第5話 便利屋彦六

 暇な彦六は、炊事・洗濯を簡単に済ませると、今日は大家の福蔵さんの家に顔を出した。

「え、今日はなんだい? ふむふむ体がなまっちまうので、何かお手伝いがしたい? うん、いい心がけだな。そうだな、あ、そういえば、ほかに頼む人がいない仕事と言えば…うん、あれを頼もうかな…」

 菊が早く咲き始めたのだが、一輪咲いたのがどうも見たことのない変わった形の花でなにかおかしい。その菊を世話してくれた染井村の金蔵さんに会って確かめようと思うのだが…。

「菊の鉢は重いし、花が咲きはじめているので持ち歩くのも怖い、でも今は秋の花の季節で植木屋の金蔵さんも忙しいから出向いてもらうのも悪いし、困っておるのじゃ…。なにかいい知恵はないものかのう」

 すると彦六は、なんとかしてみますよと笑った。そしてしばらく時間をかけて用意をすると、今巣鴨に来ているという染井村の植木屋さんのところへ出かけて行ったのだ。もちろん力のない彦六に重い菊の鉢などは持てるはずもない、彦六は見れば手ぶらで出かけてきたようだった。巣鴨はちょうどこれから菊の季節を迎え、あちこちから植木屋や愛好家が集まってきていた。なんでも金蔵さんは桜の品種改良で次々と新種の桜を作り出した評判の植木屋だという。秋は秋で、今度は菊の新種や、飾りなどを作って、とげぬき地蔵の参道や境内に出店を出しているというのだ。今日は天気も良く、とげぬき地蔵にいく人でたいそう賑わっていた。あちこちに出ている菊の店に近づくと、見たこともない立派な菊や、不思議な形に菊をまとめ上げた飾りなどが並んでいて、大勢の人で賑わっている。

「え、福蔵さんのところから来た? はは、上得意のお客様だ、すぐここに通してよ」

 店の裏に案内された彦六、そこでは金蔵が菊の飾りの作業中だった。思ったより若い感じの、まっすぐな職人だった。

「ふむふむ、なるほどねえ、でも福蔵さんのところには新種も入れて何鉢も渡してあるからなあ…どの鉢かねえ。おい、だいたいでいいんだが、その大きさとか、花の色とか…?」

 すると彦六は折りたたんで懐に大事に入れておいた紙を差し出した。

「これです。よくご覧ください」

 そこには色絵具で本物そっくりに書かれた福蔵の咲いた菊の絵が描いてあり、しかも高さ何尺何寸、見た目の特徴などまで書き込んであった。

「へえ、お前さんが描いたのかい、たいした腕だよ。どこの絵師に習ったんだ?」

「へへ、絵師じゃないんです。そういうきれいな絵は描けないんです。本草学の竹仙先生に教わったんです。美しく描こうと思うな、学問として漢方薬の花などを描くときは、葉の形や並び方、一つの花なのか、小さい花が集まって花になっているのかなど、事実に即して細かいところまで観察して描かないといけないって、けっこうしごかれたんですよ」

「なるほどこれならよくわかる。まちげえねえ、これは薄紅鷺という新種だ。この葉っぱの切れ込み具合なんて本物そっくりだ。間違って世話したわけじゃない。これでいいと福蔵さんに伝えてくれ」

「はい、わかりました。ところで今、金蔵さんが作ってらしてるのは、もしかして鶴ですか?」

「おお、当たりだ。うれしいねえ。生きた菊を最初から、背の高さや色などを工夫して植えて、育ってくる途中で針金や竹を使って少しずつまげてまとめ上げると鶴や亀などお目出たい形に仕上げることができるんだ。おう、こっちを見てくれよ、なんだかわかるかい?」

「あ、もしかして、観音様かなんかですか?」

「うむ、いい線いってるぜ。この花が全部咲くと弁天様そっくりになるって寸法よ」

 彦六はすっかり夢中になり、金蔵さんの仕事をいろいろ見せてもらって帰ってきた。あの菊の絵には、教えてもらった正しい新種の菊の名前も書きこんでおいた。その紙を渡すと福蔵さんはたいそう喜んだ。

「へえ、そうかい。薄紅鷺ねえ、いい名前じゃないか。じゃあ、この絵は記念にもらっておくよ、ありがとうな。ほい、これが駄賃だよ」

 出された金額は結構な額だった。

「いえ、お金など結構です」

「本当に欲がないねえ。でもな、彦六さん、あんたは依頼を受けて和紙や絵具を使ってきちんと仕事をした。その分の金もかかっているわけだ。もうけを出しとかないと、そのうち自分が苦しくなるよ。これからもちょいちょい頼むからきちんとお金は受け取ってくださいよ」

「わかりました。ありがとうございます。じゃあ、これからも何かあったら声をかけてください」

 彦六は思いがけなく手にしたお金を持って長屋に帰った。

 またいつ声がかかるかと思っていたら、次の日さっそく声がかかった。福蔵さんのところに行くと、何人かの男たちが庭で忙しそうに働いていた。

 紙屋の源さんは上等な和紙から、使い終わった半紙、紙くず、古本まで紙に関するものなら何でも持っていく。古着の正太さんは上等な着物から、一般の古着、ぼろ布などもきっちり持って行ってくれる。直しやの健さんは、欠けた茶碗や丼のつぎや、穴あき鍋の修繕、古いたるを削り直し、箍をはめなおして、新品のようになおすこともできる。

 みんなくず屋の組合からきていて、頼めば、溶け残りのろうそくや、燃し終わった灰、もちろん肥やしに使う長屋の糞尿まで買い取って持って行ってくれる人たちだ。

「ああ、彦六さん悪いね、今日も来てもらって」

「でも、みんな力もありそうだし、仕事もてきぱきとして、わたしの出る幕はなさそうですね」

 すると福蔵さんは笑いながら説明してくれた。

「いいや、違うんだよ、実はね」

 ときどき価値のわからないさまざまなものをクズ屋がもらってくるのだが、クズとして処理した方がいいのか、骨董品として出した方がいいのか、困ることがあるのだという。迷ったらいつでも私が見てあげようと、福蔵さんが目利きをしていたのだという。

「ところが今日は昼から寄合があって、私は出られないんだ。すまないがくず屋の親方から目利きの品物を受け取ってきてもらえまいか。目利きは後で私がやるから」

「ああ、そういうことなら喜んでお引き受けできますよ」

 彦六は大きな風呂敷包みを福蔵さんから借りると、紙屋や古着屋のおじさんたちについて歩き出した。

「いろいろな紙を持って行って、どうするんですか?」

「古い紙やいらない紙の中からまだ使える上等な紙を選び出せば、紙問屋が持っていくし、きれいな古本は古本屋が持って行ってくれる。使い終わった紙でも包装紙や割れ物を包んだりするのに売れるし、紙っきれや破れた紙でも燃しつけに重宝がられるんだ」

「へえ、それじゃあ、無駄になる紙がないですね」

「あったぼうよ。金は天下のまわりものっていうが、紙も天下の回りもの、それを回してるのは俺たちさ。俺たちがいなけりゃ、江戸は一日でいろんなゴミの山になっちまうのさ。おれたちの親方が言ってたよ。おれたちがゴミを使えるものに変えていくから江戸は厄落としができて毎日賑わいが続くってね」

「なるほど、ゴミをすっきりなくして厄払いね。とても大切な仕事ですね」

 やがて町はずれの空き家を使ったクズ屋の本拠地の一つにやってきた。ここでは主に紙クズや古着、その他値段の高そうなものを扱うのだという。何人かの男が手分けして選別作業がせっせと行われる中、彦六は坂内親方を教えてもらってさっそく挨拶に行った。

「すみません、私、呉服屋の福蔵のところから来ました長屋の店子で彦六と申します。今日は福蔵が急用ができて目利きができないので、品物だけ私が受け取りに参りました。福蔵が、行かれなくてすまないと申しておりました」

クズ屋の坂内親方は、堂々としたしかし優しそうな人だった。

「はいはい、話は聞いているよ。福蔵さんも人を寄越すとはごていねいなことだ、すまないねえ。こっちもただで目利きしてもらっているんだから、無理なことはしなくていいと伝えておくれ」

「はい」

 親方はそういうと、部屋の隅に置いてあった目利きの品物を渡してくれた。小さな仏像が一つと、掛け軸が五本だった。彦六が風呂敷に詰めていると、そこに古本の束をもった背の高い、目つきの鋭い男がやってきた。

「おや、武三、どうした?」

「いやね、八兵衛の持ってきた古本の中に、あまり見たことのない本がたくさんあったのでどうしたもんかと親方に聞きに来たんでさあ。」

 親方はその束をちらっと見て一言言った。

「…こりゃあわからねえな。古本屋に丸投げだな。」

 ところが、一人だけその本に食らいついた男がいた。

「坂内親方、その古本の束、ちょっと見せていただけませんか?」

「…そりゃあ、かまわないが、彦六さん、あんた若いのに、わかるのかい?」

 彦六は目を輝かせながらその古本の束に飛びつくと中を確認していった。

「…やっぱりだ、これは貝原益軒の大和本草、こっちは岩崎灌園の本草図譜、和漢三才図会まであるぞ!」

「ほう、彦六さん、あんたよくわかるねえ。さすが目利きの福蔵さんのところの店子だ。それで、この本はどうしたらいいのかね?」

 彦六はなぜか考え込んでつぶやいた。

「これはどれも本草学の貴重な本です。しかもよく手入れもしてある。古本屋ならまだしも…クズ屋に出すものだろうか…?」

「ふむ、間違えてここに運ばれたってこともたまにあることだ。おい、八兵衛を呼んで来な」

 やってきた小太りの八兵衛に彦六が訊いた。

「これってもしや、お医者様か、学者様の御屋敷から持ってきたんですか?」

「ああそういえば、今日、漢方医の沢内松庵先生のところに行ったから、その時の古本かもしれねえ…」

 八兵衛はのんびりした男で、記憶はいまいち不確かだった。

「坂内親方、この古本は誰かが間違えてその先生のところから運んだかもしれない。ちょっと私がその先生のところまで行って、確かめてきていいですか?」

「よしきた、おい武三、ひとっ走り、彦六さんと松庵先生のところまで古本を持って行ってくれねえか」

「承知しやした。さあ彦六さん、近くですから、急ぎましょう」

 武三は古本の重い束をひょいと持ち上げ、歩き出した。彦六も風呂敷を背負うと、親方に挨拶をして走り出した。


「あ、これはもしや…。少々お待ちくだされ」

 松庵の家の裏口から出てきた使用人は、古本の束を見ると、先生の弟子の一人だという若い男を呼びに行った。

「わたくし、呉服屋の福蔵の長屋の店子の彦六と申します。福蔵から受けた仕事で、クズ屋の親方のところに偶然訪れていたところ、貴重な本草学の御本が大量に持ち込まれたことを知り、何かの間違いではないかと確かめに参ったところでございます」

 弟子の男は持ち込まれた古本を確認すると、仰天し、一瞬わなわなとふるえ、そしてもう一度書物を確認して安堵の息をつくと、深々と頭を下げた。

「…これは松庵の所蔵のしかも貴重な品に間違いありません。今日、朝から離れの方に虫干しで出していたところ、間違ってクズ屋に出すものに入ってしまったようです。いや、よく気が付いてくださった。このままでは悔やんでも悔やみきれない、大変なことになるところでした」

「よかった…」

 彦六と武三はお茶を断って、仕事だからとすぐに松庵邸を後にした。

「彦六さん、さすが福蔵さんの所のお使いだ。古本の目利きができるなんて」

 背が高く目つきの鋭い武三にほめられると、彦六はちょっと怖かった。

「…坂内親方によろしくお伝えください。では私はこれで…」

 彦六は武三に深くお辞儀をして帰路についた。


 福蔵さんの家に目利きの品物の入った風呂敷を届け、長屋でゆっくりしていた彦六、だがしばらくすると、入り口の戸ががらりと開いて、だれかが飛び込んできた。

「おい、彦六さんよう、お前さん、三大美人と何かあったのかい?」

「あれ、八五郎さん、何もありませんけど、どうしたんです?」

「いや、それがね、今三大美人の一人が、大家の家に突然来たわけよ。そしたら大家が、彦六呼んで来いっていうんだよ。お前まさか…」

「…三大美人っていうと、サクラさんですか?」

「違うよ、ほら、なんたっけ、ほら、おかよ…」

 すると、八五郎さんのおかみさんがたたっとやってきて、八っつぁんの耳を引っ張る。

「イテテテテ、こら、何しやがんだい!」

「なにしやがんだいじゃないわよ。ユリさんよ、ユリさん。なあにこの男、鼻の下伸ばしちゃってさ。みっともない。そういうわけで、彦六さん、福蔵さんがお呼びよ」

「ありがとうございます。すぐ行きます」

 ユリさん…だれだろう? なんだかよくわからないうちに、彦六は福蔵の家の玄関に入って行った。

「彦六です。まいりました」

「おお、彦六さん、今日はいいことをしてもらったね。さあさあ、こっちに入って入って…」

 奥の部屋に進むと、なんと福蔵さんのすぐ、はす向かいに、お供を連れた美しい娘さんが座っていた。社交的で明るいサクラさんとはがらりと違う、しっとりとした知的な美人だ。

「いやあ、彦六さん、あんたの気転で大事な書物が手元に帰ってきたと松庵先生が大喜びなすっているそうだよ」

 すると知的な美人は深くお辞儀をして礼を述べた。

「松庵の娘でユリと申します、今日はとり急ぎお礼に伺いました。本当にありがとうございました」

「いえ、その…とにかくあのような貴重な書物が多量にクズ屋に出ていたので、これは何かの間違いだと思っただけで…そのう…」

 美人を前にすると、彦六はやはり言葉が出ない…。でもそこは福蔵さんがうまくとりなしてくれて、なんと最後には意外な展開になった…。ぜひ、松庵先生が家に呼んでお礼をしたいというらしい。

「どうだね、彦六さん、せっかくだから、ぜひ行って来なさい」

 普通なら、断る彦六だったが、こんな書物がたくさんある漢方医の先生の邸宅には興味があった。

「では、失礼して、少しだけおうかがいさせてください」

「よかった。では明日お待ちしております。ありがとうございました」

 深く頭を下げたユリは、うれしそうに微笑んで帰って行った。この偶然の出会いが、彦六の運命を大きく変えていくのであった。

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