第8話 7.この壜に一樹収めむ桜漬
ワード7.は『壜』
第7話によれば「壜」は「ビン」としては正統的でないというが、一文字で「ガラスのつぼ」を示すという「壜」はやはり「壜」っぽい。「曇」という字が入っているのは、たぶん形成文字かなにかの名残なのだろうか。なので、「壜」には、曇り、濁り、完全な透明ではない歪さの印象が僕にはある。手吹ガラスの気泡、分厚い、黄色や緑がかった不定形な形。ジャムの、なめたけの、佃煮の、あの壜である。
また、壜といえば、ジョルジュ(?)・モランディーの絵の静謐さが好きだ。ダルかペールな色調に並んでいるのは、しかし僕にとって、あれらは「瓶」と表記するのがしっくりする「ビン」なのだが、それは先入観だろうか? その静謐さは、ヴィルヘルム(?)・ハンマースホイのそれであり、ポール(?)=デルボーであり、クノップフであり、だが、ジョルジュ(?)・デ・キリコの、空っぽな静謐さとはちがう、湿度のあるそれなのである。だから、モランディーの「壜」は暖かく湿っている。
大学生のころ、おなじサークルの「女子」(、というのがふさわしい。彼女は、ジブリの『魔女の宅急便』にでてくるトンボによく似ていた)と、かつてあった横浜そごうに出向いては、おはじきや、ビー玉。気泡ガラスの食器類などを買い漁った。トンボ(と呼ぶ)さんとは、オブジェにたいする趣味が一致しており、ビー玉を煮てヒビの入り具合を競ったりしたものだ。ちなみに、第7話に登場した彼女(以後、仮にロッテと呼ぶ)とも趣味を共有しており、僕たちはよく三人であちこちを探索したものだ。
一体僕は壜は空っぽが好きだ。
中身がなくなったときに現れる「かつての内容物の空(クウ)」に、無限を感じたりする。つまり実用としての壜ではなく、空想をつめこんでおくための壜なのである。
蓋は、これはたいへんに微妙で繊細な問題をふくむ。ロッテは空っぽの壜に蓋をしていないと、不安でたまらないと性分であったが、僕としては細胞の遺骸としてのコルクであれば及第だ。だが、原則として僕には蓋は不要なのである。
例外的に好んでいるのは、薬液壜や薬瓶の、ガラス製の揃いの蓋だ。それは自動的に、産院や歯科医、そして科学準備室の臭いを髣髴させる。理科室で手首をきった友人は数学が得意だったこと、その包帯の巻かれた指先がとても冷たかったもあわせて。
さて、俳句を作らねば。
梅干と竹輪と壜の花菜漬
風鈴を壜詰として貰ひけり
雲の峰壜に収めて擲つも
香水の壜に幽閉されし犬
壜の中泳がせておく心太
金魚売一匹づつを壜の中
線香花火激しオキシゲンの壜
壜なくて楽しくもなし浮いてこい
「壜」は抽象的だと感じる。壜は中身があってこその壜なのだ。「壜」と記せば必ず「その中身は?」とたずねられる気がする。僕は「壜」そのものがすきなのだが。
ウニ採りし壜をそのまま箱眼鏡
壜並ぶプールサイドや休業日
壜に色満たしし夜店繁盛す
瓜番のひそませてゐる壜の中
水中りまぢまぢと見る壜の中
さまざまの壜へ蓄へ冬籠
空の壜貫くものに去年今年
年男大きな壜を持参する
ラベル無き壜に囲まれ冬籠
散る桜ひとひらづつを小さき壜
中に何が入っている? これを書くだけでもう、説明的だとか、散文的だとかいわれそうだ。だが、「壜の中」とだけ言って、あとは書かないのは逃げのようにも思う。
そして表題句
この壜に一樹収めむ桜漬
今回はこれで。
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