第5話 4.夏期講座ドイツ語で読む万葉集

ワード4.万葉集

これは単純に、「俳人が歌集をどう句にするか」という興味本位ででてきたワードだと思っていた。だがなぜ『古今和歌集』ではなかったのか? 文字数が違うといっても六文字と七文字で、どちらも収まる。にもかかわらず僕は『万葉集』を提示した。それは、僕の好みの問題ということで済ませてよい選択だったのだろうか? それとも潜在意識に『万葉集』に何かバイアスがかかっているのではなかったか?

 そういえば、『万葉集』を推している女性二人とこれまでに深くかかわっていたことがあったと思い出した。『古今和歌集』よりも『万葉集』がポンと出てきた理由は、おそらくその女性たちの影響だったのだろう。

 その二人とはもう長らく会っていないし、年賀状のやりとりもとっくに途絶えている。おそらくまだ二人とも存命だろうとは思うが、僕の中では現実の生死はもはや問題にはならないほど、彼女たちのことは心に深く畳み込まれていた。

 一人は高校のとき、1年間だけ国語の授業を受けた、新任国語講師であり、いま一人は大学のころ1年ほど付き合っていた女性である。この二人が、『万葉集』を好んでいたのだ。

 新任国語講師は、僕の人格形成に色濃く影響を与えている。僕が先生と呼ぶのは生涯に彼女だけだ。『古今和歌集』の技巧的で、都会的なセンスは、たしかに先生には似つかわしくない。『万葉集』の素朴な、アニミズムに満ちた歌風こそ、先生の「仏」であり「デーモニッシュ」でもある(この「デーモニッシュ」は「悪」の意味をまったく含まないことは明記しておく)存在感にぴったりなのだ。

 先生は1年間だけ高校の国語講師をし、その年の冬に一人の女子生徒が自殺をしたことに深く悩んで、職を辞した。

 もう一人、大学時代につきあった女性もまた、先生に似たところがあった。だが、彼女はその「魂」をもてあましている節があり、つねに「誰か」に助けを求めたいと思いながら、誰にも助けてもらえないとあきらめていた。彼女は額田王が好きで、万葉集に出てくる草花が好きで、ドイツ語が好きで、とりわけ、ヘッセとゲーテと、歌うことが好きだった。

 僕にとっての『万葉集』とは、こういった背景をもったワードだったのである。


 では俳句をつくらねば。

 『万葉集』という存在に対して、天文や植物などでは太刀打ちできないだろうが、「葉」という言葉にひっかけて、さすがに「青葉」「枯葉」「紅葉」は論外として、「桐一葉」とか、「梶の葉」、すると「七夕」から「銀漢」なども考えたがどれも取ってつけたようではまらなかった。

 俳句の『万葉集』は、かならず即物的に『本』であろうと思い直す。もちろん、博物館などで巻物を見た情景だってかまわないわけだが、僕にとっては岩波文庫の万葉集上下巻である。(今、検索したら全五冊セットもあるのだね)

 ならば、本として取り入れる。それが『万葉集』であることが「味」になるような情景を


 啓蟄の万葉集を再読す

 夏館シーツに隠れ万葉集

 暑中見舞い万葉集ゆ一首引く

 滝見茶屋万葉集をポケットに

 曝書せむ背伸びして取る万葉集


はたと、ドイツを絡ませたらどうかと思いつく。


 秋扇独逸語訳の万葉集

 鞦韆や万葉集を独逸語で

 春日傘独逸語で読む万葉集


 そして表題の

 夏期講座ドイツ語で読む万葉集

 となった。

 僕はここで、たしか先生と再会したのだ。たしか……


今回はこれで。

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