南米戦争

1977年6月22日にパラグアイのブラジルとの国境付近で(自由フランスの差し金で)起きた爆破事件を理由にパラグアイはブラジルに宣戦布告した。パラグアイの同盟国のチリとボリビアも参戦。これに、共産主義の拡大を良しとしないアルゼンチンとペルーがパラグアイに宣戦布告。また、エクアドルが旧領奪還を名目にペルーに宣戦布告。一つの事件が一つの大陸全体を巻き込む大戦争となった。

 早速、パラグアイ軍はブラジルの都市であるコルンバを占領。しかし、首都であるアスンシオンがアルゼンチン軍によって包囲され、これ以上の侵攻は中止され、首都救援のため南進した。一方、ペルーはエクアドルとチリ・ボリビアの二方面からの侵攻に苦戦し、クスコが陥落。また、7月30日のコロンビアのペルー侵攻により、戦況はさらに悪化。首都クスコが8月22日に陥落し、ペルーは降伏した。

 西部戦線の消滅により、援軍が到着したアスンシオンは無事に解囲され、アルゼンチン軍約4万を捕虜にした。また、チリがアンデス山脈を突破し、パタゴニアへ侵攻。主力をパラグアイ方面に配置していたアルゼンチン軍は成すすべなく撃破されていった。そして、10月5日に首都であるブエノスアイレスが陥落し、アルゼンチンは降伏を決定した。

 ペルーとアルゼンチンの撃破により、ブラジルに全力を注げるようになったパラグアイ軍は侵攻を再開。ブラジルの防衛線を突破し、10月29日にサンパウロを包囲。パラグアイ軍の砲撃で司令部のあったサンパウロ大聖堂は崩壊。その後、パラグアイ軍が一斉に突撃し、大聖堂の跡地にパラグアイの国旗を掲げた。サンパウロの陥落後はパラグアイ軍がリオデジャネイロに侵攻。激しい攻防戦の中、パラグアイ軍の砲兵部隊が放った流れ弾がキリスト像に着弾。キリスト像は当たった場所からひびが広がり、着弾から4秒後、像が市街地方向に崩壊。戦闘をしていた部隊と民兵を組織していた市民を巻き込み、大きな被害を生み出した。また、目の前で神が崩れ去ったことに絶望したブラジル軍は戦意を喪失。そのまま全軍が捕虜となった。

 その後、ブラジルは首都であるブラジリアが占領され、降伏寸前に陥った。ブラジルの崩壊に危機感を感じたベネズエラがブラジル側で参戦するも、直ぐにコロンビアに蹂躙され、壊滅する。そして、1977年12月22日、クリスマスを目前としたこの日、ブラジルは降伏した。また、ギアナに逃亡した自由フランス上層部も捕らえられた。

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