新たな戦線

チェンマイ条約機構

1975年9月11日 タイ チェンマイ

 ここでは中国に圧力をかけられてきた国々が会談をしていた。彼らは秘密裏にチェンマイ条約機構を結成しており、中国への復讐をもくろんでいた。

 「どうやら、中国が主力を欧州に派遣したらしいぞ。」

 「となると、本国の防衛は多少手薄になっているはずだ。」

 「……これは奴らに復讐する機会だと思わないか?」

 「そうだ。今までの恨みのお返しをしてやろう。」

 「それでは9月16日に一斉に中国領へ侵攻する。」


 1975年9月16日 中国 国境付近の町

 「進め!」

 その掛け声とともに長春政府軍20万が一気に越境してくる。これに対し、1万しか兵を置いていなかった中国は敗退していった。

 「いいか!何としてでも北京は守り抜け!」

 「大変です!タイ・モンゴル・カンボジアも我が国に宣戦布告しました!」

 「なんだと!」

 他方の戦線を抱えることになった中国は圧倒的に劣勢になった。


 1975年9月19日 北京

 「喰らえ!」

 「奴らを先に進ませるな!」

 北京はカオスな状態になっていた。北京防衛軍15万に対して攻撃部隊は50万を超える。中国軍は圧倒的劣勢でありながらも、防衛を続けられていた。しかし、防衛司令部のある清華大学が陥落すると、士気は一気に下がり、12万もの軍が降伏した。また、南方でもベトナムが反中勢力と親中勢力に分かれて内戦を起こした。このように多数の戦線を抱えることになった中国は次々と都市が陥落。

  

  10月5日には広州、

    10日には黄河を越えられ、済南が陥落。

    22日には武漢が南北からの攻撃により陥落し、中国軍は西部方面軍と東部方面軍に分断された。


 そして、遂にその手は首都南京にまで迫り、呆気なく陥落した。中国がここまで多くの敵を作ってしまったのには戦後の外交に原因があるだろう。常に周辺国に圧力をかけ続けた。最後はその圧力に押し返され、崩壊していった。だが、一部抗戦派は台湾に逃れ、徹底抗戦を表明した。


 1975年12月8日 韓国 釜山

 中国の同盟国というのもあり、韓国でも攻勢が加えられていたが、何とか防衛に成功していた。だが、11月の秋季大攻勢により、ソウルが陥落。その後、敗退を続け、釜山まで戦線を後退した。現在は日本の支援を受けながら軍を済州島や対馬に輸送していた。そんな中、ある兵士が空の異変に気付く。

 「おい、あれ…」

 次の瞬間、その「あれ」は釜山への攻撃を開始した。

 ドカーン!

 「クソッ。国籍特定急げ!」

 「丸の中に星……アメリカ!?」

 「馬鹿な!?奴らは我々と不可侵を結んでいるんだぞ!」

 「とにかく早く迎撃するぞ!」

 そのとき、司令部に爆弾が投下され、プサンに残留していた韓国軍は全滅した。


 同時刻 イギリス連合 インヴァネス

 チュドーン

 「クソッ。資本主義者共め。やり返してや…」

 「隊長!前方!」

 「なっ…」

 ドカーン

 インヴァネスでも釜山と同様の光景が広がっていた。インヴァネス城は流れ弾で破壊され、インヴァネス駅駅舎は崩落した。これにより、一般市民も多数犠牲になった。


 翌日、亡命英仏政府とアメリカ合衆国は第五インターナショナルと上海条約機構に対して宣戦布告をした。

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