インドシナ戦線
1976年6月23日、ベトナムには死の雨が降った。その雨はあらゆるものを枯らした。これによって、ベトナムから6割の森林が消えた。また、これを浴びてしまった民間人にも甚大な健康被害をもたらした。多くの民間人が苦しむ中、軍は森林の跡地を駆ける。7月3日にベトナムの反政府組織の拠点フエを占領。11日に最後の活動拠点であるサイゴンを占領し、反政府組織は壊滅した。だが、中国による枯葉剤使用は対越関係の悪化を招き、20日にベトナムが上海条約機構を抜け、大ゲルマン帝国連合・チェンマイ条約機構・自由連合と単独講和。それに伴い、欧州方面に派遣されていたベトナム軍は全員帰国した。ベトナムの離反により、後方補給路が寸断されたカンボジア方面軍は降伏。ラオス方面軍も戦線の大幅な後退を余儀なくされた。
1976年7月14日 中国 昆明市
「…これより作戦会議を始める。現在、我々はルアンパバーン付近で膠着している。そこで敵の注意を南方に向けさせようと思う。」
タイ南部の地図が映し出される。
「現在、タイ軍はシンガポール攻略の最中だ。シンガポールは戦略上、非常に重要な場所である。そのため、多くの兵を割いているだろう。そこで後方に上陸し、敵の補給線を寸断。敵主力を撃滅する。我々は多くの兵力を割けない。よって、現在中立のミャンマーを利用する。」
「我々側に参戦させるのか?」
「いいや、違う。見ての通り、タイの国土の幅は一部がミャンマーによって大きく狭められている。そこで我々はその地点に上陸する。決して泰麺国境を越えるな。寸断後は部隊を半分に分ける。一方は北方で防衛を、もう一方は敵主力のあるマレーへ侵攻する。」
「マレーでの戦闘が終わったら、全軍を北に向ける。そして、南北から一斉に攻勢を仕掛ける。これで敵は瓦解するであろう。」
1976年7月28日 タイ ムアンプラチュワップキーリーカン郡のどこかの海岸部
「全軍上陸開始!」
その掛け声を合図に中国軍3個旅団が上陸。駐屯するタイ軍を蹴散らし、ミャンマー国境に到達。その後は中国軍が南下を開始。また、同時にシンガポールでも反攻作戦を開始し、タイ軍は総崩れとなった。8月10日にはクアラルンプールを奪還し、マレー半島に展開していた全タイ軍は降伏。その後は南北からタイを攻撃。既に軍の7割が戦死したタイは満足な抵抗を見せられず、8月31日に降伏。また、翌日にはカンボジアも白旗を上げた。これによって、チェンマイ条約機構は壊滅。残党がアメリカに亡命したが、もう再建はほぼ不可能だろう。
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