第5話 盗賊タイシ
ミイナに見送られてマンションを出ると、伝説の靴は来た時と同じように私を導いて帰り始めた。
知らない街だったから、道案内はすごく助かる。そう思って気ままに足を任せていると、地下鉄で雲行きが怪しくなった。なぜか、家の最寄りではない駅で降ろされたのだ。
ミイナと再会することが、靴の目的じゃなかったらしい。まだ行くべき場所があるのだろうか? 靴に任せて歩き続けると、道の先から鼻の奥につんと染みる臭いが漂ってきた。
すごく、酸っぱい。何か発酵してる? いやむしろ腐ってる。曜日を無視して燃えるゴミを出した人がいるのかも。そんなことを考える間も、靴は臭いのする方へずんずん進んでいく。正直もう引き返したい。くさい。
私がどれだけ嫌だなあ、と考えていようがこの靴には関係が無い。やがて臭いが目に染みて、鼻をつまんでも逃げられないくらい近くなった時、靴は大きな一軒家の前でぴたりと動きを止めた。
それが普通の家じゃないことは、ひと目でわかった。
広い敷地だ。その大きさに見合う立派な日本家屋が、これまた立派な石塀に囲まれて建っている。庭には松が植えられていた。この雰囲気だときっと池なんかもあるんだろう。ある一点を除けば、ここは間違いなく富裕層の住む家だ。
唯一、どうしようもない欠点は。
「……はぁっ、くっさ!」
そう、この家は臭かった。臭いの原因は積まれに積まれたゴミの山。袋に入っているものも、いないものも、乱雑に放り投げられている。立派な石塀も大きな松も霞んでしまうくらいに、この家はゴミで溢れていた。
自宅の敷地内だから自由にやっていい、の理屈を遥かに超えている。これだけ庭にはゴミがあるのだ、家の中はもっと酷いに違いない。
だんだん目を開けることすら辛くなる。近所の人は何も言わないんだろうか。むしろ靴はどうしてここに私を連れてきたんだ。
「ねえ、もう無理鼻がしぬ。帰りたい」
鼻をつまみながら靴に話しかける。無機物に話しかける光景なんて、知り合いに見られたら頭がおかしくなったと思われてしまうな、と思いながら必死に靴の説得を試みていると、
「……リコッタ? リコッタだよな」
背後から誰かが私を呼んだ。
終わった。鼻が死ぬ前に社会的に死んだ。できれば口の硬い奴であれ、と思いながら振り返ると、そこに立っていたのはかつて背中を預けた仲間。
「懐かしい顔だと思ったらやっぱ本人かよ」
記憶の中より少し太った、盗賊のタイシだった。
✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎
勇者が「盗賊を仲間にする」と言った時、私は正直、勇者の頭がおかしくなったと思った。
だって考えてもみてほしい。盗賊なんて、魔王討伐に必要な職業だろうか? 勇者や魔法使いは明らかに必要で、回復や能力の上下降を担当する踊り子は居たら嬉しい役割。
この3人に加えるなら、補助魔法を得意とする星読や先陣を切って戦える聖騎士あたりだと思っていた。
だけど勇者は「盗賊がいい」と言って聞かなかった。だから私たちは魔王城への最短ルートを歩まず、腕利きと噂のタイシを勧誘するために、わざわざ危険な土地を巡るような遠回りの行程を歩んだ。
でも、タイシがいたおかげで、私たちは黄金峡という場所でとんでもない量のお宝に出会えた。黄金峡に仕掛けられた罠は、タイシがいなければ解除もままならなかったから。
お宝を見つけた勇者は泣きながら喜んでいて、確かに嬉しいけどちょっと大袈裟だなあ……と思っていた。だけど後になって、勇者がカジノで大負けしたせいでとんでもない額の借金を背負っていたことが判明して、全ての見え方が変わった。
勇者は黄金峡のうわさを知っていた。だから借金を返すためにタイシを仲間にしたのだ。魔王を倒すためではなく、借金の取り立てから自分を守るために!
しかも恐ろしいことに、勇者は「借金を返せない場合は仲間の装備も担保に入れる」と勝手に契約までしてくれていた。勇者は私とミイナの持つ伝説の装備までも金に変える気だったらしい。
全て終わってから金回りのあれこれを教えられて、誰よりもミイナが怒っていた。
勝手に装備を担保にされたことじゃない。秘密にされたことに対して、ミイナは怒っていた。大抵のことはゆるく流すミイナが、2ヶ月も3ヶ月も「言ってくれればこっちもさあ!」と怒りを引きずり続けたことは、私にとっても驚きだった。
ミイナの不機嫌は相当こたえたらしく、勇者はその後一切隠し事をしなくなった。そして言わなくてもいいことまで報告するようになった。具体的には、少し席を立つときに「うんこしてくる」とか。
要らない報告が増えたのは面倒だったけど、本人の反省する姿勢の表れと思って私たちは受け止めてやった。
ちなみに私は、借金を返しても余っていたお宝で好きなものをたくさん買えたし、結果オーライなところもあるから数発殴るだけで許した。歯とか折れてたけど気にしない。
重大な隠し事をした、勝手に人のものを担保にしたことは事実だから、この件は全部勇者が悪いのだ。
そんなゴタゴタの中で加入したタイシは、噂に違わずおそろしいほど優秀だった。
何と言っても、罠に対する嗅覚がよい。そして山の歩き方も知っている。街に出れば、質の良い店悪い店、旅人の流れから掴む情勢、持ち込まれる情報量の多さたるや。
タイシと旅をするまでは、魔王討伐には戦闘力だけが重視されると思っていた。力があれば進んで行けると思った。だけど蓋を開けてみれば、歩む道にも「歩きやすさ」というものがあると、まざまざ見せつけられる形になった。
私たちは人間として、人間の営みを通りながら過ごしていかなきゃならないのだから、考えてみれば当たり前の話だった。
戦闘ではタイシを庇うこともたくさんあった。それでも、戦闘以外で助けられることはそれ以上にたくさんあった。
かゆいところに手が届く。
盗賊タイシは、そういう人だった。
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「そんな所で何してんの。臭くない?」
私に声をかけるタイシは、少し距離をとっている。近づくとにおいが目に来るからその判断は正しい。
「物珍しいのはわかるけど、一応人住んでるからじろじろ見ない方がいいよ。ゴミ投げられるから」
「投げられるの? 怖っ」
「あの窓のところ見てみ」
タイシは家を指差す。窓、と言われて見回すと、2階に小さな窓があった。ガラスは内側からゴミで押され、痛々しいひび割れを直しもせずに放置している。
汚いね、と呟くと、タイシは「窓の隅」と言葉を加える。
「あそこだけゴミ無いし汚れてない。たぶんあのせっまいとこから外の様子見てる」
言われてよく見てみれば、ひとつの角だけ不自然に曇りが無い場所がある。その奥に動く何かの影を見つけた瞬間、ぞわりと鳥肌が立った。
長居は、やめよう。かと言って簡単にここを離れられないから苦労しているんだけど。靴をちらりと見やる。相変わらずびくともしない。
「観光ならもっといい場所あるだろ」
「私もそう思うし帰りたいんだけど……」
「何、迷子? 駅ならこっち。ついて来て」
タイシに声をかけられると、靴がふらりと動き出した。私の説得には全く応じなかったのに、タイシの話はちゃんと聞くのか。
靴が動くままに、タイシに並んで歩き出す。このまま帰宅できるといいな。今日はたくさん歩いて気が疲れた。
「にしても何年ぶり? こっち戻ってから5,6年くらいは経つよな」
「そんなに経ってるの? 私今日戻ってきたんだけど」
「は? じゃあ向こうに飛ばされたのは?」
「半年前」
「まじかよ」
見た目変わんないわけだよな、とタイシはため息をつく。
確かによく見れば、タイシは若干老けている。魔王を倒し終わった時はもう少し幼い顔だった気がする。体格だけじゃない容姿の変化は僅かとはいえ皆無とも言えず、5,6年という月日の生々しさを感じた。
「リコッタ今何歳?」
「24」
「向こうで体感何年過ごした?」
「何年かな……修行時代は森にこもってて時間感覚全然なかったから正確にはわからない。でも8年はいたと思う。タイシは?」
「俺は6歳の時に飛ばされて、向こうで20年くらい過ごした。こっち戻ってきたのが5,6年前、んで今年22歳」
微妙に時間がずれてんだよな、と呟きながら、タイシは懐かしそうに目を細める。
私にとってはほんの少し前のことが、タイシにとっては5,6年前の出来事。ミイナや私とは違う時間の過ぎ方がすぐに計算できなくて、戸惑う。
「向こうに飛ばされた時は小学校にも上がってなかったのに、戻ってきたら高校受験終わって学生生活やってんの。この時点でやばいだろ。しかも俺は向こうで命のやりとりしながら20年過ごしてるわけ、気分はもうくたびれたおっさんなの。苦労したよ、高校生やるの」
「お、お疲れ様……」
「いいよなあ、半年しか人生のラグ無い奴は」
ねちねちと引っかかるような言い方で、タイシは文句を重ねていく。だけど本気で怒ってるわけじゃない。それがわかる程度には、魔王討伐の旅路にて真面目に仲間と向き合った。
「再会したついでにさ、買い物付き合ってくんない。明日暇?」
駅が近くなると、タイシはそう言って携帯を取り出した。連絡先、と促されてから私も慌てて携帯を取り出す。ついさっきミイナの連絡先を増やしたばかりのアプリが、また新たに「杉村大志」を付け加える。
「リコッタって凛紅多って書くの? 書くとき面倒そう」
「コンプレックスだからいじらないで」
「了解。改名は家裁で出来るらしいよ」
軽く会話を終わらせて、タイシは携帯をしまう。そして「また明日」と軽く手を振って、駅とは反対側に歩き始めた。
伝説の靴、テイクアウト! @ooba-tempura
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