめそうだけど、本当に医術の腕があるんだかどうなんだか。」

 そうか、小太郎は、仲間の黒子たちにも正体を言ってないのか…。半助は黒子を励ますように言った。

「俺にもわからないが、きっと手術ってやつはうまく行くよ。絶対うまく行くから…」

 口に出しちゃ言えないが、当代随一の蘭方医高野長英先生が診てくれるのならそれ以上の事はない。真夜中の菊次郎邸に着くと小太郎が待っていた。

「どうだい、犯人の手掛かりは?」

 犯人は菊次郎邸の門の陰に隠れていたようだった。だが時間も遅く、目撃者も特に手がかりも何もないようだった。

「ちくしょう、親方が明日奉行所に行けないように、竹薮の寅吉がやったに間違いはないんだが…。それで親方は?」

「はい、もうすぐ手術が終わるそうです。奥へどうぞ」

 少しして奥に入って行くと、長英先生が医術の道具を片付けているところだった。親方はもうぐっすり寝ていた。

「ご心配なく、手術は成功しました。けがをさせようとして、背中や腕を固い棒のようなもので叩いたようです。でも間違って当たった一撃に頭蓋骨が損傷し、出血も多く、医者に診せるのが遅かったら危なかった…。頭を十二針ほど縫いました。本人はしきりに明日奉行所と大事な会議に行かなきゃなんねえと繰り返していましたが、両方とももちろん無理です。ここ二、三日は絶対安静です」

 道具が片付け終わっても長英は手を休めず、何か紙に細かく書き込んでいた。

「とりあえず、この紙にけがの様子を書き込んでおきました。これを渡せば、あとは松庵先生がきちんと診てくださるでしょう」

「高野先生、かえすがえすも本当にありがとうございました」

 みんなで深く頭を下げた。でもまさかの闇討ち、犯人はわからず、けがはとんでもない大けがで、たぶん運よく長英先生に診てもらわなかったら、真夜中のこともあるし、死んでいたかもしれない。人一倍悔しがるのは半助おじさんだった。

「すみません、奥さん。ついさっき別れるとき、あっしが最後まで、屋敷の中まで送り届けていたらこんなことにはならなかったかもしれない。途中でお別れせずに…。まことに申し訳ない」

 すると、菊次郎親方の妻が半助おじさんの前に出て静かにしゃべった。

「実は主人が、手術前に、激痛の中私に二つの伝言を頼んだのです。半助さんにと…」

「あっしに?」

「…はい、一つは俺がどうなろうと、今日の見世物は予定通りすべて行うこと。敵に弱みを見せないように。二つ目は、半助に親方代理を頼む。寅吉と対等にやりあえるのはお前だけだと、半助、頼んだぞと」

 その言葉を聞くと半助おじさんは涙を流した。

「…こんな時でも、見世物のことを一番に考えていらっしゃる。なんてお人だ、菊次郎親方…。わかりました、どれだけのことができるかわかりませんがこの半助、死ぬ気で力を出し切りましょう。彦六、一度家に帰るぞ。ちょっとだけでも寝ておかないとな」

 そして二人は長屋に帰ると、夜明けまで眠り、日が昇るとともに体制を立て直しにかかった。

 朝、長屋に売りに来たシジミ売りのシジミ汁と納豆の朝ごはんだった。こんな朝でも半助おじさんはわざと陽気にふるまって、彦六にやさしかった。苦しいこと、つらいことがありすぎていつも笑うようにしているというのは、こういうことかと思った。

 半助は、彦六に自分の思いを素直にぶちまけた。

「そういうわけで、菊次郎親方が行っても、この間は奉行所で青竜のからくりを返してくれなかったわけだ。俺なんかが親方の代わりに行っても、ほぼからくりは返してもらえないだろう。もちろん全力で奉行所にはかけあってくるけどな。そこは望み薄だ。そうすると、寅吉との駆け引きは二つに一つしかない」

「二つに一つって」

「寅吉が切り出した見世物小屋勝負を受けるか、受けないかだ。だが駒平の一座が抑えられ、菊次郎親方が倒れちまった今のままでは、勝つのは難しい。こっちの持ち札は、九兵衛のところの動物と動物の曲芸、小太郎の唐人踊り、あとは珍しい花とか、大したものは残っちゃいねえ。新しい見世物でも考えない限り、もし勝負を受けたらいいとこ互角か、負けるかもしれない。もし負けるようなことがあれば、こっちは全滅になる」

「受けなければどうなるんですか?」

「やつは勝負して自分が圧倒的に勝って、組織を乗っ取るのが目的だ。結局最後にはそこに無理やり持ち込むのは目に見えている。今日断っても、勝負がいくらか先に延びるだけだろう。その間にいい知恵が見つかればいいが、こっちが勝負を逃げたとなると多分こっちの仲間たちもますます弱気になって、立ち場はますます悪くなる」

 すると彦六はトンチを効かせて作戦を半助に提案した。

「やっぱり、勝負から逃げるともっと人が離れていくような気がします。ここは嘘も方便、こっちには秘密の出し物がある、勝負を受けようじゃないかと強気で押すんです。そのかわり、寅吉の切り出した勝負を受けるのだから、見世物の小屋の対決の日にちはこっちで決めさせてもらうって言って、なるべくしばらく後にしてもらうんです。そしてその間に、本当に新しい見世物を用意すればいいじゃないですか」

「なるほどね、それなら強気で押して、用意する時間も交渉次第でいくらか取れる。お前はやっぱりトンチもきくねえ。でも、新しい見世物のあてはあるのかい?」

 おじさんが言うには、竹藪の寅吉のことだ、まったく嘘っぱちを言っていたら、見破るに違いない。でたらめでもいいから、出し物の名前ぐらいは決めておかないとまずいだろうということだった。だが、例えば新しいからくりを作ろうにも、おもなからくり職人は引き抜かれて、今引き受けてくれるのは一人か二人、時間もないし、これでは大したものは作れない。予算はないことはないが、すごくたくさんはない。ありきたりのものをどこかから呼んできても勝てるかどうかはわからない。でも、真剣に考える彦六には、前向きな瞳の輝きがあった。

「…実現できるかはわからないけれど、実は前からできないかなあって考えていたことはいくつかあるんです。」

そういって、彦六は半助おじさんにそれを伝えてみた。

「どうでしょう?」

「…当たるかどうかわからないし、用意できるのかもわからない。でも今までになかったのは確かだ。見世物師ってのは誰も見たことのないものが一番だと、いつも親方が言っていた。おれは、お前の思いつきにかけたい気もするが…。実現できるのか、もう少し、あたりを取っておかないと…」

「もし半日でも時間をくだされば、今日、半助おじさんが寅吉と話し合いをする少し前、夕方までには嘘にならないように、あたりをつけておきますよ」

「ようし、お前に半日やるさ。ダメもとでいいから好きなようにやってみな。なにかたたき台さえあれば、こっちだって駆け引きができるってもんよ」

「ありがとうございます」


 さて、その日は大変な一日になった。手術を終えて、朝また診察をしてからやってきた長英も再び黒子になって頑張っていた。そして、なんと呼び込みは午前中は急遽奉行所に行った半助に変わり、彦六が受け持った。おじさんの口上を急いで紙に書き写し、それを机の後ろに貼って、覚えながらの呼び込みだ。もう、恥ずかしいなどとは言ってられない真剣勝負、これを全部頭に入れて、客に合わせて自在にしゃべる半助おじさんの凄さを思い知ることになる。

 やがて昼よりはるか前に、しょぼんとして半助おじさんが帰ってくる。やはり、奉行所で門前払いを受けたようだ。

「じゃあ、あとは俺に任せて、新しい出し物のあたりに行って来い」

「はい、いくつか回ってきますので遅くなります。でも、必ず夕方には帰ってくるので、お待ちください。」

 彦六はそう言ってどこかへ駆け出して行った。半助は入り口の机の裏側に貼られた唐人踊りの口上を見てつぶやいた。

「おまえなりに頑張ったんだな。俺の甥にしておくにはもったいねえ。よし、俺も頑張るぞ」

 その日の半助の呼び込みは一段と軽妙でその流れるような口上はたくさんのお客を集めていたのだった。

 だが、二回目の公演が終わって、バタバタしている頃、見世物小屋にお役人がやってきた。一体なんだと思ってみていると、

「この者は伝馬町の牢獄を抜け出したる重罪人、見かけなかったか?」

 そう言って一枚の人相書きを渡された。まぎれもない、高野長英の人相書きであった。木版刷りがされて、いま市中に多量に配られているらしい。

「はあ、さて、見かけませんねえ」

 すると役人も、

「やはり日中、見世物などには来ないか…」

そういってあっさりと帰って行った。役人の方もかなり焦っているようであった。

「やはり、一時江戸を離れるのが得策か…。だが、引き渡しはこの見世物小屋のある神社の裏だ、役人どもがそのあたりをうろついてなきゃあよいが…」

 そう、この夕方は見世物の未来を決するだけではない、長英の引き渡しも迫ってきていたのだった。

 そして夕方、まだ彦六は帰ってこなかったが、長英の引き渡しの時間は迫っていた。問題なのは長英を引き取りに来る人物が誰なのか全く分からないことだった。橘の打合せでは、○に三本線の暗号札を持っているという。暗号札がなければ、だれにも渡してはならないというのだ。小屋は今日の公演を終了し、一座の者は引き上げ、半助と長英だけが残った。長英は荷物をまとめ、黒子の服を脱ぐと小屋の出口に立った。

「行きましょう、半助さん。この三日間は珍しい体験ができて、楽しかったです」

「かえってこっちが世話になっちまったな。本当にありがとうございました」

 それから二人は神社の裏に歩いていった。長英をつれて江戸を脱出してくれる同志を黙って待っていた。人通りの少ない神社の裏は木が茂っていて、もう薄暗かった。

「うむ?」

 その時、角を曲がってこちらにやってくる三人連れが見えた。だが、その三人はどうやら侍だ。役人の仲間か、それともただの通りすがりか? 早めに逃げるか、それとも怪しまれぬように無視するか。黄昏の暗がりの中、緊張した空気が流れる。

「え、まさか」

 三人の中の一人の武士が通りすがりに、何かを懐から出してこちらに見せた。それは、○に三本線の暗号札ではないか。

「あなた様だったのですね、まさか武士とは思わず失礼しました」

 半助が半信半疑で確認した。

「…幕府の中にものう、モリソン号事件についての考えはまとまっているわけではないのだ。特に長英殿を江戸から出すとすれば、わしら武士が動かないとなかなか難しい」

 どうやら間違いはないようだった。長英は半助にお別れと感謝を言って、三人の武士の方へと歩き出した。

「あのう、すいやせん。お侍さまのお名前だけでも…」

 すると暗号札を出した武士は振り向いて、一言言った。

「お前の胸の内にだけ秘めておけ。他言は無用じゃ。拙者は勝、勝海舟と申す」

 そして長英たちは黄昏の暗がりへと消えて行ったのだった。


 小屋に戻った半助。まだ寅吉との約束の時間には間があるが、彦六はまだだった。だが、あの彦六に限って約束を破るはずもないと信じ切って待っていた。約束の時間はだんだん近づいてきていた。


 福豆庵、この江戸でも一、二を争う甘味処で今まさに嵐が吹き荒れようとしていた。店の表は日暮れとともに閉められ、今日は夜店もなく境内は静まり返っていた。

 いつもやさしく迎えてくれる主人の菊次郎はいない。接待役の女たちもみな帰り、店を任せられた厨房の職人太助だけが忙しそうに動いていた。太助にとっても、寅吉と菊次郎の抗争は他人ごとではなかった。寅吉が勝てば、この店も寄合所を外され、先行きがどうなるかわからない。寅吉は酒飲みで、甘党では決してないのだ。そして寅吉が今日も子分を三人従えてやってきた。今日は勝負をかける気なのだろう、早めのご到着だ。

「おい、太助どん、いつもの豆大福を頼む。ただし餡は抜きでな」

「へい、すぐお茶と一緒にお持ちします」

 でっぷり太った寅吉は、子分の一人に小さい声で確認した。

「闇討ちの手がかりは何も残っちゃいねえだろうな」

「はい、これっぽっちも残しちゃいません。ご心配なく。闇討ちはすべて予定通り、菊次郎は奉行所にも行けず寝込んでしまいました。奉行所に行ったのも半助でした。もちろん門前払いですよ。からくりはまだ蔵の中ですぜ。やつらは勝負を受けざるを得ないでしょう」

 さらにすぐ隣の男がささやいた。

「…駒平の一座ですがね、もし菊次郎の方を手伝えば、この付近の小屋から締め出すと脅しをかけておきました。まあ全部から締め出せるはずはない、ま、半分は嘘っぱちですが、やつらびびってまず、今度の勝負には出てこないでしょうね」

 すると寅吉はもう一人の子分に確認した。

「例の新しい出し物の契約は間違いないな」

「へい、夕べもう一度確認してきました。うち以外の小屋にはかからないという一筆もとってきました」

 寅吉はえげつないことを平気でやる反面、実はけっこう神経質で、細かいのだ。

 今、江戸の見世物は、大きくは菊次郎親方の仕切っている一番大きな地区と二つの中くらいの地区、それから小屋や人集めだけする興行の場所だけ引き受けるたくさんの興行主からとなっている。関西や他の地区からやってくる一座を抑える力も、この菊次郎の地区の力が強いのだが、菊次郎親方は共存共栄の精神で、独占することもなく、うまく全体が潤うようにゆるやかにやっているのだ。九州からやってきた、前評判から高かった人間そっくりの木彫の人形、「生き人形」も、少し前に江戸中の話題をさらったヒトコブラクダのつがいも、菊次郎親方は利益の独占はせず、あちこちの小屋にかけさせていた。寅吉はこの菊次郎のやり方にも元から反対で、もっと儲けが出るところを親方は何をやっているんだといつもケチをつけていた。だがここで自分が頭を取れれば、そこも全部自分の儲けにできる。そのためにのぞき部屋などの危ない橋もわたり、引き抜き資金なども用意してきた。そしてついに今日から乗っ取りが実現していく、今日は大切な日なのだ。

 やがて時間がきた。戸がすっと開いて、半助が入ってきた。後ろには一度見た小僧が従っていた。

「半助さん、また暑くなってきたんで、去年の葛きり、また始めましたよ」

太助が声をかけると半助が答えた。

「よっしゃ、葛きり二人分、頼むぜ。黒蜜をたっぷりかけてな」

 そして半助は寅吉の前にドカッと腰を下ろした。彦六も続いた。そして、太助がさっそく葛きりを運んでくる。いよいよ対決の始まりだ。机を挟んで、寅吉派と菊次郎派、餡抜きの豆大福と、黒蜜たっぷりの葛きりがにらみ合っていた。

「おやおや、菊次郎親方は来られないみたいだねえ? ということは青竜のからくりも取り返せなかったようだな」

 最初から挑発的な言葉を投げかける寅吉。だが半助も黙っていない。

「ああ、夕べ闇討ちにあってね。犯人もまったくわからねえんだ」

「犯人がわからない? そりゃあ残念だった」

「だが、犯人は親方にけがをさせるつもりだったらしいがドジを踏みやがった」

「ドジ?」

「間違って親方の頭を叩いたらしく、親方は頭から血が流れて、大けがだ。もう助からないようなけがだった」

 さすがの寅吉も、そうなっては計算違い、死んだとなりゃあお役人もやってきて、大騒ぎになる…。何が闇討ちはうまくいっただ。殺しちまったら元も子もねえ!

「偶然真夜中に医者が来てくれて命は取り留めた。だが、闇討ちの犯人に会ったら言っておいてくれ、お前のドジのおかげで、今夜の話し合いもできなかったかもしれねえってな」

 さすがの寅吉も黙ってしまった。その時に一瞬子分に目をやったのを半助は見逃さなかった。

「ははあん、犯人は安吉か…」

 寅吉は怒鳴って証拠もないことを言うなと反論したが、怒鳴るほどに、間違いはなさそうだった。寅吉も話題を変えて、いよいよ本題に入ってきた。

「でも、青竜のからくりがないということは、もう、菊次郎は終わりだ。おとなしく俺に頭を取らせるか、でなけりゃどちらが見世物で稼げるか小屋の勝負だ。だが、噂じゃ駒平の一座は、なぜかお前たちの小屋には行けねえらしいぜ。どうするよ、半助。ここでおとなしく俺の下に入ってくれれば、悪いようにはしねえぜ」

 半助は煮えくり返る腹の中を押し殺して、堂々と言い放った。

「勝負するかどうかはお前たちが言い出したんだぜ。やめときゃよかったのによう。実はな、菊次郎親方は、お前のそんな動きを先読みして新しい出し物を温めていたのさ。今日、大けがで寝ている親方からお許しが出た。いよいよあれを出せってな。それで俺も心を決めたんだ。いいだろう寅吉、その勝負受けて立とう! なんならお前ら、今のうちに逃げ出したっていいぜ」

 もちろんすべて嘘っぱち、見事に強気に出た半助だった。半助の意外な強気に、寅吉は驚いてまさかの切り札を出してきた。

「おう、上等だ。その新しい見世物がどんだけの者かは知らねえが、こっちも、凄い出し物を用意してるんだ。その耳をかっぽじってよく聞けよ。あの松本出目太郎さ。どうだい、つい数年前に上方で大人気になって、儲かりすぎて最近はもう金があるからと見世物をやめていた、あの男だよ」

 松本出目太郎、半助もよく知っていた。この天保の飢饉の時代、最初で最後、唯一大当たりをとった見世物だった。なんと、目の周りの筋肉が発達していて、力を入れると目玉が飛び出るという特技の持ち主だった。また本人もふくよかで人相もよく、目が出る、めでたいとお賽銭まで飛び交ったという。

「ほうら、どうする? 松本出目太郎だぜ。大当たり間違いなしだ。お前らにははなから勝ち目はねえんだよ。え、半助よう。ほら、こっちは勝負の中身まで話したんだ。え、その新しい出し物ってなんなんだい? 本当にあるなら言ってみな。まさか嘘っぱちじゃないだろうな」

 寅吉は、ぐうの根も出まいと勝ち誇った顔で迫ってきた。すると半助は黙って彦六に合図した。彦六は懐から大きな紙を取り出しながら言った。

「出所をいうと誰かが妨害するかもしれないので詳しくは言えません。でも題名はこれです。生きている生き人形」

 寅吉は紙に書かれた題名を見て首をひねった。

「なんだあ、そりゃあ?」

「もちろん生きた人間ではありません。人形です。でも生きているんです」

「どうせ、あの九州からやってきた木彫りの生き人形かなんかだろう? まああれは大人気だったがな」

 思わせぶりな題名をつけて客を引き込むのが見世物の常套手段、彦六はうまく寅吉をひっかけた。

「まったく違います。たぶん、今まで誰もやったことのない見世物です」

「おいおい、小僧だと思って人をなめくさって、そんな人形あるはずないだろう!」

 すると半助はせせら笑って寅吉に言った。

「見苦しいぜ、寅吉。そんなあるはずのない見世物が手に入ったからこっちは負ける気がしねえんだよ。で、どうなんだい、勝負はやめるかい? 逃げ出すならいまのうちだ」

 なぜか、半助のほうが逆転攻勢をかけてぐいぐい押してきた。寅吉が言った。

「よし、勝負だ。吠え面かくなよ」

 そして一つの決着がついた。見世物の小屋の稼ぎで勝負することとなったのだ。場所や日取り、一つの小屋に欠ける見世物の種類など細かいことが決められていった。ほとんどが寅吉の提案通りになったが、日取りだけは二か月先の、秋の頃となった。

 話が終わって二人は銭湯で汗を流すと、長屋に帰って行った。

「おまえ、よくあんなことを考えたな。」

「菊次郎親方がからくりの代わりに新しい見世物を考えていたってのは、あながちうそじゃなかったんです。親方がつないでおいてくれたから見通しがつきました。今日、ずーっと走り回って、やっとなんとかなりそうです。でも日程がこっちの希望通りに行ってよかった。向こうの条件をうまくぎりぎりまで通して、こっちの大事なところはさらりと決める。半助おじさんの持っていき方、本当にうまいですよね」

「だってよう、あの出し物出すにはどうしたって二か月先でないと無理だからな」

 そして対決に向けて、すべてが動き出したのだった。

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