第五次バルカン戦争
1975年6月20日、南スラブ連邦とブルガリアとの間で小規模な国境紛争が発生。やがて、それは大規模になり、遂に両国間で戦争が勃発。さらに、これを旧領回復のチャンスと捉えたルーマニア、ギリシャがブルガリアに宣戦布告。バルカン半島は戦火に包まれ、第五次バルカン戦争が勃発。ブルガリアは大ゲルマン帝国連合に加盟し、大量のドイツ軍が傀儡のウクライナから一斉にルーマニアに侵入。兵力のほとんどをブルガリアに割いていたルーマニア軍は一瞬で崩壊し、7月11日に降伏。さらに、ブルガリア軍が7月20日に南スラブの主要都市のニシュを占領。そのまま首都ベオグラードへ直行。フランス軍はこれに対応するため、ドイツ本国攻略用の部隊を一部バルカン戦線へ転送。さらに、この動きに気づいたドイツ軍が反攻作戦を開始。チロル方面を突破し、イタリア方面軍とバルカン方面軍を分断。南スラブ方面は常時攻勢を受けることになった。そんなバルカン半島のカオスっぷりを知ったSTOも行動をとることにした。
1975年8月1日 イラン テヘラン STO中東方面軍司令部
「えー、周知の通り、現在バルカン半島は戦乱真っただ中だ。我々はこれに介入しようと思う。現在、トルコとギリシャに陣営加盟の通告を送ったところだ。」
「向こうが拒否した場合は…」
「奴らを道路にする。ほかに質問はないか?ならば、これで決まりだ。」
翌日、土希両国が加盟を受諾。土勃国境とギリシャ戦線から攻勢を開始。8月5日にテッサロニキを解放。また、8月10日にブールガスが陥落すると、南スラブ戦線でも反攻が開始。11日にニシュを奪回。14日にはブルガリア本国へ侵入した。15日にはソフィア攻防戦が開始。17日にはSTO軍も到着し、激しい戦闘が繰り広げられた。
1975年8月19日 ブルガリア ソフィア
ソフィアは今、地獄のような光景になっていた。西方と南方から侵攻してきた部隊とブルガリア軍が激しい戦闘を行い、市街地は破壊され、大量の死体が転がっていた。ブルガリア軍は徐々に押され始め、ソフィア中央駅へ撤退し、強固な防衛戦を築いた。なかなか突破できない戦線に第5インターナショナルとS.T.Oの指揮官は苛立っていた。
9月5日、ソフィア中央駅に大量のスズメバチを投入し、敵を混乱させ、その隙に戦線突破を狙う「Y-SUCK」作戦が行われた。結果は想定以上にブルガリア軍の混乱が見られ、容易く突破できた。
その後、ブルガリアは降伏し、ルーマニアは解放され、S.T.Oに加盟した。しかし、この戦いでS.T.Oの欧州派遣軍は4割が壊滅。本国から新たな人員を派遣するさせることになった。
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