第10話 接触

 ——高町を見失った。


 その状況に、束音は私以上に取り乱した。


『見失ったって!? さ、攫われたのかもしれません! どれくらい前から目を離してたんですか!?』


 取り乱しながらも状況を探ろうとするその姿勢には感心するけれど、私が目を離したのは、せいぜい二分程だ。焦ることはない。私はまず、近くの男性店員に声を掛ける。


「店員さん、さっきの長身の、高町さん? って方、もう上がっちゃいました?」

「え? ええ、はい。すいません、何か御用でしたか?」

「いえ、確認しただけです。突然すみません」

「あぁ……いや、わかりますよ」


 続いて会計しようと思った私に、その店員は得心したように笑った。


「彼、好青年ですしね。よく女性のお客様には声を掛けられてるんです。ここだけの話、彼にはコーヒーの話より、紅茶の話の方が喜びますよ」


 楽しげにそう言って、店員はウインクする。わざとらしい仕草ではあったが、不思議と不快感がない。


「あはは、ありがとうございます。参考にしますね……ごめんなさい、さっき注文したサンドイッチなんですけど、テイクアウトにして頂けますか? 用事ができたので」

「構いませんよ。急いでお持ちいたします」


 会話の流れからして私は完全に男目当ての客に見えただろうけれど、店員はまるで気にしていないように、本当に素早く、出来上がったサンドイッチを紙袋に入れて用意してくれた。


 その間に私はスマホで会計を済ませる。わざわざ店の入り口で一礼する店員の男性を尻目に、私は店を出た。


『数日以内に彼は間違いなく殺されます——急いで追ってください!』


 耳元から、未だに焦燥した彼女の声が聞こえてくる。私が店員と話している間は音声を切っていたことから、相当焦っているのがわかる。


 店を出て、すぐに周囲を確認した。高町の姿は既に無い。店を出て少し左に歩けばスクランブル交差点があり、右にしばらく進めば住宅街に差し掛かる。


 ——うん、右だな。


 そこまで確信してから、彼女に声を掛ける。


「オーケーオーケー、焦らないで束音さん。高町さんは見つけるから」

『こんなにすぐ見失うのでは、さすがに心配になります』

「大丈夫だって、私を信用しなよ」


 私はあくまでそう言って束音を落ち着かせながら、感じるままに右へ小走りで移動し始める。


『彼の位置をGPSで確認しました。今束音さんがいる位置から……あれ? 朱音さん? 見失ったんですよね?』


 彼女は戸惑ってそう問い掛けてくる。私が迷わず移動しているのを確認したのだろう(当たり前だけれど、渡されたスマホで、私の位置も監視されているようだ)。


「視界にはいないけどね……だからと言って探せないわけじゃないんだ。私には」

『……と、言いますと?』

「隠すつもりなかったんだけどさあ、私の能力は、束音さんや組織の推測とは、実はちょーっと違うんだ」


 そう言った一瞬、視界が暗転する。私は立ち止って、視界に浮かぶ映像に集中した。



 高町が歩いていた。

 店で着けていたエプロンを外して、サコッシュを肩に掛けながら、ぼんやりと歩いている。映像の中で、私は自分の手も足も見えなかったが、普段と同じように移動できた。

 考え込むように俯いて歩く高町の表情に目をやってから、付近の状況に目を向ける。すると、彼の行く先に、一人の男性が見えた。


 ——見覚えのない男だが、私にはその危険性が、一目でわかった。


 デニムのジャケットを着たその男は、反対からゆっくりと歩いてくる。その視線はずっと、射貫くように高町を向いていた。左手は見えているが、右手は違う。こちらから見えないように、隠すように背中に置いている。

 徐々に二人の距離が近付く。あと数歩と言うところで、高町は男に気が付いたのか、顔を上げ、男と目が合う。男は目を見開き、大股で走りだし、高町が何かを言う前に——右手に持っていたナイフで彼を刺した。

 一回、二回、三回。

 高町が倒れ込むのを無理矢理立たせるように、男は突き上げる。そして、四回目に刺してから、ようやく倒れる高町をじっくりと見下ろした。

 その眼は充血していて、倒れた高町をもう一度刺しそうなほど、怒りに満ちていた。

 しばらくふーっ、ふーっ、と息を吐いてから、気が付いたように周囲を見る。彼にとっては運の良い事に、人目はないらしい。彼はその場から逃げ出すように駆け出して——そこで視界が、真っ白な光に包まれた。

 


「——————むぅ」


 光がゆっくりと消えて、元の視界に戻る。


 そして周囲の音が一気に戻った。車の音や、人々の足音に、音響信号。街中でイメージが見えると、戻る時にいつもこうなるのだ。


『……で、その能力と言うのは?』

「ごめん束音さん、ちょっと待って」


 束音にそう言って、私はすぐに近くの路地裏に走り出す。さっきの何倍も速く、ほぼ一瞬で。


 路地裏の奥で角を曲がり、できるだけ人目のないところで、私は高く跳んだ。近くにある一番低い建物の屋上までひとっ跳びで上昇した私は、そのまま屋根の上を駆け出す。いくつかの建物を飛び超え、あるアパートの屋根に降りたったところで立ち止り、真下の歩道を見下ろした。


 俯いて歩く高町と、反対側からそれに近付く男性が見えた。


「——見つけた」

『はい? なんですか?』

「高町を発見。もう数秒待って」


 徐々に近づく男に、高町が気付く。男の目は見開かれていることだろう。


 男が走り出すより先に、私は屋根から飛び降りた。男の後ろに着地した私は彼の足を払う。男性の手からナイフが零れ落ち、彼は尻もちをついた。


 私はそのまま彼の傍にしゃがんで、顎に拳を一発打ち込む。


「————っ!」


 男は何が何だかわからないまま、地面に倒れ伏した。


 呼吸や目を観察して、気絶したことを確認する。


「…………よしっ」


 思い通りに事が運んだぞ。


 私は一度ガッツポーズをしてから、人が来ないうちに男を担ぐ。


 そこで、私はようやく高町と目が合った。


 高町はただ、口を開けて私の行動を見守っていた。


 やばっ、忘れてた。


「……えーっと」


 何か言おうとしてから、考え直す。


 どう説明すれば理解してもらえるか、まるでわからないからだ。


 どころか私や束音の事を説明していいのかどうかも怪しい。


 だからとりあえず、私は作り笑いを浮かべてこう言った。


「とりあえず、その……紅茶の話でもする?」


 彼は私に合わせるようにひきつった笑みを浮かべてから、すぐに私に背中を向け、走り出す。


 高町はにげだした!


 その動きは予想できたので、私はすぐに男を捨て腰に掴みかかる——まだ若干力が残っていた私はそのまま、彼を持ち上げ、捨てた男の方へ横向きに投げ飛ばした。


「うわっ……!?」


 悲鳴を上げる高町は、そのまま空中を飛んで、受け身なしで地面に激突する。


 高町はそれでも立ち上がろうとしたが、激しい動きで平衡感覚が狂ったらしい。目を回して何もできず、地面の上でのたうち回って、最後には気絶した。


「……『しかし、まわりこまれてしまった!』ってね」


 ははっ、どうしよう。


 今までは偶然死にそうな人を見つけては適当に助けていた私だけれど、助けるだけじゃなく保護するという経験は、案外多くない。


 まずいな。この後の処理、どうすればいいんだ?


 とりあえず、アパートの入り口辺りに二人を座らせてみる。


 ……うーん、スポーツが終わった後に友情が芽生えた二人、みたいな? いや、無理か。


『あの、朱音さん? 大丈夫ですか?』

「おおっ、束音さん! 丁度いいね!」

『いえ、丁度いいと言うか、私はずっとそちらの音声を聞いていたんですけれど……まさか、対象と接触したんですか?』

「うむ、助けた時につい」

『言うまでもないと思っていたんですけれど、こちらの事を悟られないようにするのがベストですから、次からはお気を付けください』


 難しいことを言うねえ。

 

 だが確かに、もう少し早くついていれば、高町が気付く前に介入できた可能性は高い。そう考えれば、やはり自分のミスは否めなかった。


「……ごめん、ミスしたね」

『いえ、助けられたのは朗報ですから。それで、今の状況は?』

「高町とそれを狙う男が一人、目の前で目を回してる。昼間だし人通りはないけど、あんまり長く置いておけないかな」

『そちらに車を向かわせていますので、しばらくお待ちください』

「準備がいいなあ」


 私がひと悶着している間に、対応策を考えていたわけだ。


『大通りで大立ち回りを起こすような状況も考えられますからね。いくら記録上死んだ私達とは言っても、現代は相互監視社会ですから。素早い撤収が重要です』

「回収した後どうするかは決めてる?」

『二人共安易に解放するわけにいきませんからね。高町氏にはある程度状況を説明して、協力を求めてみましょう……その襲った男性については、しばらく拘束して、調査も必要ですね』

「拷問する?」

『必要とあらば』


 ……冗談だったんだが。経験が無いとは言わないが、こんな素面でできるものじゃないぞ。


『ですがまぁ、必要はないでしょう。いざという時には、尋問の用意がありますから』


 尋問の用意?


 問い返そうとしたところで、目の前に引っ越し業者のトラックが一台停まった。


 ドアが開くまで警戒していたが、運転手を見て、その警戒を解く。その運転手は、喫茶店まで乗っていたリムジンを運転していた、四十代位の男性だったからだ。


 ただその服装はリムジンを運転していた時の、黒スーツに帽子を被っていたもので、トラックはあまり似つかわしくない。


 次はトラックか。まぁ、何かを隠すには丁度いいのかもしれない。


「トラックが来たから、二人を運ぶよ。束音さんとも落ち合える?」

『そのつもりです。先程の話も、まだ続きでしたし』

「ああ、そうだね」


 私が束音と話している間に、運転手さんは男性二人をそれぞれ担いで、トラックの荷台に運び入れる。覗き込んでみると、荷台には毛布や敷物が用意されていた。担ぎ込まれた男性二人は、その中でダクトテープにより拘束される。


 ——本当に用意が良いな。


「朱音様」


 荷台から出たところで、艶やかな低音の声で呼ばれた。振り返ると、運転手さんがゆっくりと帽子を脱いで、恭しく一礼する。


「遅ればせながら、ご挨拶を。道券家よりバトラーの役を拝命致しました、ドミニク・アルカンと申します。以後お見知りおきを」

「えっ? ああ、はい、よろしくお願いします……アルカンって、アネットさんの?」

「ええ、アネットは妻です。もう一人、息子のレヴィと共に、道券家に仕えております」

「……そうでしたか」


 確かによく見ると、ドミニクさんは黒髪ながらも、彫りの深い顔をしている。身長も私より十センチ近く高い。立場から考えて、アネットと同じく、束音に信頼されているのだろう。


「では朱音様、出発致します」

「は、はいっ」


 大人の男性らしい迫力に若干気圧されながら、私はトラックに乗り込んだ。

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少女は命にしがみつく 卯月聖日 @seibi_udsuki

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