未来はあなたの手の中

あるむ

1.

 おなかがうっすら汗をかいている。冷たいペットボトルが2本と500mlの缶が2本、新発売のシールが貼られたプリンがひとつ。ガサガサと僕の中で揺れている。


 ぼくを持っているこの人は、鼻歌なんか歌っちゃってご機嫌みたいだ。視界の左側に広がる植木の影から、真っ黒いコオロギが美しい声を響かせている。


 ぼくはこれからどんな場所に連れていかれるのだろう。ワクワクとちょっぴりの不安を抱えているうちに、どんどん道が変わっていく。


 コンビニの前の綺麗に舗装された道を抜け、公園の地面が現れる。土のにおいを体いっぱいに吸い込むと、ぼくのかいた汗に土がくっついてくるような気がした。アパートのちょっとだけ錆びついた階段がカンカンと小気味いい音を立てたと思ったら、明かりに包まれた。


「ただいま~」


 外より少しだけあたたかく、光が溢れた明るい部屋だった。


 ドサッと下ろされて、右下のあたりがくしゃっと折れた。ひとつだけ入っていたプリンが横になったのが分かった。


「買って来たよ」


「ありがとう。……ねぇ、エコバック持って行かなかったの?」


「3円くらい、たいしたことないだろ」


「チリツモよ。次からは持って行ってね」


 へーへーと言いながら、ぼくを運んでいた男の人は500mlの缶を1本抜いて、遠ざかっていった。


「冷蔵庫に入れてくれてもいいのにー」


 キッチンの方から女の人が出てきて、ぼくの中に入っているものを全部出して冷蔵庫にしまっていった。その白くて細い手がとっても綺麗で、ぼくはドキリとした。


 ぼくはそのまま無造作に丸められて、カサッとどこかへ投げ込まれた。


「あら? 新人さんが来るなんて珍しいわね」


 ずいぶんとくたびれたビニール袋がぼくに話しかけてきた。体にはでかでかとスーパーのロゴが入っていたけど、色が褪せてまだら模様になっている。


「最近、わたしたちって有料化になったんでしょ?」


「そうですよ。あなたみたいにロゴや名前が入っている仲間はほとんど見なくなりました。かなり前からここにいるんですか?」


 多分、先輩だから丁寧に話しかけてみる。すると彼女は小刻みに体を揺らして、カサカサと音を立てた。


「そんなに年寄りでもないんだけどね。ちょうどいいサイズなんだと思うの。エコバックに入りきらない分ってどうしてもあって、そういう時に一緒に連れて行かれるのよ。だからこんなによれよれになっちゃった」


 クスクスと笑いながら、少しだけ恥ずかしそうに彼女はそう言った。


「エコバック?」


「ほら、あっちの棚にカラフルな子たちが眠っているでしょう? わたしたちが有料化になってから、おしゃれでかわいい子たちが、わたしたちの代わりに食材や日用品なんかを運ぶ仕事に就いたのよ」


 首をひねって、彼女が見上げたあたりを見つめてみる。ほんとだ。ピンクや青や緑や花柄なんかの柄まで入ったサイズが様々のバックが、一つ所で眠っている。リビングから漏れる明かりが、そのカラーリングの鮮やかさを際立たせていて、ぼくとおなじように新品なのがよくわかった。


「ぼくたちはどうなるんでしょうか」


 外に出れた喜びよりも、これから行き着く未来を想像して不安になった。


「そうね。わたしたちは使い捨ての運命だから最後はゴミ箱行きよ。きちんとゴミ箱に帰れればいいけど、その辺に捨てられてあてもなく彷徨ってしまう仲間もいるそうよ」


「そんな……、脅かさないでくださいよぅ」


「ふふふ、大丈夫よ。ここの人間はわたしたちをちゃんと使って、時が来たらゴミ箱に帰してくれるから」


「最後はゴミ箱に行かなきゃいけないんですね……。もっと色んな景色が見れると思ってたのに」


 未練がましくこぼしたら、彼女は憐れむように体を縮めてカサリと音を立てた。


「ねぇ、わたしの後ろの方に、新品の小さなサイズの仲間がいるのだけど、あなた、見えるかしら」


 頭を持ち上げて、彼女の後ろの方に目をやると、輪ゴムやラップやアルミホイルの束の間に、本当に小さなサイズの仲間たちがみんな仲良く繋がって出番を待っていた。


「あの子たちは……?」


「ちょっと前まで、人間たちは生ゴミや部屋のゴミをまとめる時に、スーパーやドラッグストア、コンビニなんかで連れて来たわたしたちの仲間を使っていたの。それが有料化になって、わたしたちを買うって感覚になったのね。日常でわたしたちが使われていたシーンでは、わたしたちを受け取らなくなって、代わりにゴミを捨てるためだけに、もっと安い仲間たちが買われるようになったの」


「どういうことです?」


「つまりね、あの子たちは外の世界を見ることなく、生まれたばかりの新品の状態のままゴミ箱へ帰らなくちゃいけないのよ」


「そんな……。この部屋だけで終わってしまうってことですか?」


「ええ、そうよ。だから、わたしたちは幸せ者よ。外の世界をまだ見ることができるんだもの」


 そうなのかな。そうなのかもしれないけれど、ぼくはどう反応していいか分からなかった。


「良い方に考えましょ。あなたはまだ新品で、ここにいるんだから、これからたくさんの景色が見れるはずよ。そういう未来にワクワクしましょうよ」


 小さな子供をあやすような調子でぼくに言う彼女。彼女は一体どんな景色を見てきたんだろう。エコバックの子たちに囲まれて、肩身の狭い思いもたくさんしただろうに。それでも明日に希望を持って、心穏やかに今を過ごそうとしている。


「そう、ですね。ぼくもそう思って明日から過ごしてみます」


 努めて明るく、ぼくは言った。


 それから彼女にせがんで、色んな外の景色を教えてもらった。家から近い場所にあるスーパーやドラッグストア、ぼくがいたコンビニの場所。そこに行くまでの道で出会う小さな生き物たち。人間たちの賑やかな声。草が生い茂っている場所は、体が破れないように注意すること。夕焼けの茜色の鮮やかさ。夏の日差しの力強さ。雪の幻想さ。色とりどりの花が咲き誇る春の美しさ。


 彼女はたくさんの季節を、この人間たちを支えてきたんだと分かる話だった。うっとりと思い出しながら話してくれる彼女がとても素敵だった。


「そろそろこのビニール袋も捨てなきゃな~」


 ふいに頭上から声が降ってきた。


 あの白くて細い手が彼女を掴んだ。


「ふふ、お別れね。あなたはあなたの景色をたくさん楽しんで。もし、新人さんが来たらその世界をちょっとだけ教えてあげてね」


 待って。まだ話し足りないことばっかりなのに。


 そう言おうとしたけれど、言葉にならなかった。彼女は満ち足りた顔で、白くて細い手に握られ、運ばれていく。転がっている玉ねぎたちの頭を軽々と越え、綺麗に並べられた食器類の鼻先を通り過ぎ、部屋の奥へ鎮座している灰色のゴミ箱へと帰って行った。


 彼女は最後にふんわりと笑って手を振ってくれた。


 あの白い手は天使のように綺麗だと思ったのに、彼女を連れ去る悪魔の手になってしまった。


 それでも、きっとあの手に連れられて外の景色を、ぼくは見ることになるのだろう。


 良いことも悪いことも、いつもおんなじところにあるんだ。


 彼女と過ごした時間は短かったけれど、彼女が教えてくれたことを大事に胸の中にしまった。ぼくも、新しい子が入ってきたら教えてあげよう。それから彼女のことも忘れずに教えてあげよう。


 有料化になったぼくらは、こうして外の景色を見る機会がぐっと減って、そのうち絶滅してしまうのかもしれない。未来のことなんて、何がどうなるか分からない。


 それなら、彼女が教えてくれたように、未来にワクワクして過ごしていこう。

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