第8話 道巻束音①
束音と私はカフェの店内に入り、一番奥の席に着いた。端側に座った束音が、ポケットから取り出したスマホの背面を私の方へ向ける。
「ちょっと失礼」
静かに画面を三回ほどタップしてから、そのスマホを私に向けて見えるように置いた。画面には、例の男性が映っている。
「隠し撮りとはね。まるでスパイみたい」
「まだ序の口ですよ。まずは彼がどんな人か調べないと」
「聞いてみれば? 『あなた命を狙われてそうな顔してますね、思い当たります?』って」
「危ない客だと思われますよ。もっと簡単な方法があります。その前に彼の名前を聞かないと」
「名字は高町だよ。ネームプレートちゃんと見なきゃ」
「人を見ると未来の方が気になるんですよ……」
そう言って彼女は、『XXX』と書かれたアプリを立ち上げる。アプリ内に表示されたのは、どうやらデバイスのリストのようだった。その一つを選択する。
「これであの人の……携帯が送受信するデータを受け取ることができます」
「危ない客だな」
つい顔をしかめてしまう。そんな落とし物を拾うみたいな軽い動作で、個人情報を盗めてしまうものなのか?
「どういう仕組みなの?」
「大抵の携帯には脆弱性があるんですよ。それが私に想像しうる範囲のものなら、簡単に制御を奪えます。デバイスの特定には朱音さんの力を借りましたけどね」
「さっきのリスト? ネームプレートを見る仕事を完璧にこなして見せたってわけだ」
「デバイス名に自分の名前を入れてくれる人はありがたいですね。携帯に個人情報を沢山入れてくださる人も」
「……束音さんに会う前に携帯が壊れてよかったよ」
取られるような情報がそもそも入っていたかはわからないけれど。友達の連絡先は殆どないし、母の写真くらいだろうか。
……いや。ひょっとしたら、私が覚えてもいないような情報さえ、彼女は抜き出せてしまうのかもしれない。
「——人を頼れない理由があるの?」
「え? なんですか?」
彼女がぽかんとして顔を上げる。質問が唐突過ぎると気付いた私は、再度質問し直す。
「あなたにはお金があるし、人嫌いって感じでもない。能力の事を隠したままでも、組織に力を借りられなくても、もっと人員を用意できた気がする。盗聴や尾行ができる人をね。だから、人を頼れない理由があるのかと思って」
お金は力だと私は思う。何でも解決できるわけじゃないけれど、あらゆる問題を解決する手助けにはなるはずだ。その力を持つ彼女が、なぜ自ら学習して技術を手に入れる必要があるのか、気になっていた。
「……私はあまり、人といない方がいいんですよ」
彼女はすぐに手元に目を落としてから、静かに答えた。
「誤解がないように言っておきますが、私は必要に駆られてこの技術を手に入れたわけではありません。試してみたらテクノロジーに向いていただけで、もしそうでなければ、違う方法でこの活動をしていたでしょう」
それに、と彼女は続ける。難しい理屈を子供に教えるような、そんな丁寧な話し方だ。
「誰でもいい訳ではありません。人が死ぬような事件です、能力者が絡む可能性も十分あります。そう言った問題に事情の知らない方を派遣するほど、無謀ではありません」
「私の能力は相性がいいからね、死んで困ることもないし」
冗談めかして言う私に、彼女は少し不機嫌そうな顔をした。
「あなたを選んだのは、この仕事に全力を尽くしてくれると知っていたからです。能力は大した問題ではありませんし、本当に亡くなるのは困ります。朱音さんは仕事がなければ、もう自分には価値がないと思っているみたいですけれど、あなたが生きていれば会えるはずだった人達にとっては、それは大きな損失なんですよ」
——私の死亡を偽造した人の発言とは思えないな。
そう言おうとして、やめておく。
馬鹿な嫌味だと思ったし、やはりそれは、この仕事には関係のない話だったからだ。
私のどの発言に彼女が反応したのかは、興味があったけれど、それでこの仕事に支障が出るのは避けたい。
所詮私が気にするべきは、助けられる命の事だけなのだ——それが、自分にしかできないことであるが故に。
「……それで、情報は?」
反論しない私をどう思ったのか、彼女はちらりと視線を向けてきて、すぐに戻し。持っていたスマホを渡してくれた。
「私は店を出ます。車に戻ってから掛けるので、これで話しましょう。朱音さんは可能な限り、高町さんから目を離さないでください」
そしてもう一つ、肌色の小さな装置を私の手に持たせる。
「このインカムを耳に嵌めてください。小さめの声でも拾えるはずです。外側のボタンを一回押せば通話に出て、次の一回で切れます」
「ここで話せないような内容なの?」
念のため顔を近付け、声を落として問いかける。彼女も同じようにして、小さな声で答える。
「調べたいことがあるだけです。パソコンは車に置いてきてしまいましたし……というか、その」
束音は少しだけ気まずそうに眼を泳がせてから、恥ずかしそうに目を伏せた。
「外だと私の容姿は、どうしても目立ってしまいますから。朱音さんの邪魔になります」
彼女はそう言って、すぐに立ち上がり、店を出ていく。目で追いかけると、確かに店内のほぼ全員が、彼女に視線を送っていた。ある者はちらちらと、ある者は不躾に。
「……まぁ、それはそうか」
本人は髪や肌の色の事を言ったつもりなのかもしれないが、そもそも彼女は美人なのだ。日本じゃどこにいても、注目されてしまうに違いない。
なんだかすこし同情してしまう。彼女はどれだけ好奇の視線にさらされてきたのだろう。小学校や中学校ではどうだった? そもそも通っていたのだろうか。
恥ずかしそうに去っていった彼女のことを、私はまだ全然、知らない。
それでも、話せば話すほど、彼女のパーソナリティは興味深い。
私を生かして、活かそうとするなんて。
例え死ぬまでの間でも、この仕事は、私にとって楽しいものになるのかもしれなかった。
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