エピローグ「私」

 陽の光がまぶたを照らす。ふかふかの感触と懐かしい匂いに包まれていた。目を開くと、見慣れた懐かしい光景がそこにあった。

 キリアが目覚めたのは、アヴァロン・プロダクションの医務室だった。ここに在籍していたとき、訓練中のケガなどで何度もお世話になった場所だ。

 キリアにしては珍しく目覚めが良かった。いつもなら、もうひと眠りしていたところだ。

 南向きの窓から柔らかい日差しがベッドに差し込んでいる。空には少し雲が多かったが、良い天気だった。左隣りのベッドには、リンが安らかな顔で静かに眠っている。

 アイドルの泉でキャメロットの四人と合流したあと、ジュリアさんが手配した長距離輸送機に乗ってアヴァロン・プロダクションに帰還することになった。

 輸送機の中で待機していたのは、キャメロットのプロデューサーだった。キリアを含めた五人は、彼に体調と聖杯を確認してもらい、アヴァロン・プロダクションの前に攻め寄せたイドラの大群が撤退し、何の被害もなく状況が終了したことを聞いた。

 ようやく緊張の糸が緩んだのだろう。息を吐くと、抗いがたい眠気に襲われた。

 隣に座っていたリンはいつの間にか寝息を立てていた。気持ち良さそうに眠る彼女に誘われるようにキリアも後に続いた。薄れていく意識の片隅で、正面に座る他の三人も目をつむっていたことを確認したのが最後の記憶だった。

 こんこんこん

 どれくらい眠っていたのかを考えていると、ためらいのないノックが聞こえた。すぐさま医務室の扉が開く。そこには、ジュリアが立っていた。

 どきりとした。彼女と向き合うための心の準備ができていない。

 ジュリアは、キリアが目覚めていることに驚いたように目を見開く。そして、安堵した表情で「目覚めたか」とひとことつぶやき、医務室に入ってきた。

 彼女が自分に対して関心を向けていることに、ほっとする。しかし、それと同時に気づいた。布団の中で、ぎゅっとこぶしをにぎる。

(今、ジュリアさんの顔色を気にしていた……)

 弱気な自分に抗うため、ジュリアの目をしっかりと見つめ「はい」と答える。

 彼女はベッドの左側に用意されたいすに腰掛けた。移動の途中なのだろうか。ジュリアは医務室には不釣り合いなレディーススーツを着ている。

 何から話せばいいのか。考えがまとまらない。ひとまず、挨拶でもと思い口を開いたとき、すっとジュリアが頭を下げた。

「君からたくさんの貴重な時間を奪ってしまった。本当に、申し訳なかった」

 あまりに突然のことで驚いた。こんな雰囲気のジュリアはこれまで見たことがない。

「それは……わたしが黒のアイドルだった二年間のことですか?」

「それだけじゃないんだ……」ジュリアは、キリアの目をしっかり見ながら続ける。「私の夢は、過去、現在、未来、すべてにおいて最も輝くアイドルを自分の手で見出し、育て、ふさわしい舞台へ立たせること。そして、世界を脅かすイドラ現象を制すること……。

 君を見つけたとき……君が、そのアイドルだと思ったんだ。ご両親を説き伏せて、ようやくアイドルとしてデビューさせたとき、『私の夢』が叶うときだ、と意気込んでいた。それが実現するイメージは、とっくにできあがっていて、あとはそのとおりに君を導き、君はそのとおりに成長すれば良い。そう確信していた。

 やがて、君は強く輝くアイドルとなった。うれしかった。しかし、もう一方で『ここまでだった』という思いがだんだん強くなってきた」

 ジュリアは少しも目をそらさなかった。キリアが尋ねる。

「何がそう思わせたんですか? わたしが……ジュリアさんに寄りかかっていたことですか?」

「たしかに……それを疎んじていたことも、原因のひとつだったと思う。君にはもっと毅然として、自信をもって立っていて欲しかった。でも、それだけじゃないんだ。

 一番の原因は、君の聖杯が、私の期待どおりではなかったということだろう……。君の聖杯は特別だ。そこは間違いない。コンクエストスキルの『リフレクト』、あれは希少な力だ。私はそこに可能性を見た。しかし……私の期待していた『特別』ではなかったんだ」

「……ジュリアさんが言う、その特別って……」

「イドラ・アドミレーションをアイドル・アドミレーションに変換する力だ。その力を持つアイドルなら、イドラ現象を制して最も輝くアイドルになれる」

 ジュリアは、そんな夢のような力の存在を確信していた。にわかに信じられず、二の句を継げずにいると、彼女は続けて語りだす。

「もっと導けば……もっと大きな目標を与えれば……。さらなる成長によって『特別』が発現するかもしれない。そう思って、たくさんの難行を課しました。しかし、そんな兆しを見ることなく、君はトップアイドルとなった。

 これ以上の成長は見込めなかった。私が間違っていたことを認めざるを得なかった……。

 君がアイドルとして活躍する姿は、自分の過ちを突き付けられているようだった。君を強引に振り回し、貴重な時間を奪った証にしか見えなかった。ひどい罪悪感にさいなまれていたんだ……。君を避けはじめたのも、これが理由だ。

 二年前。君がイドラの大釜の偵察任務に参加すると聞いて、少しほっとした気持ちもあった。もう君を見ないで済む、とね。任務中に殉職するかもしれない。そんなことまで考えていた。そう考えると、心が軽くなったんだ……」

 ジュリアは、もう一度、キリアの方に向かって頭を深く下げた。

「本当に、申し訳なかった」

 彼女の告白に衝撃を受けた。一方的で独善的で、彼女の意のままに操られていたようで、恐ろしさや屈辱感を覚える。しかし、別の思いもあった。キリアは、ジュリアの告白を聴いたあとの正直な気持ちを話した。

「イドラの大釜の偵察任務のときに知っていたら……立ち直れないくらいに傷ついていたと思います。それくらいに、あなたを慕っていたし、あなたに認めてもらえず苦しんでいました。

 でも、すべてが二年前のことです。わたしにとっては取り返しのつかないくらい昔の話になりました。今の自分では、あなたに対する恨みや怒りが表現できません」

 ジュリアは、いすから身を乗り出して、しっかりとキリアの話を聴いている。

「それよりも、今のわたしはジュリアさんに感謝しているんです。スカウトしてくれたこと、あの家から連れ出してくれたこと、輝くための舞台をくれたこと……

 あなたにとって、わたしがアイドルであることは罪の証拠なのかもしれません。しかし、今のわたしにとって、アイドルであることは『希望』なんです。だから……」

 ジュリアの顔を見つめる。キリアは覚悟を決めた。

「……わたしのお願いを聴いてください」

「ああ、何でも言ってくれ」

「わたしは生まれ変わってアイドルを続けたいです。これまでに得たランクや称号、名声、実績、そして出自。わたしのからだと心以外のすべてをリセットしてやり直したい。

 誰にも自分を預けずに、自分の好きなものや自分のなりたいものに対して正直に、自信をもって表現する。そのために生まれ変わりたい!」

「わかった」

 ジュリアが寂しそうな表情をして応えた。

 キリアは胸をなでおろす。そして、最後の言葉をジュリアに告げた。

「あなたにスカウトされたこと、育ててもらったこと、チャンスをくれたこと。すべてに感謝しています。それでも……わたしが生まれ変わるために、わたしを生きるために……」

 改めてジュリアの瞳をまっすぐ見つめる。

「わたしは、ジュリアさんと決別します」

 ジュリアは悲痛な面持ちで、大きくうなずいた。座ったまま、キリアに手を伸ばす。

 彼女の手をにぎり、握手を交わした。温かくて、強い力が込められていた。

「キリアの願いは必ず叶えてみせる。少し待っていてくれ」

「はい。これまで、ありがとうございました」

 彼女がいすから立ち上がり医務室の扉に向かう途中、急に立ち止まった。

「そうだ。デュラハンとキャメロットの決闘が終わったあと、ノヴム・オルガヌムのマリアから君への伝言を預かっていた」

 ジュリアが振り返ってその伝言を告げる。

 それはどうやら、キリアへの言葉ではなかった。デュラハンに向けられた言葉だった。


 夜更け。キリアは寝付けなかった。外で吹き荒れる風の音やその風が窓を断続的にたたいて、揺らす音が真っ暗な部屋の中に反響する。

 もう一度目を閉じても寝つける気がしない。からだを起こし、ベッドサイドにあるランプを付けた。すると、それが合図だったかのように聞き覚えのある声が頭の中に響きはじめる。

 ――ジュリアに向かってあんなことを言うなんて、思い切ったことをするんだな

「決めていたことです。今の自分に正直な気持ちを大切にしただけです」

 ――今、不安を感じているだろう? あたしにはわかっているぞ

「…………そう、です。不安な自分もいます」

 ――その不安な気持ちは大切にしないのか?

「それよりも、生まれ変わりたい気持ちの方が大切なんです!」

 ――おまえの心の中では、不安な気持ちが大きいままだ。それを無視していいのか?

 キリアは反論できなかった。

 ――謝ってくれたじゃないか? 恩のあるジュリアの元に戻った方が、身のためだ……

 ぶんぶんと頭を振って声を追い払う。布団を頭からかぶって後ろに倒れ、ベッドにもぐりこむ。不安な音を聞かないように、懸命に耳をふさいでいた。


 胸が締め付けられるような感覚がして目が覚めた。キリアはベッドから降りて静かにカーテンと窓を開けた。朝のしっとりとした空気を吸い込む。そこは、東向きのバルコニーだった。ベッドシーツを何枚も一度に干せるほどの広さがある。

 世界は、雲の少ない夜明け前の紫色の空に包まれていた。早朝の静けさの中、さっとバルコニーを吹き抜ける気持ちのいい風を感じた。寝起きのからだに染みわたる。

 目の前に見える美しい湖を眺めながら、昨夜のことを思い出した。

(デュラハンが戻ってきた。いや……わたしの心にずっといたんだ。いっしょに行こうといったのは、わたしだ)

 彼女の存在を無視できない。逃げられない。そして、彼女とひとつになることもできない。

(それなら……またデュラハンと対話すればいい)

 意見が合わないなら、その違いを確認して、どうしたいかを二人で決めるしかない。

(彼女の話を聴こう。彼女に正直に伝えよう。彼女との関係を安心できるものとするために。わたしが、わたしであるために。わたしの中に、わたしの居場所を作るんだ)

「輝け!」

 バルコニーに朝焼け色の輝化の光が満ちる。

 輝化が完了したキリアは、輝化武具のキャリバーを鞘に納めたまま逆手に持ち、切っ先で床を突く。柄をにぎる両手を祈るようなかたちにして瞑想をはじめた。

(デュラハン、今度はわたしがそちらに行きます)

 聖杯に意識を集中する。デュラハンと同じことができるという確信があった。予想どおり、キリアは聖杯の中へ落ちていった――。


 そこは真っ白で広大な空間だった。床には、四色の花が咲き乱れている。黄色の花、青色の花、赤色の花、そして、橙色の花。まるでキャメロットの四人が放つ輝化の光だった。

 その花畑の中に、黒いミリタリージャケットとカーゴパンツに身を包んだ少女がたたずんでいる。キリアは「デュラハン」と声かけた。

 その少女が振り向き、キリアを見てにやりと笑いながら「待っていたぞ」と応えた。

 花畑に足を踏み入れ、デュラハンの近くに歩み寄る。そして、単刀直入に切り出した。

「わたしは、これから生まれ変わります。自分に正直になって、『わたし』をやり直します。デュラハンはどう考えているのですか?」

 デュラハンの表情が変わった。真摯な瞳でキリアをまっすぐ見る。

「あたしは、ジュリアの元に戻って二年前と同じように生きるべきだと思うよ。……キリアのその考えは本当に正直な気持ちなのか?」

「前の対話から変わっていません。変えたくないんです。あなたの方こそどうなのですか?」

「あたしにとって、誰かの評価がすべてだ。それがジュリアの評価なら最高じゃないか」

「なぜ、それを選ぼうと思うのですか?」

「簡単だ。評価されたら気持ちいいだろう? 許されたという感じを覚えないか?

 逆に、評価されなければ不安になるだろう? その不安を払拭するには、評価される他に方法がないんだ。その人の傘の下にいれば、不安を感じずにすむ」

「……ミレナ先生との一年間の思い出が気づかせてくれました。わたしは、その生き方で苦しみました。これ以上、そうなりたくないんです。それに……」

 キリアは、さらにデュラハンに質問する。

「デュラハンのその生き方に未来はありますか?」

「ある。評価される方に進んでいけばいい。それが未来だ」

「そうして進んだ先が、あなたの望まない方向だったときはどうするんです? 別の、評価される場所を見つけるのですかっ?」

「そうだよっ! 別の評価してくれる人を探せばいい」

「それは誰ですか? どこにいるんですか? そんな人は都合よく現れるとは限りません!」

「……うるさいっ! それなら、未来なんて望まない! 誰かの言うとおりで、誰かが認めて評価する未来でいい! それで十分だっ」

 キリアは、こぶしをにぎりしめる。

 そして、自分の心から突き上げてくる思いを言葉にしてをデュラハンにぶつけた。

「聖杯の中で、たくさん考えて気づきました。名前も知らない誰かはもちろん、友人や家族、恩人だろうが関係ありません。自分以外は他人なのだ、と……

 他人の評価や承認は、たしかに気持ちいいです。生きる許しをもらえた気分になります。

 でも……それは、その他人自身の価値観を満足させるための言葉なんですよ! そんな言葉に、自分の未来をゆだねてもいいのですか? わたしは、嫌ですっ!」

「他人を無視しろと言っているのか? 世界は、ひとりで生きていけるほど甘くないぞ!」

「そうじゃないんですっ! わたしが言いたいのは、心の在り方のことです。自分の心が、他人の言葉で支配されるのは許せないっていうことです!」

 デュラハンは、さらに反論する。彼女の目には涙がにじんでいた。

「自分なんて……なくても生きていけるっ!」

 キリアの視界も涙で揺れる。

「これからずっと、生きるのは誰ですか? 自分でしょう? 空っぽの自分や他人のような自分で、誰かと接していて苦しくないのですか? わたしは苦しいです。そして苦しかったんですっ! だから、ジュリアさんの元には戻りません。苦しかった生き方は、もう選びません」

 デュラハンがぎゅっと目をつむる。その拍子に大きな涙がこぼれた。

「わたしは、自分のことをたくさん知って、自分を大好きになります。そして、大好きな自分を、大好きになってもらえるように、これから出会う人との関係をひとつずつ築いていきます! 『生まれ変わる』ことは、その生き方の覚悟と決意です!」

 デュラハンに自分のことを理解してもらう。そのために言葉を尽くす。伝えきる。

 彼女は、嗚咽をかみ殺しながら、顔をゆがめてぽろぽろと大粒の涙をこぼしていた。


 感情が落ち着くのを待って、デュラハンが口を開く。涙が何かを洗い流したかのように彼女の顔は引き締まって見えた。

「キリアの意志、その強さがよくわかった。でも、その思いを貫き通すことができるのか? 理想で終わらず、実現させる力が伴っているのか?」

 彼女の言葉に反応するように、床一面の花畑から四色の花びらが舞い散る。

 黄、青、赤、橙。視界のすべてを覆うほどの目まぐるしい色彩の乱舞。四つの色が混ざり合いながら風景に溶け込んでいく。

 花の嵐が過ぎ去ったあと、遠近感のない真っ白な景色が一変していた。

 そこは、イドラの大釜の湖畔だった。二年前、デュラハンと一騎打ちをした場所た。

 ミーファとリアラの虚ろな瞳……任務失敗の恐怖と焦り……折れたキャリバー……斬られた痛み……思い出したくない過去が脳裏にちらつく。しかし、それらは向き合って決着をつけなきゃいけない過去でもあった。

 デュラハンの力強い言葉が届く。

「おまえの聖杯の強さを見せてくれ。もう一度、あのときと同じように闘おう」

「……わかりました」

 心の中の世界のはずなのに、五感のすべてが現実だと訴えている。

 雄大な黒い湖。液化イドラ・アドミレーションがクレーターの斜面から流れ落ちる音。地面を踏みしめる感覚。身を切るほどの寒さ。そして、デュラハンが発揮する威圧感。

 彼女は口角をつり上げた凶暴な笑みとともに、右手を胸に当てて、輝化を宣言した。

「輝け!」

 デュラハンが赤黒い炎に包まれる。あっという間に、竜を思わせるまがまがしい甲冑と、大剣が生成された。

 キリアは、リフレクトを発動し、アドミレーションの錬成を開始した。彼女に気づかせてもらった新しい力。初めから自分最大の自己表現をする。そう決めていた。

 アドミレーションの錬成を続けながら、デュラハンの様子を確認する。

 すぐに仕掛ける様子はなく、キリアから間合いをとり、アドミレーションの集束を行っている。彼女も、初手から全力全開の力を放ち、勝負を決しようとしているのだ。

(あなたのすべてをしっかり受け止めます。そして、わたしのすべてを全力で伝えます!)

 デュラハンから勢いよく火柱が立ちのぼる。それが高く太くなり、爆ぜた!

 赤黒い炎が、五階建てのビルと同じくらいの高さとなり燃え盛っている。まるで、イドラの大釜を覆う灰色の雲を焼き払うような巨大な炎だ。

 彼女が炎の中で大剣を掲げると、刀身に赤黒い炎が勢いよく吸い込まれていく。巨大な炎のすべてが集束されたとき、持ち手以外が今にも溶けそうなほど赤熱していた。

 デュラハンが大剣を振りかぶり、アスタリスクの形となるように三回振るう。

「これが、あたしの力だっ!」

 その星印が爆発する!

 キリアの視界すべてを覆い尽くすほどの圧倒的な炎の津波。先を見通すことができない、来るものすべてを焼き尽くす恐怖の壁が目前に迫る。


 ――五メートル。アドミレーションの錬成が完了。それを解放した。

 ――三メートル。地平線から昇り来る朝日のような力づよい輝きが、からだを包みこむ。

 ――二メートル。息を目いっぱいに吸い込み、キャリバーを構える。

 ――一メートル。壁に向かって駆けだした!

 キリアは、炎の壁に飛び込んだ。

 これはデュラハンのパラノイアスキル。ふれたものの能力を減退させる炎。

 その炎に焼かれながら、キリアはまっすぐ前を向いて走りつづけた。

 わたしの力を信じて、一歩ずつ。

 認め、認められて、一歩ずつ。

 伝えて、聴いて、一歩ずつ。

 そして、キャリバーが壁を引き裂いた!


 永遠に続くように思えた息苦しさは唐突に終わった。キリアは、炎の壁から飛び出ていた。大きく息を吸い込み、呼吸を整える。錬成アドミレーションは、ハングドの能力減退効果によって、すべて相殺されていた。

 炎の壁を抜けた先に、デュラハンが待ち構えている。大剣を振りかざし、力を溜めていた。

 勢いそのままに走りつづけ、デュラハンに迫る。

「これが、わたしの力ですっ!」

 その一瞬、キャリバーが光り輝く。ガード部分が展開し、より十字の形に近くなった。

 振りかぶる瞬間、刀身に「ExCalibur -For the Idol-」という刻印が見えた。

 キリアは「エクスキャリバー」を振り下ろした!

 きいぃぃぃぃん――――

 気高く、透き通った金属音が灰色の空に響き渡る。デュラハンの大剣と斬り結んだ。

 キリアの斬撃が、大剣を断ち、デュラハンの鎧に届く。

 デュラハンのからだに大きな傷が刻まれた。そこからイドラ・アドミレーションが噴き出す。ふらふらと体勢を崩し、湖畔に仰向けになって倒れた。


 二年前の闘いとは真逆の結果となった。輝化を解いて、デュラハンの傍らにひざをつき、手を取る。彼女は斬られた痛みなどまったくないようにすがすがしく笑っていた。

「おまえの思い……ちゃんと伝わった。キリアのこれからの生き方、あたしも応援するよ」

「ありがとう、デュラハン」

 笑顔で応えることができた。

「聖杯浸食に失敗して本当に良かった。聖杯をひとつにしてしまったら、キリアの聖杯を消していたはず。そうなれば、こんなふうに会話することもできなかった。

 ……もしかしたら『キリアと対話したかったから』聖杯浸食に失敗したのかもしれないな」

 デュラハンは照れたように顔を赤くして、「とにかく」とさらに続ける。

「キリア、これまであたしにたくさん寄り添ってくれて、ありがとう。キリアといっしょだったから、あのキャメロットとのライブまでたどり着けたんだ」

 デュラハンの言葉にうなずき、自分の心でしっかりと受け止めたあと応えた。

「わたしも、あなたと向き合うことができて本当に良かったです。生きることに苦しんでいたわたしの心は、聖杯の中で過ごした二年間で十分に癒され、再び立ち上がる力を蓄えることができました」

 キリアはデュラハンの手を両手で包む。

「あなたは、わたしの存在や言葉を受け容れて問いかけてくれる、もう一人のわたし。対話をすることでお互いを高め合える。デュラハンはそんな存在でした」

「キリア……ありがとう」

 そう告げたデュラハンの表情はとてもやさしかった。

 四色の花びらが再び散りはじめた。イドラの大釜の雄大な風景から色が失われていく。この対話にも終わりが近づいてきた。

「マリアからわたしとあなた宛ての言葉を預かっています。最後にそれを伝えさせてください」

 彼女の手に力が入った。「聞かせてくれ」と緊張を隠せない声で応える。

 キリアはジュリアから聞いたとおりに伝えた。

「『もし彼女がまだそこにいるなら、必ず迎えに行きます』」

「マリア…………母さん……」

 彼女の満たされた気持ちと、どうしようもない寂しさをありありと感じた。聖杯連結などなくてもわかる。デュラハンの心の最も近くにいたからだ。

 キリアはあることを思いつく。それを彼女に提案をした。

「デュラハン、わたしがあなたをマリアのもとへ連れていきます」

 デュラハンが目を丸くする。「どうやって……」とつぶやく。

「わたしの聖杯の中にいてください。あなたが力を取り戻して準備ができたとき、マリアのもとに連れていきます。それまでいっしょにいましょう」

「ありがとう……キリア。本当にありがとう……」

 デュラハンもキリアの手を両手で包む。キリアとデュラハンは、にこりと笑いあう。

 それを最後にデュラハンの意識がなくなった。

 彼女のからだの輪郭がぼやける。中心に向かって集束をはじめ、イドラ・アドミレーションが凝縮した黒い球となった。キリアは、それを両手で抱えて立ち上がる。

「いっしょに、行きましょう」

 黒い球を胸にかかえて歩き出す。向かう先は、光あふれるあの場所だ――


 目を開くと、鋭くまぶしい光が差し込んできた。

 朝日だ。

 雲一つない空。なだらかな稜線を描く山々。緑ゆたかな大地。おだやかな湖。目の前のすべてが黄金色に染まっていく。

 柵に寄りかかり、輝きに満ちた光景を眺めていると、後ろで窓が開き、リンが外に出てきた。

「目覚めましたね」

 リンはうなずいた。そして、キリアを見ていぶかしげなようすで尋ねる。

「なぜ、輝化しているんですか?」

「今、聖杯の中に潜っていました」

「……聖杯の中に潜る?」

「ええ、聖杯の中で、もう一度デュラハンと会ってきました」

「もしかして……まだイドラ化の影響が?」

 リンが近寄ってきて、聖杯を見透かすような瞳でキリアのからだを心配する。

 首を横に振って、「心配ないですよ」と答えたあと、落ち着いてリンに説明した。

「イドラ化の影響は完全になくなりました。これが証拠です」

 両手を胸に当て、ゆっくりと離す。すると、聖杯の中でデュラハンが残した黒い球が現れた。

「それは……」

「デュラハンです」

 リンは焦るように輝化をして投げ槍を生成する。

「大丈夫です。この状態なら、まったく危険はありません」

 キリアは、じっとリンを見つめたあと、突然切り出した。

「……リン、わたしの話を聴いてください」

 リンは投げ槍の輝化を解き「はい」と返事をする。

「これまで、息苦しいことをがまんしながら生きてきました。そのがまんが爆発したのが、二年前。イドラの大釜の偵察任務でした。そこで、デュラハンに出会い。彼女に負けて、黒のアイドルにされてしまいました。

 リンや他の人がどう思うかはわかりません。いろんな差別や偏見があるかもしれません。それでも、わたしにとって黒のアイドルだった二年間は必要で大切な時間でした。がまんを続けて疲れ果てた心をいやす時間であり、デュラハンとの対話によって自分の過去、現在、未来の生き方を考える時間だったのです。

 わたしがここに戻って来られたのは……わたしが、わたしになれたのは、デュラハンの存在があったからなのです」

 リンは固唾をのんでキリアの話を聴いている。

「だから、これからもわたしが、わたしであるために……、再び彼女を聖杯に迎えます」

 黒い球を捧げ持ち、胸に近づける。

「ちょっと待ってください!」

 リンが大きな声でキリアを止める。

「そんなことをしたら、またイドラ化してしまいます!」

 キリアはうなずく。

「そうですね。その可能性は十分にあります。……もし、わたしがイドラ化を始めたら、わたしをあなたの投げ槍で貫いてください」

「そんな……」

「ごめんなさい、リン。どうしても必要なんです。彼女との約束でもあるんです」

 リンの表情が凛々しくなった。再び投げ槍を輝化して、ゆっくりとうなずく。

「わかりましたっ」リンはそう言って、キリアの手をにぎる。「がんばってください……」

「ありがとう」

 キリアは表情を引き締めた。リンから離れ、朝日に向けて黒い球を捧げ持つ。

 そして、黒い球を自分の胸に押し当てた。球はキリアのからだにすっと入っていく。

 どくん!

「ううっ!」

 体内で球が破裂したようだった。その直後、イドラ・アドミレーションが全身を駆け巡る。ぞくぞくと寒気がした。イドラ・アドミレーションを吸収したときと同じでじわじわとからだの内側をまさぐられる感覚。立っていられず、ひざをつく。

 キリアは目を閉じ、胸に手を当てて一度大きな深呼吸をする。はいて、吸って。聖杯の中でデュラハンが迷わないように、心を落ち着かせた。

 次第に不快な感覚がなくなっていく。聖杯を確認しても、イドラ化が始まる兆候はなかった。彼女を正しく受け容れることができたようだ。

(デュラハン。これからもよろしく)

 輝化を解除したあと、心配そうに見守るリンに声をかけた。

「もう、大丈夫です。なんとか無事にデュラハンを受け容れることができました」

 花がふわりとひらくように、彼女の元気な笑顔が満面に浮かぶ。

「良かったですっ! 安心しました!」

 リンが輝化を解除しながら胸に飛び込んでくる。キリアもリンを抱きしめ返した。

「リン、見届けてくれてありがとうございます! 私も、うれしいですっ」


 胸の奥にデュラハンの存在を感じる。

 あなたはもう一人の私。わたしとあなたで、ようやく私になれました。

 誰かにここにいていいと言われたわけじゃない。

 けれど、私はここにいる自分がとても誇らしい。

 ここから目の前に広がる未来を臨めることに、わくわくしています。

 こんなふうに考えることができるようになれて、本当に幸せです。

 あなたは、どう思いますか?

 私は……


 リンとともに朝焼け色の空を見上げる。

 空に昇る朝日に向かって、生まれたての赤子のように、力の限りに声を出した。

「私は、私が大好き!」

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未来を臨む少女たち ―「私」になる少女― 譜久村崇宏 @luck_hywind

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