サンドボックス

妖精からっぽまる

『末永く』#殺伐感情戦線「祝福」より

 揃いの花嫁姿で二人が身を寄せ合う写真に、アデーレ・バルフェットは目を凝らしていた。現在の技術力では、写真に色を写し取ることはできない。しかし、二人のはにかんだ顔を見れば、桜色に染まった頬やぷっくりと膨らんで生気に満ちた唇は一目瞭然だった。充溢する生命は、永遠の若さを得た少女が代わりに棄てて久しい全てに違いない。眇める紅い瞳は血の色を透かしているはずなのに、人形の顔に嵌ったガラス玉によく似ていた。


「まったく、お転婆娘がいい格好するものね。私に公務がなかったら、あなたがどれだけ軽率で無鉄砲で、到底一緒に生活するべき人間じゃないかを語り尽くして、細君の肝を冷やしてやったのに!」


 つぶやき、と言うには騒々しい独り言が書斎を揺らす。チェスの駒を象った風変わりなランプ──かつて盛大な戦勝を記念して作られたもの──にぼんやり照らされる彼女の横顔は、言葉尻と裏腹に目元まで穏やかで深い笑みを湛えていた。まるで、娘を遠い場所へ送り出す母のように。


 書斎の後景では黒髪の侍女が、台に積まれた蔵書を一つずつ書棚の一番高い段に戻していた。吸血鬼には困難だが需要が高い作業であるところの「虫干し」を完了し、主人に言いつけられた数時間に及ぶ作業は単純な最後の工程を残すのみと見える。それに気づいて、ぱちん、と手を打ち合わせる音が鳴った。


「丁度いいわ。あなた……シオンだったかしら。こちらに来て私の話を聞くのよ。淑女として、最高の反面教師になる女性のことを教えてあげる」


 一瞥もせずに呼びつける主人の声。侍女の手は震え、危うく手中の貴重な一冊を取り落しそうになる。


「あと10冊ほど残っておりますので、収め次第……」


「最新の命令を優先なさい。私は一秒ごとに偉大になっているんですもの!」


 不条理な奉公を長続きさせる者は、できるだけ少ない試行回数で、古き夜の子に理屈で戦うことの無意味さと危険性を悟っていく。侍女が轟く声に身を晒して跪くと、傲慢な主は満足気に口元を歪めて椅子から立ち上がった。一人語りを聞かせるに際しては、相手の周りを円を描くように歩き回るのが彼女の癖で、そうすることで記憶に深く穿たれた過去のらせんに没入していくのだった。


* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 

 

 8年前、多忙な仕事を終えたバルフェット女伯の短い午睡は、しばしば爆発音によって破られていた。この旧い吸血鬼の下に食客として抱えられた若き錬金術師が実験に失敗――あるいは、想定していない形の成功――すると、広大な屋敷の端から端まで衝撃が走るのだ。


 天井に穴が空いているかもしれないという恐れから、アデーレは耐陽光布のローブですっぽりと身を覆った。この珍しい召し料は、厄介事を撒き散らす客人を敢えて手元に置いておく理由のひとつだ。永すぎる時間を退屈と共に戦い続ける者にとって、まだこの世にないものを作ろうとする人間に資金や場所を恵んでやるのは大きな娯楽の一つと言える。だからこそ、寝室を出て急拵えの錬金棟に向かうアデーレは呆れたようなため息をつきながらも、足取りはどこか弾んでいた。


 ややあって実験室と堅牢な石張りの廊下を隔てる鉄扉の前に着くと、その覗き穴越しに吸血鬼と錬金術師の視線が合った。穴はアデーレのごく短い上背を基準に穿たれており、対する少女は平均的身長ながら、些か窮屈そうに腰を落としていた。室内には、事故で火災を起こさないよう防護された照明以外の光源はなく、陽光が差し込んでいる危険はない。


「リオナ、また愚かな実験をしていたのね」


「アデーレさんの基準に照らして考えると、そうだね」


「分かっているじゃない。戦場では、成功しなかった計画は全て愚行よ」


 フードを降ろしてふんすと鼻を鳴らせば、ツーサイドアップの金髪が揺れる。出資者の仕草や格好はいちいち子供じみていて、かつて類稀なる戦勲で吸血鬼への『栄爵』を許された人物だと、リオナには信じられなかった。


「備品の状況を確かめるわ。入ってもいいかしら」


「うん。最低限の後片付けとか、換気とかは、一人で済ませたから」


 即ち、事故の規模は小さかった、というわけだ。アデーレは安堵し、自分が定命の生き死にに心を動かされている事実そのものが、小さな快楽の波を湧き起こすように感じた。案じるほどに価値のある人間は、ただ金と時間を湯水の如く使えれば見つかるものでもない。得難い星の巡り合わせこそが重要なファクターなのだ。


 了承を受けて扉を開くと、そこにはアデーレにとっては親しみやすい香りが充満していた。つまるところ人間にとって快適な空間ではなかったが、リオナはけろりとしている。或いは、同種の実験を以前から反復して慣れたのかもしれなかった。


「……血? それも壁のあちこちにこびり付いて、試験管の一本や二本なんて量じゃないわね」


「実は、人造人間ホムンクルスを作る実験をしてたんだ。今回は結構うまく行ったんだよ? 人のカタチになってピクピク動くし、なんなら口を開いてくれるぞ、と思ったら……急に仮想元素が不安定になって爆発しちゃった」


「あら。錬金術って、何が何でも爆発させないと気がすまないのかしら。とは言え、成功しかけていたのは嘘ではないようね。あそこに掃き溜めてあるのは脳漿で、机にへばりついているのは潰れた目玉だもの」


「ねー。愚かかもしれないけど、凄いでしょ?」


 吸血鬼に仕える者やパトロンとして仰ぐ文化人は、多くの場合彼らの残忍な感覚への嫌悪感との戦いに神経を尖らせる。しかし中には、術策よりも無頓着さで血腥いやり取りを受け入れてしまう者もいる。リオナはぼさぼさの髪を煤だらけの手で掻いて、にへらと笑った。つられて、アデーレも思わず頬を綻ばせた。


「凄いかもしれないわね。でも、人間は今でも人間の手で生み出す事ができるじゃない。高級な錬金試薬をふんだんに使ってまで、既にこの世にあるものを改めて造る。そんなことに意味なんてあるのかしら?」


 だが、出資者としての視点は容赦がない。これは彼女が個人としてリオナを好ましく思っていることとは、全く別次元の問題だった。


「いいねー。アデーレさんらしい疑問だよ」


「せめて費用か育成にかかる時間のどちらかでも切り詰められれば、兵士や貯蔵血液として利用できる可能性が見えてくるわ。だからこそ、あなたの実験を恩情を以て見守っているのだけれど……」


 実際のところ、生命を資源として扱う者にとって、下々の民からの政治的な収奪は日常だ。対象がただの人間から人造人間ホムンクルスになった所で大差はなく、議論の焦点はどれだけ効率の改善が見込めるかであり、現状では前途は暗い。

 

「便利でなければ新しくもないものを作るなんて、たしかにあたしらしくないって、自分でも思うよ。でもアデーレさんは誤解してる。今目指しているのは、ちゃんと便利で新しいものだからね」


 それは一体、とアデーレが口を開こうとするよりワンテンポ早く、リオナは畳み掛けた。


「ねー。アデーレさんはさー、人間だった頃から女の子が好きだった?」


「なっ……あなた、いつものことだけど随分と唐突ね」


「で、実際どうなの?」


「……、……好き、だったわ。リオナが感じているのと同じように」


 単純でそれでいて胸を抉る問いかけに、アデーレは確かな答えを返すまで数秒の時間を要した。


 彼女が吸血鬼となる道を選んだ動機の一つは、貴族に求められる義務的な婚姻を回避することに他ならなかった。定命の生命を捨てることが大いなる神秘的犠牲だと捉えられている国家において、かような内心の吐露は許されない。だが、いつか愛しい誰かに全てを擲ってでも語れればと夢見る想いもあり――言葉を発するに至るまでの逡巡は、殆どがそんな苦悩に捧げられたものだった。


「あたしはね。自分の血から、自分の形質を受け継いだ人造人間ホムンクルスを作っててさ。それでこの研究がうまく進めば……どうなると思う?」


* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 


 リオナ・クーフィールドからアデーレ・バルフェットに結婚式の記念写真が送られてから、既に35年の年月が経っていた。その間、手紙と共に断続的に送られてきた何十葉もの写真は、一人の人間の歴史をひと繋がりの物語として伝えてくれた。燃え上がる恋を叶えた若き蛮勇の錬金術師が、いつしか宿願を叶え、やがて穏やかな母として静かに枯れていくという筋書きを。


「ねぇ、シオン」


 呼びつけてから、アデーレはその侍女が先月に奉公を満了して故郷に帰ったことを思い出し、顔をしかめた。例え代わりが効く人間だとしても、長年使ってきたものがなくなれば、慣れることには時間がかかる。ましてや、唯一無二の価値がある相手ならば?


 今アデーレの手には、最後の手紙があった。それはリオナの葬儀の招待状であり、「母の若き日の恩人を一目見たい。貴人の都合がなかなかつかないことは百も承知だが、私にとっては一生に一度と思って見に来て欲しい」という旨が熱っぽい筆致で綴られていた。そのお世辞にも洗練されているとは言えない、暴れる筆跡は、リオナの実験ノートに残されたものとよく似ていた。それに、自分より上の立場であるはずの相手に、無茶をふっかけるところも。ああ、長年に渡る成長の記録を具に見ていれば、面立ちや振る舞い、更に才能あふれる機知までもが、生き写しだということがわかる。そこには歳を経るにつれて彼女の母が失っていった純粋さな荒々しさと、柔らかな肌が、一切損なわれることなく受け継がれている。


 もう、失いたくはないものを。


「ねえリオナ。夢を叶えてもらうために、私はあなたを同族にはしなかった。それにあなたが手に入れた幸せが、自分のもののように嬉しかった。今だって忘れていない、嘘偽りのない祝福よ」


「でも……私は同じ失敗はしない。あなたの生涯が、出会いは奇跡だってことを教えてくれたのよ」


 アデーレは立ち上がり、コートハンガーにかけられた外套に袖を通した。それは2年前に送られてきた最新版の耐陽光布で出来ている。もはや葬儀の始まりなど──いや、次の夜さえも待ってはいられなかった。


「今度は、私の夢を叶えさせて頂戴」


 軽い喉の渇きが過ぎったが、出発前の食事は取らないことにした。このまま腹を空かせておけば、目的地に辿り着く頃には、獲物からすべての血を飲み干したくてたまらない気分になっているだろう。次に帰ってくる時は、新たな仲間の誕生を寿ぐことになるはずだ。

 



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