第3話 世界から零れ落ちたもの


 少し歩くと、彼が収容されている区画に着いた。


 子供達が収容されている部屋がところ狭しと並んでいるのだが、とても騒ぎ盛りの子供がいるとは思えないほどに閑散とした雰囲気に包まれていた。


 恐らく、被験者の脱走を防止するための処置なのだろう。


 どの部屋も窓すらなく、入り口は分厚い鉄板の扉が備え付けられており、その扉には部屋番号を示す文字が記されていた。


(彼の部屋番号をS-98854だったね)


 先ほどのメインルームで映し出されていた天園真人の情報を思い出すマウン。


 マウンは件の番号の部屋の前にたつと、異能で生み出した細菌を使って鉄板を溶かし、中へ入る。


 部屋の中は簡素な構造で、トイレと洗面台がある以外には毛布が一枚置いてあるだけ。まるで刑務所の独房を彷彿とさせるものだった。


 そこには暗い雰囲気を漂わせつつも、瞳の奥に確かな炎を感じさせる少年がいた。


 被験者の誰も彼もが絶望しているこの無情な地で、未だに自分の人生を諦めていない。そんな瞳だった。


(ん……?)


 マウンは思わず彼の腕をまじまじと見る。

 彼の左腕の手首に恐らく深々と切り裂かれたであろう傷の痕跡を見つけたからだ。


 傷口自体はずっと前に塞がっているようだが、未だに消えぬ跡が当時の凄惨さを物語っていた。


(ここは誰も彼もが精神をいじくられるという拷問以上の苦痛を強いられていたが、一人も外傷を与えられるような実験は行われていなかったはずだが……)


 彼はここの実験の数少ない成功した被験者。

 そんな彼だからこそ別途、何かしらの実験をしたのだろうか。


(……まぁ。生きているのならそれで問題ないか)


 彼の手首の傷のことを頭の外に放ると、マウンは真人とどう友好的関係を築くか考える。


(まずは彼の警戒心を解くように優しく接さないとだね)


 マウンは会話の方針を決めると、できる限りの笑みを浮かべて真人に声をかける。


「やぁ。君が真人君だね。助けに来たよ」


「……助けに?」


 やはり環境が環境なだけに疑うような目をマウンに向ける真人。

 今まで、この施設で散々非道な大人たちを目にしてきたのだ。

 ならば、マウンもまた彼らのように悪い人間なのではないかと疑うのは当然のことだろう。


 程なくして真人は疑惑の目を半眼に変えてマウンを見つめる。


「兄さん……なんか目が死んでるし、どう見ても助けに来た人には見えないんだけど……」


(……そんなに僕の顔つきってやばいのかなぁ)


 真人の歯に衣着せぬ物言いにちょっぴりショックを受けたマウン。


 そこまで非人間な顔をしていないとは思うが、マウンは感情の希薄な日々を送ってきたのだ。


 普通の人は日々、家族や友人、恋人など様々な他者と接して己が内に沸き起こる感情と付き合いながら生活するにもかかわらずだ。


 ならば、彼のようにまともでない日々を過ごしていた場合、顔つきまでまともでなくなるというのはありそうでなかなか強く否定できなかった。


(困ったな。これなら子供との接し方の本でも読んでおくべきだった)


 さて、どうやってこの事態に対処すべきか。そう頭を抱えていたときだった。


「天園君。そいつは誰だい?」


 不意に後ろから声が聞こえた。


 マウンが振り向くと小綺麗な白衣を身にまとった中年の男が部屋の入口に立っていた。

 服装からして、ここの研究者だろう。

 

「……あれ。本当に助けに来てくれてたのか」

 白衣の男がマウンに警戒の目を向けているのを見て、ようやく彼の言葉を信用した真人。


 理解してくれたのはとてもありがたいのだが、敵であるこの研究所の人間の評価によってようやく説得できたというのは実に気持ちが複雑になる思いだ。


「あぁ。物分かりがよくて助かるよ……」

 自分の酷すぎる評価に、マウンは涙がこぼれそうになるのを我慢して笑った。

 流石に子供の前で情けなく泣くわけにはいかないと思ったので頑張ってこらえた。


 そんなマウンらの緊張感のない様子を気にくわないといった顔で見る白衣の男。

 気分を害した彼は口元を大きく歪ませ、今にも罵声を飛ばしかねない様子だったが寸でのところで思いとどまり、口元を正す。


「私はここの所長。大間金義(おおまかねよし)だ。君は一体誰なんだ?」

 大間は敵意のこもった視線をマウンに向けた。


 丁寧な物言いではあるが。


(……この施設の長か)


 恐らく、この男は研究所という自分の庭を荒らされて怒っているのだろう。


 しかし、マウンは大間の怒りを理解できなかった。 

 いや。彼が怒る資格を持っていると思い込んでいることが理解できなかった。


(おびただしい数の悪行に手を染めてきた彼が権利を主張するなんてお門違いなのだがね)


 ……まぁ、放っておこうか。


 真人君を無事保護『した』ことだし、わざわざ彼に付き合う必要はない。


 そう思ってマウンは真人君の手を取り、そのまま彼の横を通ろうとした。


 すると大間は彼の態度が気に食わなかったのだろう。

 顔を真っ赤にして激昂し、自身の<想起>――"自己改造"を発動した。


 そう。所長である大間もまた想起者(メノシアン)であったのだ。

 

 彼の<想起(メノン)>強度を示す『干渉力』はBレート。

 そして『自己改造』は想起者本人の身体能力を上昇させる<想起>。


 Bレートの『自己改造』ともなれば腕力や脚力は勿論のこと皮膚の強度も上昇し、その体は銃弾すら弾き返す鋼の肉体となる。

 能力の上昇は個人差があるが、平常時の7~10倍になる者がほとんどだ。

 

 そんな強烈なパンチをマウンの頭に叩き込もうと腕を振りかぶる大間。


 様子を見ていた真人は短い悲鳴を上げた。


 何故なら次の瞬間、砲弾のような凄まじい殴打によって、隣の男の頭ははじけ飛んでいるに違いないのだから。


 真人はこれから起きる惨状から逃れるように目をぎゅっと閉じた。


(ごめんよ、俺なんかを助けようとしたばっかりにあんたは死んでしまう)

(俺が諦めなかったばかりに。力がないくせに自由を求めたばっかりに……)


 自責の念に駆られる真人。

 自分の力で出られないなら他人の力を借りれば、と甘えてしまった自分を呪った。

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