スタックレコードとノスタルジーステップ

世楽 八九郎

スタックレコードとノスタルジーステップ

「おっ、ラッキーだね」

 人気のない旧部室棟の一室のドアを開け放った岩井静流しずるは部屋に誰もいないことを確認すると共犯者にニッと笑いかける。その光景に相方の丹後たんごは息を呑みしばし呆然としている様子だった。

「ほら、入った入った」

「ああ」

 静流に急かされ踏み込んだ空間は十数年前と変わっていない。そう感じた丹後が彼女を見ると、静流は頷き笑った。

「変わんないねぇ、ここは」

「そうだな」

 背後でバタンと鳴るドア音にハッとしてから丹後は部屋の様子を窺う。風情は変わっていないが、よく見回すと知らない物品なども所狭しと積み上げられている。静流は鞄から取り出したデジカメで部屋の様子や小物をせわしなく撮影していた。

「あたし達の頃から倉庫扱いだったけど、これじゃガラクタ置き場だなぁ」

「ああ。取り壊しするらしいが……どうするのだろう?」

「そりゃ、廃棄よ、ハイキ。勿体ないわね。ヴィンテージ物もありそうなのに」

「そうなのか?」 

 小首を傾げる丹後の仕草に促され静流は続ける。

「デザインそのものは使えない。パクりだし。けど、紙とか生地とかの質感が違う。あとは色か。深いというか、柔らかい? 奥深い感じ? そういうところ。でっ、入手が難しい。そうなると……」

「……重宝される、か?」

「そっ、あとは売り先次第で高く売れるわよ」

「なるほど。なら、それだけでも十分な収穫だな」

「そーよっ」

 丹後の指さすデジカメを揺らしながら静流は笑った。

 かつての学び舎である大学の映画研究部の部室には在籍当時でも古めかしかった使い道の分からない品々が溢れ返っていた。陽の光に照らされた埃が漂う部室はセピアがかっているようだ。

 そんな室内の写真を収めたデジカメの中身データはデザインを職としている静流にとってはお宝だ。収穫物をいくら詰め込んでも重さの変わることないカメラをしばし見つめてから静流はそれを丹後へと向けた。何も言わないままシャッターを切る。

「中年のあたし達とは違うのだよ」

 撮ったばかりの写真を本人に見せる。長身で引き締まった身体つきのメガネをかけた男の姿が現れる。スクエアフレームの奥の瞳は生真面目でやや神経質な風情を感じさせる。

「あんた変わんないわね。太らないのは偉いけど」

「……そうか」

 丹後は自身の姿を眺めてから静流へ手を差し出した。彼女はキョトンとしてから彼の意図を察してカメラを手渡す。手触りでも確かめるようにカメラをいじくりまわす丹後の肩を叩き、静流は場所を入れ替わる。

「ソッチからじゃ、逆光」

「そうだな」

 カメラを構えた彼の前で静流はフッと涼し気に笑い、しゃなりとポーズをとる。

「……撮るぞ」

 返事を待たずシャッターは切られた。

 二人で揃って写真を確認する。スラリと細身の女性の姿が現れた。切れ長の眉にクールな瞳でその人は笑みを浮かべていた。前分けのボブカットとタイト目の着丈の服装、タトゥーチョーカーが活動的で様になっている。

「あたしも変わんないか。相変わらず可愛げがねーのっ! 太らないでいるのは、偉い!」

 子供産んでも貧乳のままだけどね、と静流はキシシと笑い胸の前で手の平を上下させる。そんな彼女の写真を眺めて丹後はそうでもない、と笑った。

「……いや、変わったさ」

「そーぉ?」

「昔は、こんな澄まし顔で撮られようとしなかった」

「……ああ。あたしも大人になったもんだ」

「ああ。岩井は、変わった」

「…………」

 僅かな沈黙の後、丹後は気まずそうに静流に謝った。




「べつに構わないって。というか気にしないっての」

「…………」

「今はもう岩井なわけだし。まあ、戻っただけなんだけど」

 丹後の謝罪からしばらくして。目を合わそうとしない彼の周囲を静流はくるくるしていた。

「職場でも岩井のまんまで通してたし、あんまり苗字で呼ばれないような職場だから関係ないって」

「……そう、か」

 静流は大学在籍中に交際していた社会人の影響で早く社会に出たいと望んでいた。それだけが理由ではなかったが彼女は大学を中退しデザイン関連の会社へ就職した。恋人のコネではなく真っ当に採用されてのことだった。それから彼女は入社した会社で新しい恋人を作り結婚した。丹後が大学を卒業する前の出来事だった。子供ができたことがきっかけだ。静流は親に対するケジメだと言って仕事を続けながら子供を育てた。

 しかし夫婦生活の方はいつからか軋み、強張り始めた。不倫だとか決定的な出来事があったわけではない。それでもお互いに耐えがたい緊張を強いられる毎日に摩耗してしまった。結局、娘が小学生になるタイミングで離婚となった。

「だから、昔と同じ岩井でいいの」

「わかった、岩井」

「よしっ」

 旧友の結婚式などで再会した折に聞かされて静流の事情は知っていたが、彼女のことをなんと呼んだらいいものか丹後には分からなかったのだった。

「あんただって結婚してんだから、分かりそうなもんだけどね」

「まだ離婚はしていないからな」

 丹後が思わず口にした反論に静流は口角を釣り上げた。

「そうそう。口数少ないくせに減らず口は叩く。それでこそ丹後よ」

「可愛げがないな」

「お互い様ね」

「ああ、そうだな」

 やがて丹後がクツクツと笑い始め、釣られて静流もケラケラと笑い出した。

「さてと、丹後、手伝って」

「ああ……これは、なんだ?」

 ひとしきり笑い合った後、静流は丹後と共にガラクタの山を片付け始めた。丹後は彼女の目的がを分かっていないようだが、静流は迷いなく一か所を目指してガラクタをかき分けていく。

「クラシカルでノスタルジックな感じ、ですよ」

「さっぱりだ」

 息を弾ませながら積みあがった品々を除けていく静流の額に汗が浮かび上がる。

「だよねぇ、ところが発注で上がってくんのよ! クラシカルでノスタルジックなイメージで、って」

「発注者の歳が分からないと、どうしようもないじゃないか」

「その通り。でも、気持ちはわかるわー」

 丹後は静流の集中している様子を見て黙って手を動かし続けた。やがて彼女が短くあった、と漏らし手を止める。

「コレが私たちのクラシカルでノスタルジックですよ、先生」

「なるほど。確かに、クラシカルでノスタルジックだ」

 静流が掘り当てたものを丹後に指し示す。そこにはレコードプレイヤーが鎮座していた。




「動くのか?」

「んー、イケそうな気が、する」

 プレイヤーを収納しているケースを開き静流は起動を試みていた。電源は確保できているようだった。

「気を付けろ。埃で発火するかもしれない」

「確かに。鍵といい、セキュリティがアレ過ぎよね」 

 回り始めた円盤にそっと針を乗せるが、曲は流れ始めない。首を傾げる静流の隣で丹後が黒い箱をノックしてみせた。

「スピーカー、たしか電源ボタンが別にあったはずだ」

「あー、そうだった! えっと……コレ?」

 スピーカーがブツ、ゥン、という唸りをあげてからメロディーを口ずさむ。ノイズ混じりのその音はプツプツと途切れてつっかえ、千鳥足で刻むステップのようで頼りない。

 それでも二人は自分たちの成し遂げたことに感嘆を漏らし、手を叩き合った。

レコード中身が変わってないってことは最後に聴いていたのは昔の私達ってことかー」

「……そう、だな。こんなことする奴はそういないだろう」

 改めてレコード針を乗せると懐かしいイントロが流れ出す。静流がよく流していた曲だ。二人は雑誌の山を座布団代わりにして並んで腰を降ろした。

 お互いまともな部活動よりもこうやってサボってレコードの音に耳を傾けていた時の方が思い出深かった。二人とも群れることが好きでなく浮いていた。丹後は映画好きだが熱心に語るタイプではなかったので、こうやって静流と二人でいる時に淡々とゆっくり映画の話をしたものだった。一方の静流は恋多き女でドタバタとした日々を過ごしていた。それでも時折エサをねだりにやって来る野良猫のように丹後の前に現れては、こんな時間を過ごしていた。

 傍目には何故映画研究部に所属していたのかよく分からない二人であった。

「今日は……よく、来たな」

「……うん、まあ、一応ね。義理は果たしとかないと」

「あの時は先生も大人げなかったと思うぞ」

「美意識が高いからね、あの人。あたしも当時は若かったし分かってなかったことも多かったからねー」

「後半のくだり、先生に言ったのか?」

「ぜってぇ嫌! いいのよ、喧嘩したから辞めた訳でもないし。『今もちゃんと仕事やっています』って言っときゃ」

「なるほど。話だ」

「あんたこそ、誘っておいてなんだけど、抜けて良かったの?」

「あの人は自分を持ち上げてくれる人に囲まれるのが好きだからな。嫌いじゃないが、疲れる」

「ひでー、薄情者だ」

「そう言うくせに大ウケじゃないか」

 肩を震わせて笑う静流がサビに合わせて身体を揺らし始めた。

「いいなぁ、このレコード」

「持って帰ったらどうだ?」

 他愛のない話が続く。埃被りのロックミュージックは今日も愛を歌う。 

「置く場所ないって。いっそ売る?」

 お金マークを作ってみせる静流の手をやんわりと丹後が叩く。

「まずいだろ。寄付ならともかく」

「寄付って……アテは?」

「あるにはある。そういう趣味の飲み屋があってな」

「いいなー、今度一緒に……ってのはダメよね」

 揺れていた静流の動きが止まった。二人の距離が縮まったタイミングで。見上げてくる彼女に丹後は自分の肩をノックして示す。静流は丹後に詰め寄り軽く身体を預けた。

「あー、丹後といると落ち着くわー」

「そうか」

 肩に額を押し付ける静流の好きにさせたまま、丹後は部室の天井を見上げる。こんなに彼女と触れ合ったことは初めてだったが、熱く溢れ出すものも燻り焦がれるものもなく、穏やかで懐かしかった。

「クラシカルはどうかはともかく、ノスタルジックだ」

「そう?」

 静流は丹後の視線を追って宙を眺める。昔と変わらぬ空気を抱いた部室に最後のサビが響き渡る。

「……カッコイイな」

「そうだな」

 丹後の返事に静流は満足そうにニッと笑った。メロディーが止んだ。




「そろそろお暇かな?」

 静流は立ち上がり、見納めになるであろう部屋を見回す。その背を見ながら丹後が静かに笑った。

「なに?」

「おかしくてな」

 振り返り静流は丹後を見つめた。その瞳は少し寂しげだった。

「岩井は変わった。きっと、うまくやっているんだろうって。そう思った」

「そうじゃなきゃ……無理だったもの」

「俺は変わっていない」

「べつに大丈夫でしょう? あんたの場合は」

「自分は普通に上手くやれると思っていた。それが普通なのだから、と」

「…………」 

 肩をすくめて見せる丹後。静流は言葉の続きを待つが困ったように笑うだけだ。もし泣き出しそうな瞳でもしていたなら静流は詰め寄って問いただしたに違いない。けれど、そういうことはなく丹後はこれ以上語る様子もない。結局、静流が根負けして大きなため息をついた。

「よくわかんないけど、ひとつだけ言わせて」

「…………」

「普通がどうとか言ったけど、そもそもあんたはよ。あたしと同じく」

「……そう、だったか」

「そーよ。あと、なんかあったら……電話しろ」

「わかった。ありがとう、岩井」

 嫌味のない子供っぽい笑みを丹後は浮かべる。その様子にしばし静流は息を詰まらせていたが、やがて両手をジタバタと踊らせ始めた。

「チョーシ狂うなぁ、もー! ほら、丹後も!」

「ほらもなにも……なにをしてるんだ?」

「レコード、戦利品! せっかくだから一枚貰ってくの! あんたも選ぶ!」

 静流はレコード盤の入った収納を開き、中身を漁り始めた。

「あたしはさっきので決まりだけど、あんたはどーする?」

 プレイヤーにセットされた円盤の外袋を目ざとく見つけた静流が中身を検めると、違うタイトルのものが入っていた。それは丹後の好きな映画の主題歌が収録されていたものだった。

「……そうだな。青春の想い出のひとつでもいただくとするか」

「似合わねー! その台詞、似合わねぇ!」

「俺もそう思う」

 それから二人は騒がしくレコードを漁り、目的の物を見つけると部室を簡単に片づけた。そして二人は部屋を後にする。

 丹後がドアを開け、レコード盤を手にした静流が続く。ひとりでに閉まり始めたドアを静流が肩で押しとどめた。

「さよならだね」

「そうだな」

「最後だし、ちゃんと言っておこうか?」

「それがいいな」

 二人は背筋を正し変わらずに自分達を出迎えた部屋に別れの言葉を投げかけた。

「「ありがとう。さようなら」」 

 静流と丹後は頷き合ってから踵を返した。

 二人の後ろでバタンと大きな音をたてドアが閉まった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

スタックレコードとノスタルジーステップ 世楽 八九郎 @selark896

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画