第9話 ローナイト村の秘宝 (6)
僕が生まれたのはとある地方都市の一般家庭だった。父親が家族、特に母に暴力を振るうと言う一点を除いて。父親は仕事場では『無能』だの『お荷物』だの言われていた様でそのストレスを家庭で発散していたのだろう。
物心ついた時の最初の記憶は母が父親に殴られて倒れる姿だった。倒れてからも疲れるまで父親は母を殴り続けていたのを覚えている。
僕がもう少し大きくなると父親のターゲットは母だけではなく僕にも向いてきた。最初に殴られた理由なんてもう覚えていない。些細な理由で父親に殴られ、泣いても殴られ、謝っても殴られた。母が止めに入ってもターゲットが母に移るだけだった。
父が殴るのに疲れてどこかへ行くと、母は『お父さんは本当は優しい人なのよ。』『仕事が大変なだけで落ち着いたら元の優しい人に戻るから。』と言いながら傷だらけの体で僕の傷の手当てをしてくれた。でも、またすぐに戻ってきた父親に殴られて結局手当ての意味がなくなってしまう。
それで自分は出来るだけ父の琴線に触れない様に、父の視界に入らない様に息を殺して過ごす様になった。
自分の代わりに殴られ続ける母親に謝りながら。
今思えば父親は物理的な暴力だけを振るっていたのではないのだろう。僕が7歳になった時、妹が生まれた。可愛かった。
だが、生まれてから半年くらい経った時のことだった。朝、ベッドに寝かせられた妹の黒髪を撫でていると部屋に父親が入ってきた。そして、ベッドの前に張り付いていた僕を殴って退かすとこう言った。
『女は跡取りにもなりゃしないし殴ったら泣いて喚いて面倒くさいんだ。奴隷として売るか娼婦として売るか、、どっちが高いんだろうな?我が息子よ。』
『・・・』
僕が何も答えずにいると父親はそれが気に食わなかったのか5-6発自分を殴りつけてから仕事に行くと言って家を出て行った。
奴隷。娼婦。それがどの様な意味を指すのか、それが妹の人生にどう影響するのか。7歳とはいえ、どちらに転んでもいい人生を送れる可能性は限りなく低いであろうことは理解できた。
この時、初めて自分は殺意というものを覚えた。
『妹を守らなければ。』『じゃあどうする?』『排除するしかない。』と。
その夜、父親はいつも通り仕事から帰ってくるといつも通り酒を飲みながらいつも通り些細なことで母を怒鳴りつけ、いつも通り疲れるまで母を殴るといつも通り寝室に向かった。
父親が寝静まるのを待って僕は台所にあったナイフを手に寝室に向かっていた。どこを刺せばいいとか刺した後どうするかといったことは何も考えていなかった。
僕は静かにドアを開け、そこで見た光景に動けなくなった。
そこでは母が父親に馬乗りになって首を絞めていたからだ。
理解できない光景だった。あんなに父親を庇っていた母が父親を殺そうとしていること、心配する僕を『大丈夫』と優しく撫ででくれた母が鬼の形相で父親を殺そうとしていたことに僕は何も出来ずにそのまま立ち尽くしていた。
ーーーーーーー
次に気がついた時には全てが終わっていた。父は病死として処理され、母親は魂が尽き果てた様に最低限の家事しか行わなくなっていた。そんな状態に僕は耐えられず、家を飛び出した。なけなしのお金をはたいて王都へと向かった。妹と母を捨てて。
そこからは話すことはあまりない。必要に迫られて王都のスラムで自衛のためのナイフの技術を磨き、たまたまいい人に拾われて、たまたまいい点数を取っていい学校に行って、父から逃げるために習得した隠れ方でたまたま勇者様に勝った。
その後、大学に行ってセシルという同期に絡まれるようになった。長期休暇のこのバイトに誘ったのもセシルだった。
結局、妹と母を捨ててからの自分はそのことしか考えていなかった。それが2人を置いてきた後悔によるものなのか、2人の未来になんの責任も持てなくなってしまった恐怖によるものなのか、しがらみを断ち切った安堵によるものなのか。はたまた1人で足を踏み出してしまった罪悪感によるものか。そればかり考えてしまう。
だから、今も戦いには集中できなかった。
ーーーーーー
「クッ!こいつやっぱり硬いな!」
ユリと名乗った少女は僕に魔獣の意識が向かないように必死に攻撃を続けている。彼女の脚力は見た目に合わない強さを誇っているようだが、あの魔獣の装甲を貫くほどはないようだ。とすれば狙うべきは装甲の隙間、特におそらく急所である首に当たる部分の隙間だろう。彼女の蹴り技では絶対に狙えず、僕のナイフなら狙える隙間。だが、僕は足を踏み出すことはできなかった。行動を起こそうとすると捨ててきた妹と母のことを考えてしまい足を踏み出すことができない。
「ねえ君?何を考えているの?」
不意に、魔獣と戦っている少女から質問を投げかけられた。
「君に何があったかは知らないけれど、過去のことなんて変えようがないんだから。とりあえず前を向いて物事を考えてみて?」
『前を向くこと。』そんなことはとっくに理解している。でも過去を振り払うことはできなかった。自分が弱いのかそれとも捨てた母と妹がしがみついているのか。それすらもわからなかった。
「考えてなくていいからぁ!早く!熱いの!」
少女は気合のこもった声で魔獣に攻撃しながら叫んだ。彼女もわかっているのだろう、さっきからチャンスは何回もあったことを。そして、一歩踏み出しさえすればこの少女ならこっちに合わせることも可能なのは知っている。でも、この一歩が踏み出せない。踏み出すのが怖い。
それでも黙っていると少女は怒りを携えた声でこう言った。
「ねえ。あなたはあの時勇者様に勝ったんでしょ?隠れているところから一歩踏み出して。だったら今さら何を怖がっているの?心配なんて後で埋め合わせればいいんだから!アルナ!」
「でも僕は一歩踏み出したせいで家族を、、、。」
「あーもう!そもそも一歩踏み出せなかったからセシルが傷ついたんじゃないの?意気地なし!置いてきたからってなんなの?捨ててきたからってなんなの?あなたがどうこうできる問題でもないのに勝手に責任感持って、勝手に捨てて、そのことに勝手に罪悪感を覚えただけでしょ!ああ!それに他人を巻き込むな!一歩踏み出しなさい!ケツは自分で拭きなさい!」
そう。結局この責任、この罪悪感は僕のもの。僕が勝手に持って勝手に捨てて勝手に覚えたもの。それで踏み出せなかったせいでセシルは傷がついた。その時に気づければよかったのに僕は問題と対峙したくなくてずっと逃げていたのだろう。結局、この問題は自分しか対処できないのだから。
「『ケツは自分で拭く。』か。そうだね。」
そう言って手にナイフを握り直した僕は魔獣にそれを突き立てようと走る。
「ガルルゥ!」
魔獣はこっちに炎を飛ばそうとするが、「そうはさせないよ!」
少女の踵落としに術の発動を阻まれる。
そして、
「ウオォオオオオオオオ!」
僕の叫びと共に。ナイフが首の装甲の隙間へと突き刺さった。
ーーーーーー
その後、魔獣はただの燃え滓となり、僕ら6人は無事に洞窟を脱出することができた。
「あー!久々の青空ね!空気が美味しいわ!」
セシルが真っ先に叫ぶ。後ろではユリさん、アザレアさん、エリックさんがこの後の打ち合わせをしている。
「後は村に着けば依頼は完了ということですね。」
「まだ昼過ぎくらいかぁ。結構長い間いたような気がしたんだが、、、。」
「まあ、お嬢ちゃん方強かったからな。村に帰ったら生還記念に美味しいものでも食べるか?」
そんな時。「あの、あ、アルナさん!」
アッシュが顔を真っ赤にして僕に話かけてきた。
「は、初めてみた時から好きでした!お、お付き合いしていただけないでしょうか?」
え?何て?
「え?どういう「お願いします!!」」
急な発言に僕が困っているとセシルがこう言い放ってしまった。
「何言ってるの?アルナは男よ?」
「え?は?」
「そうだぞアッシュ。アルナは男だぞ。確かに筋肉質ではないし顔つきも中性的だが。」
アザレアさんが追い討ちをかける。アッシュの顔は赤どころか真っ青になってきていた。
「え?何々?アルナは男って話ですか?」
ユリさんの発言が最後の一撃になったのか、アッシュは地面に膝をついてしまった。
「あ、アッシュさん?大丈夫ですか?アルナが男ってことがショックだったんですか?」
その言葉がトドメになったのかアッシュは気を失ってしまった。
その後、アッシュはすぐに意識が戻ったが、村に着くまで「男だったなんて」「初恋だったのに」「いやでも可愛いし、、、本当か?」とぶつぶつ呟いていた。
ーーーーーーーーーーー
翌日。もう一晩ローナイト村に泊まり、全員に自分たちの記憶を消す魔法をかけ終わった私とユリは再び魔王城に向かって歩き出していた。
「ユリ?どうしてあなた自分で倒さなかったんですか?あれくらいあなたなら余裕では?」
「いや〜、彼何か思い詰めていたみたいですからね。ちょっと発破かけてみようかと。」
「何言ってたかまでは聞き取れませんでしたけど叫んでたのはそういうことだったんですね。」
「それに、私が倒しちゃった上で記憶消したら魔獣が勝手に死んだ感じになってなんか違和感残っちゃいません?そこから魔法が解けたらまずいじゃないですか。」
「確かに。で、彼が思い詰めていたことは解決したんですか?」
「さあ?それは彼がこれから解決することですよ。」
そして、次の村へと歩き出した。
「あ!あの魚綺麗ですね!」「あーもう!勝手に行かないでください!??」
ーーーーーーーーーー
数日後。とある地方都市に王都からの馬車が到着した。そこから降りてきた人の中にはとある青年と付き添いの女性の姿があった。
2人はそこから住宅街の中をしばらく歩くと、とある家の前で立ち止まった。
2人はしばらく家の前で立ち止まっていたが意を決したのか、青年はその家の扉を叩いた。
「はい。」
中から出てきたのは青年より7歳ほど年下のの美しい少女だった。
その少女を見た青年は自然と涙が出ていた。笑いながら泣くという経験は青年にとって初めてのものだった。
「だ、大丈夫ですか?お母さん?ちょっと来て?」
そう少女が母親を呼ぶと、奥から妙齢の女性が現れ、玄関で泣いている青年に目をやった。
そして、その泣いている青年が自分の息子であることに気づいた彼女は彼に駆け寄るとこう言った。
「おかえり、アルナ。」と。
TS魔神少女は戻りたい 珀露 @hacro_ambre
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