第2話 光に濡れる歯車


 廃棄場を後にしたマウンはしばらくして研究所内の全ての部屋を回り終え、施設内の休憩室に置いてある椅子に座り込んでいた。


 この部屋には施設内の研究員も何人が同室していて、少し耳を傾けると彼らの談笑が聞こえてくる。

 いくら<想起>によって他者の視界に映らなくなっているといっても大胆に過ぎる。

 しかし、そんな当たり前をぞんざいにしてしまうほどに彼は疲れてしまっていたのだ。


 この施設はそれなりに広く、2,3時間ではとても回り切れないほどの部屋数があり、そんな膨大な数の部屋を巡ったのだから無理もないのかもしれない。


 彼がこれほど念入りに潜入先の施設内を探索することはなかなかない。

 ならばきっと興味深い、実のある成果を得られたのだろうと思ってしまいそうになるが、その真逆の状態に陥っていたのだ。


(困った。本当に困ったな)


 ほとんどの部屋を歩き回ったにもかかわらず、資料の一枚すら見つけられずに困っていたのだ。


(書庫どころか、どこの部屋にも研究資料が見つからない。もしやないのか? それだと彼らはどうやって研究内容を共有しているのだろう?)


 彼は「まさか、口頭で情報共有してるのではあるまいな」と考えていたところ、ふと近くの職員の声が聞こえてきた。


「なぁ、この間の実験のデータってどこにいれてたっけ?」

「ん? あぁ、それならメインルームのPCに入っているぞ」


 …………。


(そういえば、今はぴーしーとかいうカラクリが流行っているとか聞いたような……)

 マウンは顎をさすりながら心の中でつぶやく。


 くどいようだがマウンは機械がとても苦手だ。

 残念ながらこれまではPCを必要と感じる機会もなく、PCについては操作はおろか、触ったことすらなかったのだ。


(なるほど……ここでは紙ではなく、ぴーしーで研究資料を保管しているのだね)


 マウンは職員の後をつけてメインルームにやってくると、職員が操作するぴーしーを後ろから覗き見た。

 自分で操作するほうが効率よく情報収集ができるはずだが、PCの操作方法を知らないマウンは、手間であろうが今回は受動的な姿勢に徹したのだ。


 カタカタとキーボードが叩かれ、モニターに今年の頭から現在までの実験経過の記録が映し出される。


(ふむ。これが"この間"やったという実験か)


 それは模造能力と呼ばれる、<想起(メノン)>の模倣品を生み出す実験。


 大間は異能の成り立ちを人の手で模倣することにより、<想起>の起源に迫ろうというアプローチを試みているらしい。


 しかし、<想起>は人の手によって簡単に与えることのできるものではない。そんなことができるならこの世は想起者であふれかえっているだろう。


 そう。"簡単"にはできない。


 ここで行われていたのは明らかに非合法なものだった。


 それは人間の精神へ強引に干渉する実験。


 精神は<想起>に深く関わるものであり、力の制御を担う役割を持っている。

 これは現代社会が有している、<想起>に関する数少ない情報の1つだ。


 大間はその情報を元に、精神が不安定で比較的干渉しやすい年代と思われる幼い子供を集めた。


(先ほどの少女たちもこの実験の犠牲者というわけか)

 廃棄場に安置されていた子供たちの遺体を思い出すマウン。


 これまで被検者となった子供は106名。うち、97名は失敗、処理済み。


 収容された子供たちは人権を奪われてモルモットのように扱われ、つい先週にも5人の子供が廃人になり、処理されたと記載されている。


(……よくもまぁ、平然でいられるものだ)


 マウンはこの研究所で見かけた職員たちの平静な様子を思い出す。


 事前に彼らの情報を持っていなければ、きっとただの善良な社会人にしか見えなかっただろう。


 もはや、ここの職員は命を奪うことに対して何とも思わなくなったのか。

 ……あるいは初めから何とも思わなくなったのか。


 どちらにせよ、彼らは人に生まれながら自分の意思で人以下の獣に成り下がった世界の悪。


(調べものの手間は増えるが、もう消してしまおう)


 この研究所の職員の抹消を決意するマウン。


 とても過激な発想であるが、彼は別に激情に駆られているわけではない。


 そう。ただ『気持ち悪かった』のだ。


 こういった不出来な生命が存在することに、マウンは不快感を示したというだけなのだ。


 これは彼にとって唾棄すべき人間の悪性。


 冷めきった視線を目の前の研究者に向け、手始めに彼を『処理』しようとするマウン。


 どんな殺し方がいいだろうか、と自分の扱える無数の細菌の中から相応しいものを見繕い始める。


 唐突に歪む、彼の周囲の空間。

 その歪(ひず)みから無数の生き物が現実に顕現する。


(うん、これでいいかな) 

 一人頷くマウン。

 

 彼の生み出した無数の生物———細菌が目の前の研究員を覆うように蠢(うごめ)く。


 しばしば他人の施設に潜入しているマウンにとって、今生み出した種類の細菌はとても使い勝手がよく、愛用しているものの一つだ。

 この細菌の性質は『貪食』なところであり、潜入時の有用性は極めて高い。


 捕食の速度等はマウンの思うがままに調整できるが、その気になればどんな巨大な生物すらも一瞬のうちに骨すら残さず平らげることが可能なのだ。


 この凄まじい貪食さは潜入現場でも証拠あるいは証人の隠滅に大いに役立っていた。


 この細菌は肉眼ではとても視認できない透明かつ微細なものなので、研究員は今まさに自分の喉元に食いつかんとしている彼らに全く気付かずにPC操作を続けている。


 後はマウンが一つ指示を飛ばすだけで研究員は何が起こったのか理解することも出来ず、この細菌たちに跡形もなく捕食されるだろう。


 だが次の瞬間。

 衝撃のあまり、彼は手を止めてしまう。


(これは……!)


 ちょうど職員が実験の成功者リストを閲覧していたところだった。

 リストにはその被検者の能力の詳細や収容している区画が記載されていた。

 その成功した被験者の内の一人――まだ12歳の男の子の異能の詳細を読み、急ぎ足でその場を離れる。


 マウンはあまりの興奮に足音を抑える努力すら放棄し、カツカツと靴の音を響かせながら部屋を後にした。


 唐突に鳴り響いた靴の音。

 PC操作をしていた研究員は驚いて後方を振り向くが何も視認できず、まるで幽霊に出くわしたように顔を青ざめていた。


 そんな様子を意に介さず、マウンは『彼』に会うために足を早める。


 まるでパズルの無くしていた最後のピースを見つけたような気分だった。


(彼が実験で付与された模造能力は『強化』。そして生来の<想起>は……)


 マウンは記載されていたデータの内容を思い返して、胸の中を熱が帯びていくのを感じた。


 いつぶりだろうか。

 彼は久しく忘れていた高揚を覚えていた。

 希薄になっていた、自身でも残っているかわからなかった情動が殊更に自己主張し、四肢を力強く後押しする。


(天園真人(あまぞのまなと)……)


 彼こそが僕の願いの『鍵』になるかもしれない。


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