鷲の失墜
赤きライン
1974年7月20日、フランドルを屈服させたフランス軍はオランダへ侵攻を開始。オランダ軍の防衛線を砕き、7月25日に蘭軍南方方面司令部のあるブレダを攻略。そのまま北進し、マース川に到達。オランダ軍はマース川に小規模ながらも要塞線を作っていた。そのため、フランス軍の前線は停滞することになった。30日になると、オランダ救援のためのドイツ軍が次々と到着し、フランス軍は不利になった。独蘭連合軍の激しい攻撃に遂に8月20日にマース川の戦線は崩壊。フランス軍はアントワープ~ブリュッセル~ナミュールを絶対防衛ラインとし、頑固な抵抗を続けたが、激しい攻勢にフランス軍は疲弊していった。だが、フランスにはまだプランがあった。
1974年9月11日 フランス・ロレーヌ国境
ズダダダ!
「フランス軍の強襲だ!」
フランスは正面のロレーヌへの侵攻を開始した。オランダからの迂回を想定していたドイツ軍にとってこれは予想外の事態であった。フランスに比べて遥かに弱いロレーヌは9月22日に首都ナンシーを占領され、降伏した。これにより、ドイツは正面に大きな穴が開くことになる。10月1日にはストラスブールを占領し、アルザス地方の支配権を奪還した。だが、ライン川には大規模要塞線「ヒトラー線」があったため、ドイツ本土侵攻には至らなかった。
ロレーヌに侵攻した部隊は北上し、ドイツ西部の大都市ケルンの占領と苦戦しているオランダ方面軍の戦線を救援しようとした。結果から言えばこの作戦は成功した。ケルンの陥落により、挟み撃ちされる危機を感じた独蘭連合軍は全軍ライン川まで後退した。それからはとても激しい戦いが繰り広げられた。フランス軍の大量突撃やドイツ軍の反撃でライン川は赤く染まった。
微動だにしない戦線が動いたのは年が明けて1975年1月3日。ストラスブール方面のフランス軍が防衛するドイツ軍を撃破。南西部の都市シュツットガルトを占領。しかし、ドイツ南部にはライン川とは別の川が流れており、また、高地であったため、そこまで侵攻はできなかった。しかし、これにより、ドイツのライン防衛計画は失敗する。
1975年1月19日 南スラブ連邦 首都ベオグラード 国会議事堂
ここでは南スラブ連邦の未来に大きく左右する議案の審議が行われていた。
「えーそれではイタリアへの宣戦布告の議決を取ります。賛成の方は赤の札を、反対の方は青の札を、棄権の方は黄色の札をあげてください。」
議員が自分の意見に合わせた札をあげ、議長がそれを数える。
「賛成213、反対8、棄権11。よって、イタリアへの宣戦布告を決定する。」
5日後の1月24日、南スラブ連邦はイタリアに対して宣戦布告。フランスはこれを好機とみて同様にイタリアに旧領の奪還を名目に宣戦布告。戦略上の目標が一致した両国は同盟を締結。また、共通の敵を持つことになったドイツとイタリアも同盟を締結。これによって、第二次世界大戦後長らく続いた独伊対立は終息した。
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