ハンガリーの離脱
1975年5月4日 ライン川
「突撃!」
その言葉と共にフランス軍は一斉にライン川を渡河した。ドイツ軍は必死の防衛を行ったが、絶えない攻撃にドイツ軍は疲弊していった。そして、5月18日に、ライン川は突破された。フランス軍はその穴に大攻勢をし、5月22日にフランクフルトを包囲。5日にわたる攻勢の末、勝利。前線を一気に押し上げ、ライプツィヒに到達。更に、オランダ方面でもアムステルダムを占領。オランダ政府はフローニンゲンへ首都を移し、徹底抗戦を表明したが、5月29日にフローニンゲンも陥落。オランダは降伏した。 フランスはゲルマニア陥落を目指して前線に攻勢をかけるが、エルベ川沿いに築かれた要塞の攻略に手間取っている間に、ドイツの反攻作戦によって、戦線はヴェーザー川まで後退。ドイツ本国の攻略は失敗した。
北ドイツ戦線で敗北したフランス軍は今度は南方から攻勢をかけようとアルプス山脈へ無停止攻勢を開始。休む暇がなかったドイツ軍は後方のドナウ川へ撤退。フランス軍はバルカン戦線を片付けるために7師団をハンガリーへ侵入させた。ハンガリー軍は大量の敵にやられて、本国への侵入を許してしまう。また、対南ドナウ戦線も突破された。ハンガリー政府は降伏するか否かの臨時会議を開いた。
1975年6月7日 ハンガリー ブダペスト 国会議事堂
ここでは、ハンガリーの未来が決められようとしていた。
「現在、敵はバラトン湖に到達。また、南部でも敵がブダペストまで残り約100キロメートル地点まで迫ってきています。」
「最早ここからの巻き返しは不可能でしょう。」
「首相。ご決断を。」
「……分かった…講和をしよう。」
翌日の6月8日にハンガリーは第五インターナショナルに対して降伏。ザグレブで講和会議が開かれ、ハンガリーが南スラブ連邦が領有を主張する領土を割譲することと、ハンガリーへの賠償金請求のみで講和会議は終了した。
1975年6月9日 ドイツ ゲルマニア(ベルリン)
「大変です!」
「どうした?」
「ハンガリーが第五インターナショナルと講和!戦争から離脱しました!」
「何だと!本当か!?」
「はい。既にハンガリー戦線で戦っていた敵軍が南部戦線に現れています。」
「クソッ。ハンガリーへ抗議する。ハンガリー大使を呼べ!」
「了解!」
「おい!勝手に講和しやがって!いったいどういうことだ!」
「首相は我が国の未来を守っただけです。」
「それは同盟国を裏切る理由にはならない!」
「はあ。呆れる。そっちの都合で滅ぼされるのは御免だ。」
「……」
「さてと。フランス軍はもうすぐドイツを滅ぼすだろう。その前に私は祖国へ帰ることにする。それではさようなら…」
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