第49話

 このフロアには複数のコンピューターが並べられているが、その中でも一際目立つ筐体があって、それはブルースカイシステムと呼ばれている。巨大な球体がリング状の機構の中心に浮かんでおり、一言でいえば土星のようなフォルムをしている。名前の通り、中心の球体は青白く輝いており、惑星のように一定の周期で回転している。その筐体がフロアの中心に配置され、そのほかの筐体がその周囲を取り囲んでいた。彼の作業机は、入り口から見て一番奥にある。


「彼女とは、上手くいっているの?」ベソゥは僕に尋ねた。「リィルさん、だったっけ?」


「上手くいっているという感覚は、皆無」


「嘘が上手くなったな」


「嘘じゃない。本当だよ」僕は話す。「うーん、まあ、二人で生活するのには、もう大分慣れたかな……」


「彼女、なかなかの美形じゃないか」ベソゥはにやにやしながら言った。「お前とは釣り合いが悪いから、毎日大変なんじゃないのか?」


「そうは思わないけど……」


「まあ、いいさ。楽しそうで何よりだ」


「別に、楽しくはない」


「そうか? なら、僕の方から彼女に伝えておこう」


「どうやって伝えるつもり?」


「モールス信号を発信したら、彼女、受信してくれそうだよな」


「意味が分からない」


 ベソゥはいつもこんな調子だから、僕はいたっていつも通りの感覚だった。彼とはそれなりに付き合いが長いから、次にどんなことを言ってくるか、ある程度は予想できる。ともに過ごした時間が長ければ長いほど、そうした予想は容易になる。それはクレイルと一緒に作業をしているときにも感じたことだ。人が使う言葉にはそれぞれ個性があるから、その個性さえ見極めてしまえば、次に自分がとるべき反応を予め用意できるようになる。まあ、そんなふうにいちいち細かく考えていては、関係が希薄になってしまうというのも事実だろうが……。


「そうそう、一つ訊きたいことがあるんだ」コーヒーをすべて飲み干して、僕は言った。「ルルという人物について、調べてほしい」


「ルル? それが本名?」


「たぶん」


「誰?」


「リィルの知り合いなんだけど、長い間行方不明になっている」僕は嘘を吐いた。「ああ、行方不明っていっても、もともと旅人でさ……。定期的には帰ってくるんだけど、今どこにいるのか知りたいって彼女が言うから、何か情報が掴めないかと思って」


 ベソゥは椅子を移動させ、先ほど使っていたのと同じデバイスを操作する。


「調べるといっても、僕が詳細に調べられるのは、せいぜいこの街の中のことだけだよ」ベソゥは説明する。


「それでいいんだ。近くにいるなら、会いたいというだけだから……」


 ベソゥは素早くキーを操作する。まずは名詞をそのまま検索にかけてみたが、一つもそれらしいヒットは見つからなかった。別の対象ならいくらでも見つかる。それほど珍しい名称ではないし、名詞の中に部分的に使われているものなど、ざっと見ただけでも三桁の単位で見つかった。しかし、ルルという名詞そのものを扱ったものは、何一つとして見つからなかった。


「何もないね」ディスプレイを見ながら、ベソゥは話す。「直近の一ヶ月では、更新された情報はないみたいだ」


「過去のものも、調べられる?」


「できるけど、そんなことして役に立つのか?」


「まあ、一応」


 検索の設定を変えて、過去一年間のものを調べることにする。しかし、それでも結果は同様だった。やはり、それ単体のものは見つからない。


 僕も、そう簡単に手がかりが得られるとは思っていなかった。第一、そんな単純な方法で見つかるような痕跡を残すとは思えない。ただ、彼女が、つい先日僕の前に姿を現したのは確かだ。確か、と断定できるのはおかしいが、それでも、ホームで僕に予言書を手渡したあの女性は、ルル本人だったに違いない。根拠がないのに、なぜか僕にはそんなふうに思えてならなかった。


 それは、オーナーが誰であるか識別できるように、僕にそうしたプログラムが施されているからかもしれない。


 そうだとしたら……。


 ルルには、こちら側の行動がマーキングされている可能性がある。


 まあ、そんな可能性は、いくらでも考えられるのだが……。


「何もないね」ベソゥはデバイスをスリープモードに移行させた。「彼女には悪いけど、僕じゃ力になれないよ。もっと詳細な情報がないと、検索そのものが形を成さない」


 その通りだと思ったので、僕は頷いた。


「その人は、彼女の、何なの?」


「え? 何って?」僕は彼の方を向く。


「愛人?」


「ただの知り合いだよ」僕は答えた。「それに、女性だ」


「うかうかしていると、ほかの人に狙われるかもしれないからね……。油断しない方がいいよ。ああいう綺麗な人を狙っている奴は、すぐ身近にも五万といるんだから」


「いないよ、そんな人」


「いるじゃないか、すぐ近くに」


 僕はカップを彼に渡し、椅子から立ち上がった。


「外に出られなくて、退屈している君のためにも、今度来るときは、彼女も連れてこよう」


「よろしく」


 建物の外に出ると、空はどんよりと曇っていた。ただ、暗い雰囲気ではない。これから雨が降って、何もかも洗い流されるような、そんな不思議な清々しさがあった。


 家でリィルが待っている。


 早く帰ろう、と僕は思った。

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