第4話 踊り子ミイナ
自分の意思で進まない旅路が、こんなに怖いものだとは。
靴に導かれるまま地下鉄に乗って、降りて、見知った街の知らない小道を歩く。坂を上って上って下り、少し歩いた先に大きなタワーマンションが見えた。
それなりに駅近、いい物件だ。住みやすそうだけど高いんだろうな、とぼんやり眺めていると、伝説の靴はまさにそのタワーマンションへ爪先を向けてがつがつと前進を始めた。
「え、うそ、あそこ行くの? 無理だよ絶対オートロックだし」
私の心配と助言をよそに、伝説の靴は当然のようにマンション敷地内に入り、偶然帰ってきた住人によって開けられたドアを当然のように通り抜けた。
こんな幸運ってあるのか。これ不法侵入じゃない? あれそれと考えるうちに伝説の靴は迷いなく非常階段へと向かい、軽やかに段を駆けていく。
そして辿り着いた5階、とある一室。
チャイムを鳴らせと言わんばかりに、伝説の靴はドアの前でぴたりと動きを止める。
「……ここなの?」
この靴は、私たちが本当に迷っている時や、大切なものを見落としている時にだけ、進む方向を教えてくれる。これまで一度も変な場所に導いたことなんか無かった。
「……誰が住んでんだ……」
疑問は尽きない。だけど経験から言えば、導かれた場所に悪いものがいたことは一度もないわけで。
どうにでもなれ、と押したチャイムは、私の決意とは対照的にひどく軽い音がした。
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「えーすごい! 久しぶり〜!! もう1年ぶりくらいになる?」
部屋の主は、驚くことにミイナだった。
向こうの世界にいた時は住んでいる場所を聞いたことなんか無い。魔王を倒せばそれでおしまいの関係だと思っていた。
急な来訪にも関わらず、ミイナはにこにこと嬉しそうに歓迎してくれた。嫌がられずに部屋に上がらせてもらって、お菓子を出される。
踊り子の服を着ていないミイナは向こうと別人みたいだけど、何も変わらない距離感が嬉しくて頰が緩んでしまった。
「何にやけてんの」
「いや、会えて嬉しいなって」
「あたしもだよ〜、懐かしいなあ、もうすぐ1年だもんね」
「1年? そんなに経ってないよね」
「経つよお、だってあたしが向こうに行ったの去年の秋だもん」
ミイナの言葉に少し驚く。同じ時期に向こうの世界へ送られたかと思ったのに。
スタバの新作飲まないままあっち行ったからね、と悔しそうに言うミイナは嘘を言っているように見えない。
「リコッタはいつ行ったの? 向こう」
「私は今年の3月」
「へえ、ちょっとずれてんだ。まあそういうこともあるよね」
軽く納得してみせるミイナがあまりにも自然だから、私もそう受け取ることにした。
確かによくわからない世界のことを真面目に考えたところで、正解にたどり着けるわけもないんだ。
「んで、リコッタはどうしてあたしんとこ来れたの? 住んでるとこ話したっけ?」
首を傾げるミイナに、あれのせいでね……と玄関を指差す。目的地に着いてしまえば普通の靴、脱ぐのはすんなり出来るのだ。
ミイナは素直に玄関を見に行く。そして少し間を置いてから、ぎゃあと大きな悲鳴をあげた、
「ええええ伝説の靴!! なんでこっちにあんの!??」
「そうなの、意味わかんないよね、それでね」
「羨ま!! いいなああああ!! あたしも踊り子の服持って帰りたかったあ!!!!!!」
ミイナは悔しそうに両手を握りしめて、私の前にどかりと座る。
「裏技とか使った?」
そう問いかけるミイナは、向こうの世界でもめったに見たことのない大真面目な顔をしていた。
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「はぁー、没収されなかったんだあ」
不可抗力で履いたまま帰ってきたとありのままを話すと、ミイナは「それで住所わかったんだ」とあっさり納得した。
「いいなあリコッタ、あたしもう服ないもん。またあの服で踊りたかったな」
「私はもう靴いらなかったんだけどね。何でだと思う? 普通に履いてこれちゃったの」
「えー、知らない。でも消えないってことは役割案件くさいよ」
「魔王倒したのにまだ何かさせられるの?」
ミイナはお菓子の小袋を開けて、少しだけ考え込む素振りをみせる。
「んー、なんかさあ。あっちの世界ってやたらうるさかったじゃん。為すべきを〜とか、果たすべきを〜とかさ。んで、役割終えたものは消えるってやつ。向こうルールで考えたら靴にはまだ役割あるよね」
「こっちの世界で?」
「向こうじゃ魔王倒したけどそれはそれなんじゃん? リコッタだけ王様からご褒美貰えなかったの、役割まだ残ってるよのメッセージだったんじゃない」
ミイナはドレッサーから小さな箱を持ってきて、そっと開ける。中には親指の爪ほどの、澄んだ緑色をした宝玉が入っていた。
魔王を討伐した後に見つけた3つの宝玉は、私以外の3人が分かち合った。ミイナはちゃんと保管していたみたいだ。
綺麗なネイルを施した指先で、ミイナは宝玉をつまんで照明の光にかざす。
「このね、よくわかんないビー玉」
「一応宝物だからね」
「そういうのどうでもいんだけどさ」
角度を変えて宝玉を眺めた後、ミイナはそれを再び小さな箱へと戻す。
「あたしさ、帰る前に王様と会った時に濡れた服着てたじゃん」
「踊り子の服着たままシャワー浴びたからね」
「んでさ、その上にバスローブ着てたじゃん」
「私が着せたやつね」
さすがに水が滴るまま王様に会うのはどうなんだと、無理やりバスローブを着せたのだ。謁見に相応しい格好じゃなかったけど、タイシしか文句を言わなかったから結果オーライだった。
「あたし向こうの世界に飛ばされた時バス乗ってたはずなんだけど、気づいたら全裸で家にいたの」
「裸で!? ……あ、そっか」
「そそ。最初は焦ったけどさ、踊り子の服もバスローブも向こうの世界にあるやつだから。役割果たして消えたのかなって普通に納得したの。でもビー玉は持ってた。全裸にビー玉だよ? もう笑うよね」
困っているのか、呆れているのか、ミイナは眉を下げて力の抜けた声で笑う。
「こっち戻ったらさ、あたしの1年無かったことになってんの。仕事は行ってることになってたし。ついさっきまで普通にこっちで過ごしてて、ちょっと異世界の夢見てた? みたいな空気よ」
でも、とミイナは表情を明るくする。
「ビー玉はちゃんとここにある。それにあたしは役割を果たしたって気持ちがちゃんとあった。だから夢じゃないってわかってた」
証拠があってよかった、と笑うミイナはほっとしているように見えた。
確かになんにも残らなかったら、夢とか幻覚を疑ったかも。でもミイナの言葉には、それ以上に気になることがある。
「私も果たした気持ちはあったよ。魔王倒せたし、達成感もあったし」
「や、それもあるけど違うやつ。果たした感があったのはあたしだけの役割。リコッタもあったでしょ?」
「え? 無いよ?」
ミイナの表情が曇る。何を言ってるんだ? と言いたげな視線に思い当たるものが全く無い。あれかこれかと考えても何一つ、なんにも。
そんな私の反応を受けて、ミイナは思いっきり顔をしかめて身を乗り出した。
「うそだよあったでしょ? 向こうの世界に飛ばされる時、こう、カアアアアアン!!! ってクるやつ」
「無いよそんなの! 何それ!?」
「だから役割だよ!! こんなにクるもんならそりゃあ皆縛られるよね! みたいに納得するやつ!!」
熱弁をふるうミイナが何を言っているのか全然わからない。くる? 何が来るの?
「あたし、向こうに行くまで仕事辞めてプロのダンサーになりたいと思ってたの。もういいって思うところまで踊りたかった。だからかな、向こうに飛ばされた瞬間もうカアアアアアン!!! てキたの! ああ、あたしここで満足するまで踊る運命なんだって」
本当に無かった? と念を押してくるミイナに首を振る。なんにも無かった。びっくりするほどシームレスに、私は向こうの世界に放り込まれた。
ミイナは私の答えを受けて、そういうものなのかな、と腑に落ちない様子ながら無理やり納得しようとしていた。
「じゃあ、あたしだけだったのかな。でも本当に楽しかったよ。役割とか言うと重く聞こえちゃうけどあたしはやり切れて幸せだった。色々あったけど楽しい思い出だからさ、リコッタと今こうやって会えるのも嬉しいよ。せっかくだしLINE教えて」
にっこり笑って携帯を取り出すミイナは本当に嬉しそうで、私までつられて笑ってしまった。
「一応自己紹介する? あたし滝美凪。美しい凪でミイナ。リコッタは?」
「……私は」
言いたくないけど言わなきゃならない。ため息を飲み込んで、なんてことのない風に言う。
「私は山内凛紅多。凛とする、紅の、多いでリコッタ。漢字にするとすごくさ……」
「キラッキラしてんね!」
「そう……あんまり好きじゃなくて」
嘘だ。あんまりじゃなくて、ものすごく好きじゃない。大嫌いだ。
気持ちが顔に出たのだろうか、ミイナは私の肩をばしばしと叩きながら、わざとらしく明るい声を出す。
「まあ書かなきゃいいわけだし! 音だけで行こ! じゃあリコッタ、こっちの世界でもよろしく」
情熱的なハグの後、靴はそのまま借りパクしちゃおうよ、とミイナは軽やかに笑った。
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