第9話 高町恵一①

『対象者の名前は高町恵一。二十五歳独身。三代続く喫茶店の四代目として、父親の元で働いているようです』


 店内で注文したターキッシュコーヒーを飲みながら、耳元で聞こえる束音の声を受け取る。


 彼女が店を出て、五分としないうちにコール音は届いた。既に対象者の物とペアリングしたスマホで、彼自身の情報を漁る。


「繁盛しているね」

『店の評価は高いですよ。実際紅茶は美味しかったです』


 コーヒーも悪くない。表面が細かな泡で覆われ、一口ごとに強い苦みが脳に響く。好きな感覚だ。


「とりあえず、今すぐ死ぬ可能性はないみたい。何も見えてこないし」

『予想通りと言えば、予想通りですね。とは言え、命の危険は確かにあります。交友関係に問題がないか調べていますが…………うわっ』


 不快そうな声で束音が呻いた。


「どうしたの?」

『いえ……その、恋人が複数いるようです』


 ——それはそれは。


 私もすぐに、彼のチャット履歴を開く。女性との履歴が多数あるが、そのほとんどが、煽情的な、刺激の強いものばかりだった。文章に画像、いくつかは動画すら送られてきていた。


「恋人……っていうか、遊びじゃない? 同意の上での性的な関係って感じ」

『ええ。ただ、本気になった相手も多いようです……そうした女性への彼の対応は、不誠実なものですよ』


 確かに、相手の何人かには真剣な交際を望んでいるものもいるらしい。ただし、高町の返答はかわすようなものばかりで、ハッキリとした返答をしていなかった。そういう相手にはどんどんと返信を遅らせて、自然消滅を狙うのが手口らしい。


「まぁ、悪い事だとは思わないけれどね。お嬢様には刺激が強すぎたかな?」


 生々しいメッセージ達に気持ち悪さを覚えながらも、私はそう言って茶化す。そうして自身を安定させようとする私とは反対に、束音は不快感を隠さずに声に出している。


『世間知らずみたいに言わないでください。私はただ、不誠実な人が嫌いなだけです』

「ふーん……しかし手当たり次第だね。大学時代の同級生やお客さんに、その友人に————友人の母親? マジで?」


 倫理観の薄い私でも、流石に少し引いてしまう。だが同時に、カウンターのお客さんと朗らかに話す彼を見ながら、感服もした。


「そんなにイケメンってわけでもない、けどね。話術に長けているんだとしたら、接客は向いているのかも」

『お客さんに手を出すカフェ店員なんて最低です』

「誘ったのは見る限り、女性からみたいだけど。どうする? 自分の遊びで殺されるなら、それも仕方ないってことにする? 今のうちに他の人を助けに行くのもありかもよ」

『そんなに沢山計画殺人が起こるとも思えませんけれど……いえいえ、ではなく。相手がどんなに倫理観の欠けた相手でも、殺人を許容するわけにはいきません』


 気丈にもそう話す彼女に、私は少し驚く。


「まぁ、助けられるなら助けるべきだと思うけれど、矛盾も感じるな。束音さん、私を雇ったんだよ?」

『過去ではなく現在を見るんです。助けられる命に、貴賤をつけてはいけないんです。でないと、私達には命の選別ができてしまいます』


 彼女はあくまで強固に主張する。


 まぁ、特別異論があるわけではない。彼女の発言は、多分正しい。


「——了解。私は監視を続けるけれど、束音さんはどうする? 狙われる理由がわかってきたとはいえ、どの道あとは私に任せるしかないんじゃない」

『いいえ、私は彼と関わった女性達を調べます』

「は? なんで?」

『……朱音さん。あなたの能力なら殺害を止めることもできるでしょうけれど。その後はどうするんですか? 一度阻止したところで、また狙われる可能性は十分にあります。一生一人だけ守るつもりじゃあないでしょう?』

「……ああ」


 正直、そこまで考えていなかった。


 なるほど、確かに計画殺人なら、一度失敗したからと言って安心はできない。ただ救うだけでは、原因は消えないのだ。犯人が捕まるとも限らないし、殺害を目論む人と、実行犯とが違う可能性もあるのだから。


「えっ、じゃあなに、犯人を特定して、その上諦めさせないといけないの?」

『理想は実行する前に止めることです。殺人は許容できませんが、誰にでも事情があります。殺そうとする人がいるのなら、まずは説得したいんです』

「できるかなあ」

『必要な手段を取りますよ。ああ、そうだ朱音さん、支払いについてはそのスマホで可能です。後日カードもお渡しします。とはいえ、資金も無限ではないので、浪費しないでくださいね』

「生活費まで全部世話してもらう訳だしね。これ以上迷惑掛けないよ」

『お気遣いありがとうございます。それでは』


 彼女が通話を切る。コーヒーだけで長居するのも怪しいかと思い、近くを通る別の店員に、サンドイッチを注文した。


 その後、レジの近くにある雑誌を取りに行ったところで、一人の女性が店内に入ってくる。


「いらっしゃいませ」


 その女性は私の後ろを通り過ぎ、カウンターの席に座る前に、高町の名前を呼んだ。


「恵一、久しぶり」


 私より身長の少し低い(百六十センチほどだろうか)ハスキーボイスのその女性は、周囲を気にせず、カウンターの高町まで聞こえるよう声を掛けた。


「久しぶりに話せる?」


 彼女を見た彼は一瞬だけ困惑を表情に浮かべたが、表情を硬くして「どうぞ」と答える。


「…………」


 私は雑誌を持って席に戻りながら、さっき切ったばかりの束音に通話を掛ける。ワンコールで彼女は出た。


『何かありましたか?』

「女性が入ってきたんだけど。高町さんの知り合いっぽい。でも、スマホのデータにない人なんだよね」

『一年前くらいに買った携帯みたいですからね。とはいえ、連絡先は移せるけれど……何か話してます?』

「カウンター席だから、ちょっと聞こえなくてね。なんとかならないかなって」

『ああ。それなら』


 彼女に指示されながら、私はまた『XXX』と書かれたアプリを起動する。彼女に指示されたままにボタンを押すと、束音との通話が切れ、唐突に男女の声が聞こえてきた。


『——だね』

『ああ、久しぶり』


 高町ともう一人の女性を見る。口の動きから、これが彼らの会話なのだと確認する。


 ——なるほど、携帯から音を拾っているのか。


 ゾッとしながらも、私はスマホを開いて、メッセージアプリを確認する。そこには『連絡用(た)』と書かれた連絡先が一件だけ登録されていた。メッセージを送る。


『会話を聞けた。どうもー』


 送って一分しないうちに既読が付き、返事が来る。


『悪用厳禁ですよ!』

「はいはい」


 彼女の返信に少し笑ってから、彼らの会話に耳を傾ける。聞く限り、あまり中身のある話はしていなかった。お店の近況報告とか、その程度の話題だ。


『それで、この店……継ぐことにしたの?』

『ああ、そうだよ。親父のためにも、そうした方がいいだろ』

『お父さんのこと、嫌ってたのにね』

『……俺も変わったんだよ』

『そうみたい。あなた最近評判悪いわよ。女性と遊び回ってるって』

『誰に聞いた?』

『大学の同期。詳しくは聞いてないけど——』

『そんな噂信じるな』

『……そう言われても』


 ——あまり楽しい内容ではないようだ。


 どうやら会話の主導権は、終始女性の方が握っているようだった。距離感から言って、長い付き合いなのだろう。


 気になるのは、高町の反応だった。終始落ち着きがなく、彼女が彼の評判について話してからは、強い口調で女性に言い聞かせようとしている。女性の方は困惑して、彼を落ち着かせようとしていた。


『ねえどうしたの恵一、私は』

『今更関係ないだろ。もう別れたんだ』

『そうだけど、私……心配で』

『心配ない——香澄。忙しいから、仕事に戻るよ』


 雑誌を読んでいるフリをしながら、彼らの方に視線を向ける。高町は女性から露骨に視線を逸らして、他の店員を手伝い始めた。女性は不満げにそれを目で追うが、やがて黙って、手元のカップに口をつけ始める。


 私は会話中に撮影した二人の写真を添付し、束音にメッセージを送る。


『例の女性は元カノだった。香澄という女性。高町の女遊びを気にしているけれど、殺しはしないと思われる。大学の同級生らしい。写真を添付します』


 送って一瞬で既読が付き、すぐに返事が来る。


『写真をありがとうございます。爽やかそうな方ですが、それでも人は殺せますよ』


 ——予断を持つなと言いたいらしい。


 返答しようとしたところで、通話が掛かってきた。


「もしもし」

『大学のデータベースにありました。八幡香澄さんです。高町氏と同じ元文学部ですね』

「女遊びは彼女と別れてからみたい。彼女が気づいてなかっただけって可能性もあるけど」

『殺しはしないというのは、何故ですか?』

「別れた今も、彼を心配してそうだから。女遊びについても、変わった彼に戸惑っているって感じ。そもそも計画的に殺そうって相手に、会いに行かないんじゃないかな」

『どうでしょう。犯罪になれていない人間は、余計なことをしがちですよ』

「それって実体験?」


 からかい交じりに聞いてみる。彼女は一瞬だけ押し黙る。


『朱音さんも経験あるんじゃないですか?』


 言い返す彼女の言葉に、今度は私が押し黙って、目を伏せた。


 思い当たる節があったのだ。


「まぁ……そっちはどう? 何してるの?」

『チャットの履歴の中で、対象を恨んでいそうな女性をリストアップして、調査しています。一人目の携帯に侵入しまして』

「随分早いね」

『彼の連絡先にメールアドレスも載っていたので、恐喝メールを送っただけですよ。実に簡単でした』


 私の誉め言葉に、束音は自慢げにそう返す。


「……は? 恐喝? なんで?」

『ワームを仕込んだんです。メールを開いたデバイスを乗っ取るものですね』

「いや、まぁメールを開いたら侵入、みたいなのは聞いたことあるけど……その内容が恐喝文だってところが気になるんだけど」

『昨今、勧誘や宣伝のメールは開かないでしょう? 下手に企業を名乗ったメールさえ警戒する人が多い。でも、恐喝メールは別なんです。誰から恨まれているのか、警察に相談すべきか。なんにしても、とりあえず内容を読んでみようと思う人が多いんですよ』


 怖い物見たさって奴ですかね、と束音は楽しそうに話す。その声は弾んでいて、どこか悦びを感じさせた。


 ——会話の端々で私をひやひやさせる女だ。盗聴もそうだが、意外と過激な子なのかもしれない。倫理観についても、どこかぶれているように感じる。


「……で、女性の情報は?」


 それでも、仕事は仕事で、上司は上司。

 どんな人であれ、私の義務は変らない。


 そう思うことにして、誤魔化すように尋ねた。


『ええ。名前は軽井沢琴音かるいざわことね。二十二歳。二人はその喫茶店で知り合ったようですね。付き合い……というか関係は、ここ二ヶ月程です。その二ヶ月で、彼女は高町氏に結婚を迫っています』

「二ヶ月で? 早くない?」

『運命を感じたのかもしれませんよ』


 運命を感じるのと信じるのとじゃ、全然違うことのように思えるけれど……。思い起こしてみれば、高町が性的な関係のみに徹底しているのに対し、結構な相手が彼に対してアプローチを仕掛けていた。


 明らかに遊び慣れていそうな男性に対して、そこまで多くの女性が、恋愛感情を持てるものなのだろうか。初恋もまだの私には、よくわからない。


「で、その軽井沢さんに対して、高町さんはやっぱり?」

『ええ、これについてはぐらかし、他の女性と同じよう徐々に返答を遅らせて……現在に至ります。現在に近付くにつれて、不安定になる彼女の様子は、ご自分で確認してください』


 言われるまでもなく、私は軽井沢さんとのチャット履歴を確認していた。


 一番新しいものには、『どうして連絡をくれないの』だの、『また会いに行くから』だのと言った連絡が連続している。


 どうやら店にも幾度となく訪れているらしい。


「恨んでる可能性はあるけど……どうだろう。計画殺人っていうより、逆上して殺しそうだね」

『無視され続けて逆上したのが今朝なら、私はその運命を読み取りますよ』

「ああ……確かに。一応顔写真は送っといてもらおうか——あっ」


 話しながら顔を上げて、視線を店内に探るように回して、気付く。


『どうしました?』

「ごめん、束音さん」


 私はそう言って立ち上がり、近くの店員を呼び寄せるよう手を挙げながら、束音に伝えた。


「高町さん、見失っちゃった」

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