第十六章 「リフレクト」

 †

「キリアさんっ!」

 自分の名を呼ばれた。散逸していた意識がひとつに集束する。

 目を開けると、少女の顔が目の前にあった。聖杯の底で幾度か見たリンだ。目を大きく開いた懸命な表情。月光とそれが水面で乱反射した光を閉じ込めた瞳に吸い込まれそうだった。びしょ濡れの髪から、ひとつふたつとしずくがほおに流れていく。彼女の美しさに息を呑んだ。

(わたしがここにいるということは……デュラハンは負けてしまったのか?)

 聖杯の中を確認すると、デュラハンがどこにもいなかった。

「気づいた……あなたはキリアさん、ですか?」

「そうです。あなたは……リンですね」

 彼女は泣き笑いの表情で元気よくうなずいた。

「はいっ。良かった! キリアさんが戻ってきた!」

 立ち上がろうとする。しかし、久しぶりの身体感覚に戸惑ってふらついてしまった。

 リンが慌てて立ち上がり、キリアを助け起こす。からだを支えるリンと目が合った。そこには、どきりとするほど無垢で、まぶしい笑顔があった。

「すみません。助かりました」キリアは気になっていることを尋ねた。「それで、あの……デュラハンはどうなりましたか?」

 キリアが自分の力でからだを支えるのを確認しながら、リンが答える。

「ここの液化アイドル・アドミレーションがイドラ・アドミレーションを浄化してくれるんじゃないかと思って、先輩たちといっしょにデュラハンをこのアイドルの泉に追い詰めたんです。

 何とかこの泉に落として、アイドル・アドミレーションに浸しつづけていたら、彼女は力尽きたように意識を失いました」

「そう、ですか……」

 デュラハンは本当に消滅してしまったのかもしれない。彼女とはこれからずっといっしょに過ごすのだと思っていた。しかし、こんな別れをするとは思わなかった。寂しさというよりも、すっきりしない気持ちが強い。もう一度会って、話さなければならない。そんな気がしていた。

 リンに背を向け、空を仰ぐ。泉の上空で強い風でも吹いているのだろうか。周囲にある木々の枝葉がこすれ合い、がさがさ、ざわざわと落ち着かない。

 リンがキリアに話しかける。

「みんな、くたくたです。キリアさんも、アヴァロン・プロダクションに帰りましょう。みんな待っています。もちろん、ジュリアさんも」

(ジュリアさん…………)

 ジュリアの名前を聞いた途端に動悸が始まった。あの人の前で、デュラハンとともに話したような生き方ができるだろうか。心がぐるぐるとうずをまきはじめた。

 認めて欲しい。でも……

 トップアイドルだったのに、聖杯浸食されて……二年もの間、ジュリアさんに迷惑をかけて……キャメロットをはじめ、たくさんのアイドルに危害を加えて……世界中の人に災厄をもたらしたのは、キリアだ。

 自信がなくて、中身がなくて、ジュリアさんに認めてもらわなきゃ生きていけないのはキリアだ。そんなキリアだから、認めて欲しい…………

「キリアさん? さあ、行きましょう」

 リンの声が届いて、キリアが、はっと気づいた。

 この考え方は、デュラハンや昔の自分と同じだ。すっかり変わることができたと思っていたのに、まだ、少しも変わることができていなかった。

 情けない自分。それを誰にも見せたくなくて、両手で顔を覆う。どくん、どくん、どくん、どくん……動悸はまったくおさまらない。

 ばしゃばしゃという水音。リンが後ろから近づいてくる。

 これ以上、嫌いな自分を感じたくない。このまま逃げてしまいたかった。しかし……それは違う。逃げた先にある道は細くて短い。そんな道は苦しいだけ、そう思った。

(ジュリアさんに会おう。これからのことを話して、聴いてもらおう)

 キリアは、こぶしをにぎり、うつむいていた顔を上げ、リンと向き合う。

「ええ、帰りま……」

 キリアの顔を見た直後、リンが目を丸くする。まるで驚きと恐怖の表情だった。

 恐るおそるという調子でリンが尋ねる。

「キリアさん……顔の、それ、何ですか……」

 水面に顔を映す。キリアは得体のしれない光景におののいた。

「なに、これ……」

 目の周りが真っ黒になっていた。趣味の悪い漆黒のアイシャドーを塗りたくるように、眉間からじわじわと浮かび上がり、広がっていく。あっという間に、顔全体が真っ黒になった。

 脚の力が抜け、水しぶきを上げながら、その場に崩れ落ちる。

 リンにこんな顔を見られたくなくて、真っ黒になった顔を手で覆う。すると今度は、顔の表面に、何か固いものができていた。そして、顔が黒くなったのと同じ速さで、顔全体がその固いものに覆われていく。

 水面を覗き込む。それは二年前にデュラハンに聖杯浸食されたときと同じようなイドラの仮面だった。目と口にあたる箇所に穴が開いているだけ。それ以外は一様に平坦で、つやつやしている。一言で言えば、「のっぺらぼう」だった。

(デュラハンっ! そこにいるのですか?)

 自分の聖杯に呼びかけても、まったく反応がない。

 彼女でないなら、この現象はいったいなんなのだろう。彼女が置いていったイドラ・アドミレーションのかたまりに、代わりの疑似聖杯が宿った、と言うことだろうか。

 仮面は、まるで生き物のように小刻みにふるえている。キリアは両手でそれをつかみ、引きはがそうとした。しかし、何かにぶつかって、すぐに両手がはじかれてしまった。

「キリアさんっ! 仮面から触手が!」

 何かが水面をたたく。それを仮面ごしに見て、はじめて人間の腕のような太さの触手を視認した。リンが投げ槍を輝化して構え、それと向き合う。しかし、三本の黒い突起が変幻自在にうごめき、彼女を突き飛ばした。

「リンっ!」

 触手は次にキリアを狙ってきた。両肩に一本ずつふれ、一気に絡みつかれる。強い力で両腕を締め上げられ、自由を奪われた。そして……

 どすっ! からだに重い衝撃。仮面ごしでよく見えなかったが、自分の胸に触手の先にある大きな杭のようなものが突き刺さっている。あとから激痛がやってきた。

(これは……聖杯浸食っ)

 デュラハンのときとは違い、機械的で無機質で乱暴な侵入だった。すぐに頭の中やからだの奥を、無慈悲にまさぐられ、有無を言わさずに聖杯のかたちを変えられてしまう……。そう思った瞬間、キリアはパニックにおちいった。

「いや……嫌ぁっ!」

 言葉にした途端、次々と感情があふれ出す。声の限りに叫ぶ。もう止まらなかった。

「わたし、ようやくわかったんです! 今までの生き方を変えたいって……わたしにその生き方をさせてっ! このまま、わたしがいなくなるなんて、いやぁっ!」

 キリアは仮面の力に抗って、両腕を動かす。肩にあった触手をつかんで引きちぎった! ちぎれて力を失った黒い肉片が泉に落ち、じゅうじゅうと音を立てて消滅する。

 自由になった両手で、顔に貼りつくイドラの仮面を強引に引きはがしにかかる。ずるっと仮面が持ち上がった。粘着質の黒いイドラ・アドミレーションが、べちゃべちゃと音を立てながら少しずつキリアの顔からはがれていく。そして、突き刺さった杭に両手がふれたとき、胸からこれまで以上の激痛がからだに流れ込んできた。杭が胸に、聖杯にさらに深く突き刺さる。

「んぐっ! ううぅぅっ!」

 息をするたびに流し込まれる痛みに、からだがこわばり、息が詰まる。訳のわからない悲しさとどうしようもない絶望感が胸からじわじわと広がっていく。

(こんなに苦しいままで、終わりたくありませんっ……どうしても、生まれ変わりたい! マリアのように、先生のように、リンのように、生きてみたいっ!)

 引きはがしたイドラの仮面が、元の位置にもどろうとしていた。まるで気味の悪い甲虫のように、ぬめぬめと顔を這い進む。

「キリアさん!」

 リンがキリアの前に戻ってきた。キリアと目が合ったとき、彼女の顔が悲痛にゆがむ。

 生まれ変わりたい気持ちをわかってほしかった。くやしい気持ちを聴いてほしかった。

「ぐぅっ、ああぁぁぁぁっ!」

 さらに杭が突きこまれた。

 イドラの仮面が再び顔を覆い隠すとき、きっと胸の杭が聖杯に届く。これが最後の言葉。伝えたいことを伝えたいように……後悔したくなかった。キリアが口を開く。

「くやしい……もっとまっすぐに、さわやかに生きたかった……こんなに、がまんしたままの生き方で終わりたくない」

 仮面に覆われようとする視界が、涙でにじむ。リンに、かすれるような声で訴えた。

「リン、助けて……」

 キリアの世界が、仮面で閉ざされようとした、そのとき……

「今、助けます!」

 凛々しい声とともに、仮面にぐっと力がこめられ、ひといきにはがされた。開けた視界の中心には……毅然とした態度でキリアと向き合うリンがいた。

 彼女は、仮面を左手でつかんだまま、右手でキリアの胸にある杭をつかみ、引き抜こうとする。両手ともに、つかんだものをにぎりつぶさんばかりに力がこめられていた。

 ぎいぃぃぃああぁぁぁっ!

 イドラの仮面が生き物のような苦悶の鳴き声を発した。同時に一本の触手が生え、リンの左腕に巻き付き、先端を杭に変えて、彼女の二の腕に突き刺した!

 彼女の顔が苦痛にゆがみ、その場に崩れ落ちる。しかし、イドラの仮面もキリアの胸の杭もにぎりしめたままだった。

 リンはキリアの視線に気づくと、表情を和らげて笑顔になった。

「待っていて、ください……もうすぐです。もうすぐ、こいつを離しますから」

 そのとき、再び杭が突きこまれた。もうすぐ聖杯に達しそうだった。杭からゆっくりとイドラ・アドミレーションが流れ込んでくる。

「んっ! ぐぅうぅぅっ!」

「いづっ! ううぅぅっ!」

 リンもこの痛みにさいなまれている。気丈にふるまっていたが、がまんできるような苦痛ではない。そんな痛みで彼女の笑顔を汚してしまった。キリアはそれに罪悪感を覚えた。

「ごめんなさいっ! ああ……リン! わたしがあなたに助けを求めたから、この苦痛に巻き込んでしまった。こんなつもりじゃなかったのっ! もういいから、早く、早く手を離してっ!」

 リンの苦しむ姿を見るのが辛かった。うつむき自分の行動を悔いていた。

 ざばざばと水をかき分ける音。リンが痛みをこらえながら、キリアの方に近づく。

「違います!」

 突然、リンが怒鳴るように声を上げた。驚きのあまり、顔を上げて彼女を見つめる。

 リンは、キリアをしっかりと見つめ、キリアの言葉を否定した。

「助けを求めたっていい! 痛みに巻き込んだっていいんですっ! ごめんなさいなんて必要ありませんっ! わたしは、キリアさんを助けたいと思ったから、今こうしているんです!

 だから、『ありがとう』って言ってくださいっ!」

 リンの言葉が心に届き、聖杯の中にしみ込んで響きわたる。言葉の意味と思いを理解したとき、心が苦しいくらいにぎゅっと締めつけられた。がまんできず、涙があふれ出す。

「リン……ありがとう。ほんとうに、ありがとう……」

 心から「ありがとう」と言えた。うれしさで涙が止まらない。涙が流れるごとに、苦痛が消えていく。心も、からだもはずむように軽くなり、自然に微笑んでいた。

 気づくと、あんなに深く刺さっていた胸の杭が、いつの間にか抜けている。

 リンが右手で杭を引き抜き、そして自分の左腕に刺さっていた杭も抜いて、二本とも仮面から引きちぎる。

 その拍子にイドラの仮面が割れた。リンがさらに力とアドミレーションを作用させると、仮面が砕けて、汚泥のような真っ黒な中身があふれ出した。リンの手から、どろどろとだらしなく垂れていく。

 それが泉に落ちようとしたとき、異変があった。宙に浮き、うずをまきはじめたのだ。仮面の破片を巻き込みながら、球形にまとまる。膨れ上がって、リンの身長と同じくらいに大きさになった次の瞬間、それがはじけた!

 黒い汚泥が飛び散って泉に落ち、じゅうじゅうと煙をあげて蒸発する。

 そこに残ったものは、宙に浮かぶ「顔」だった。割れた仮面と同じようにのっぺらぼうで、目と口がかろうじてわかるくらいの凹凸がある。その顔の後ろから、翼のように「右手」と「左手」が生えてきた。その両手は、顔の前に移動し、それを覆う。

 ぐぎぎぎいいいぃぃぃぃぃっ!

 顔を見ないでくれ! とでも言うように、顔のイドラが奇声を上げる。黒い手のすき間からのぞく、目のようなくぼみと目が合ったとき、顔から離れたイドラの右手がキリアに向かって飛んできた。

「キリアさんっ!」

 リンに突き飛ばされ、泉の水面に倒れる。立ち上がろうと顔を上げたとき、彼女はイドラの右手につかまっていた。腰から下を拘束された彼女は、ひざ蹴り足蹴りで抵抗する。

 イドラの右手の人差し指が鋭くとがり、大きな杭に変わった。そして、リンのからだに組みついたまま、彼女の胸にその杭を突き刺した!

「リンっ」

 あわてて彼女に近づき、胸に突き立てられた杭を確認する。すでにリンの聖杯への侵入が始まっていた。リンの胸の中にイドラ・アドミレーションが流れ込んでいる。

「大丈夫、です……こんな、化け物に……ぐっ、負けま、せん」

 リンは胸に刺さった杭を両手で引き抜こうとする。同時に、聖杯に侵入しようとするイドラを自分のアイドル・アドミレーションで押しとどめているようだった。

「ぐっ、うぅぅ!」

 しかし、イドラの侵攻は止まらなかった。リンが、さらにアドミレーションの出力を上げるが、それでもまだ足りない。

(リンを助けたい)

 心のうずの中心。揺るがない気持ちが、それだった。

 リンに正直な気持ちを伝えることができた。それに対して、リンも真摯に向き合ってくれた。その関係は、ミレナ先生と同じような、自分が自分らしくいられる安心できる居場所だ。だから、リンを失いたくない。

(でも)

 キリアは聖杯を確認する。アイドルの泉の効果で、アドミレーションは再び輝化ができるまで回復していた。しかし、このイドラに対抗できるほどではない。

 だからといって、完全な回復を待っていれば、その隙にリンがイドラに奪われてしまう。リフレクトで、イドラ・アドミレーションを吸収すれば、リンを助けることができるが、自分がイドラ化してしまう。

(怖い……)

 いったい、どうすれば――


 ――アドミレーションを吸収し、解放する。リフレクトでできることは、本当にそれだけか?

「それ以外にできることはありません」

 ――そうか……おまえもまだ自分のスキルの特性を理解しきれていないみたいだな

「スキルの特性……」

 ――あたしがリフレクトを使ったときに気づいたことだ。おまえのスキル特性は、アドミレーションの吸収と解放だけじゃない。濃縮も可能なんだ

「濃縮……」

 ――顔のイドラが発するアドミレーションの密度は、リンのアイドル・アドミレーションよりも濃いんだ。だから、彼女がいくらアドミレーションを注いでも、あの顔のイドラの優勢が変わらないんだよ

「アドミレーション密度……」

 ――アイドル・アドミレーションを、おまえのリフレクトで吸収して、聖杯の中で濃縮する。そして、濃縮したアドミレーションをイドラにぶつけることができれば……

「あのイドラを退けることができる!」


 それができた自分の姿をイメージする。アドミレーションを吸収して、聖杯の中で留めつづければ……。キリアはリンの後方に回り込んだ。後ろから語りかける。

「今から、わたしにできることをさせてください。だから、もう少しがんばって」

 リンは、苦しそうな表情で一度うなずいた。

 キリアは、リンに寄り添って後ろから抱きしめる。

 コンクエストスキルを発動し、リンがイドラに対して使用できずに発散しつつあったアドミレーションを吸収しはじめた。あっという間にキリアの聖杯がリンのアイドル・アドミレーションで満たされていく。心の中が橙色の光で満たされる。

 吸収したアドミレーションを聖杯の中で解放するイメージ。

 アドミレーションが、聖杯の中で反射を繰り返す。

 たくさんのリンの声が聞こえてきた。アドミレーションに残された、リンの意思だろうか? それらがやがて、ひとつの言葉に集束していく。

 ――もっと先にっ、まだ先へ! こんなところで止まっていられないんだっ!

 リンはなぜ、こんなにも先にこだわるのか。先とはいったいどこなのだろう?

(そして……わたしはどこに行こうとしているのだろう)

 いくつもの言葉が反射を続け、思いが磨かれた結果、密度の濃い思いが残る。それが、濃縮されたアドミレーションだった。

「あ、ぐぅっ!」リンが苦悶の叫びをあげる。「キリアさん、離、れて、ください。もう……」

「リンっ! 今度はわたしが助けます!」

 キリアが聖杯で濃縮された「錬成アイドル・アドミレーション」を解放した。泉全体をまぶしいほどに照らす、するどい輝きが両手に現れる。その両手で、リンの胸に突き刺さった杭を、つかんだ!

 ぎぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ――

 ふれた直後、目の前で浮かぶ顔のイドラが泉に響き渡るほど大きい悲鳴を上げ、暴れまわる。

 ゆっくりと力をこめて杭を引き抜いていく。杭の先端が見えたとき、これまで侵入していたイドラ・アドミレーションもいっしょに排出された。

 杭となっていた人差し指だけでなく、「右手」全体が焼けただれたようにぼろぼろになっていく。さらに力を入れるとかたちが崩れた。破片が泉に落ちて、蒸発をはじめる。

 いぃたぁあああいぃぃぃっ――

 イドラの悲鳴が変化した。人間の言葉のように聞こえる。顔を上げると、のっぺらぼうの顔と両手だけの異形のイドラは、姿を変えていた。いびつな形のキリアに似た黒い人形だった。

 しまりのない四肢を振り乱して回れ右をし、キリアとリンから逃げるように、泉の奥の方へ移動をはじめる。芯のない粘土細工が歩いていた。キリアとは似ても似つかない。

 キリアとリンがうなずき合う。声を合わせて輝化を宣言した。

「輝け!」

 二人が紅黄色と橙色の輝化甲冑をまとったあと、キリアが残りの錬成アドミレーションを解放した。半分を自分の長剣にまとわせる。そして、もう半分をリンに渡した。リンは、そのかたまりを右手で受け取り、アスタリウムに変えて、投げ槍に成形した。

 橙色の閃光をたずさえる二人の騎士が互いに目配せをする。そして……

 リンが右手を振りかぶり、逃げるイドラに向かって振り下ろす! リンの手から離れた閃光は雷のような速さと激しさでイドラに着弾した。

 ばちぃぃっ!

 まるで型抜きでえぐったように黒い粘土人形の右上半身が消滅した。

 しかし、イドラはそれを気にせず穴が開いたまま、よたよたと逃走を続ける。

 キリアは、橙色に強く輝く長剣を構え、逃げるイドラに向かって駆けだした。

 すると、アドミレーションに反応したのだろうか。突然イドラが反転し、キリアに向かってきた。不自然に大きくなった左手を振りかぶっている。

(きっと……このイドラはさっきまでの「わたし」だ。これまでの人生で溜めてきた「誰かに認められたい」という思いが核となり、デュラハンが残していったイドラ・アドミレーションを利用して形成されたイドラだ。

 自信がなくて、のっぺらぼうの顔を見られるのが怖い、わたし。誰かに認められてはじめて生きていてもいいと思える、わたし……。

 それならば、わたしは「わたし」を斬り、新たな自分になる!)

 互いに駆け寄るキリアとイドラ。キリアは落ち着いて間合いをはかる。じっくりとイドラを引き付け……、剣を右から左へ斬り上げる一閃!

 イドラの胴が真っ二つになった。そして、斬り上げた体勢からそのまま剣を振りかぶり、一気に振り下ろす!

 閃光をまとった長剣がイドラを縦に焼き切り、さらに泉の水面を割った。

 破裂するような大きな水音とともに、液化アイドル・アドミレーションが高く舞い上がる。ぎぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ――

 断末魔の叫びは、アドミレーションの水滴で洗い流されるように消滅した。


 泉の液化アイドル・アドミレーションに濡れたまま、息を整えていると、アイドルの泉全体が強く輝きはじめた。

 水面だけでなく、周りの草木に飛び散った液化アイドル・アドミレーションが強くまぶしく輝いている。まるで、さきほど使用した橙色の錬成アドミレーションを写し取ったような色だった。幻想的な光景を前に、キリアが思わず口を開く。

「きれいだ……」

 リンがとなりに立ち、キリアと同じ光景を見る。

「そうですね……。本当にきれいです」

 リンと向かい合い、改めて感謝の言葉を伝えた。

「わたしを救ってくれて、本当にありがとう。リンは、わたしのアイドルです」

「キリアさんにそう言ってもらえるなんてっ……わたし、とてもうれしいですっ!」ひと回り背の低いリンが上目づかいで尋ねた「五年前なんですけど、覚えていますか? わたしもキリアさんに命を救われたんです。そのとき、あなたに憧れて……だからアイドルになったんですっ! わたしの目標は、キリアさんです。あなたのように強くてやさしい、凛々しいアイドルになりたい。そして、あなたを越えたいと思っていますっ!」

 リンは顔を真っ赤にしながら、気恥ずかしそうに、でも懸命に伝えた。

(ああ……やっぱり思ったとおりだった)

 彼女のように、自分を肯定して、まっすぐ前を向いて突き進める人になりたい。

 認められて安心して、自分をその人に預けて頼るのではなく、どこに行くのか、何をするのかはっきり見定めて、突き進みたい!

(ここが、わたしの居場所だ。わたしが、わたし自身の手で、守り広げていく場所だ)

 キリアがリンの手をにぎる。

「えっ?」リンの顔がさらに真っ赤になる。「どっ、どうしたんですか? キリアさん」

「わたしのライバルになってください」

 キリアはじっとリンの目を見つめる。

「リンの目標は、わたし。そして、わたしの目標は、リンなんです。そんなふうに互いを認め合える相手であってほしい。

 そして、これから先、同じ失敗を繰り返さないように、誰かに自分を預けてしまわないように、ライバルとなって、わたしを見ていてほしいのです」

 キリアの言葉とともにリンは表情が引き締まっていく。最後に彼女が宣言した。

「はいっ! キリアさんのことをちゃんと見ています! これからよろしくお願いしますっ!」

 キリアとリンは微笑み合い、互いに握手をする。

 遠くからリンを探すキャメロットの三人の声が聞こえてきた。

「さあ、行きましょうっ!」

 リンがキリアの手を引いて、歩き出す。

 これが新しい生き方、生まれ変わった姿だ。そう思うことができる。そして、今の自分の方が、さわやかで気持ちが良かった。

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