第50話



 家に帰ると、リィルはソファで眠っていた。眠ってばかりだな、と思ったが、よくよく考えてみれば、そんなことはない。ただ、リィルはよく眠っている、といった印象が僕の中に醸成されているだけだ。反対に、リィルは僕にどんな印象を抱いているのだろう、と少しだけ気になった。機会があれば、彼女に訊いてみようと心に留めておく。


 外に出向く依頼は、今のところ届いていないとのことだった。僕に仕事を紹介するのはベソゥだから、彼のもとに届いていないとなれば、僕たちの働きを求めている人は、今のところ誰もいないことになる。忙しくないのは良いが、それは収入が少ないということでもあるから、また少ししたら、何かできれば良いな、と僕は考えていた。


 時刻は午後五時。


 何もせずに、僕はリビングのテーブルに座って時間を過ごす。眠っているリィルの姿が、正面に見える。部屋の照明は灯していないので、大分暗い。白いドレスを身に着けて横になっているリィルの姿が、異様に際立って見えた。事実として、彼女の姿はかなり目立っている。見ようと思えば、花嫁のように見えなくもない。僕とリィルは婚約はしているが、まだ結婚をしたことにはなっていなかった。結婚式も挙げていないから、彼女のウエディングドレス姿を見たことはない。リィルは、基本的に何を着ても似合うから、ウエディングドレスを着た彼女も、例外なくよく映えるだろう、と僕は思った。一方、僕は素材がみょうちくりんなので、何を着ても全然似合わない。


 小さな声を出しながら、リィルが寝返りを打つ。


 嫌な予感がしたが、僕の身体は動かなかった。


 彼女は、そのままソファから落ちた。


 唸り声を上げて、リィルはゆっくりと身体を起こす。


「痛い……」


 彼女は僕を見て、開口一番にそう言った。


「随分前の予言が、ここで当たるというのも、なかなか素晴らしいね」


「何それ……。まずは、心配するところじゃないの?」


「大丈夫?」


「もう遅い」


 シャッターを下ろし、部屋の明かりを点けた。周囲に立ち並ぶ住宅の窓には、かなり前から明かりが灯っていた。


「ねえ、あのさ」ソファに座り直して、リィルが呟いた。「今日、もう、疲れたから、夜ご飯、作らなくてもいいかな?」


「え?」僕は彼女を見る。「本気?」


 リィルは黙って頷く。


 非常に困ったが、どうしてか、抗議する気にはならなかった。仕方なく、出前をとることに決める。携帯端末を取り出して、時々利用する宅配サービスに連絡をした。何を食べようか、と相手と繋がるまでの短い時間に考えて、結局ピザを頼むことにした。どうせ出前を頼むなら、出前らしいものが良いと考えた。


 十五分ほどでピザは届き、僕は一人でそれを食べた。リィルはテレビを観ていたが、途中で僕の方を向いて、にっこりと笑った。


「私が作る料理よりも、そっちの方が美味しいでしょう?」


 僕は首を傾げる。


「どうして?」


「なんとなく」


「そんなことはない」僕は言った。「君の手料理が、世界一美味しい」


「クレイルの料理を見て、思ったんだ。私、まだまだだなって……」リィルは説明する。「だから、もう少し特訓してみるから、上手く作れるようになったら、よろしくね」


「よろしくって、何を?」


「感想を」


 僕はピザを一口食べ、頷いた。


「もう、決まっているから、今の内に言っておこうか?」


 リィルはテレビの方に顔を戻す。


 それから、奇妙な笑みを浮かべて、彼女は小さく呟いた。


「その感想を、更新してみせる」





 よく晴れた空。


 草原の中心に建つ一軒の邸宅のドアが開き、一人の少女が姿を現す。彼女に続けて、一人の女の子と、一人の女性も家の外に出てきた。


 少女の手には、羊皮紙の束が握られている。


 彼女は後ろを振り返り、笑顔を向けて、掠れるような小さな声で挨拶した。


「行ってきます、お母さん」


 女性は彼女に手を振る。彼女もまた笑顔だった。もう一人の女の子も、少し心配そうな顔をしているものの、女性に倣って小さく手を振るジェスチャーをする。


 土が剥き出しになった一本道を、少女は歩き出す。


 太陽の光が、彼女の行き先を照らしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

Next to Her Last Message 羽上帆樽 @hotaruhanoue0908

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ