フランドル降伏

1974年6月2日、フランス軍とフランドル・ドイツ軍はブリュッセル近郊のワーテルローにて激突。同日、ブルージュ上陸部隊が同じくブリュッセル近郊のアッセにてフランドル軍と激突。ブリュッセル攻防戦が始まった。比較的軍の配備が間に合っていないアッセでは戦線が早速崩壊。ブリュッセル市内にイギリス連合軍が突入するが、フランドル軍の頑固な抵抗により一時後退。再度突入を行うも、地下鉄線で戦線が止まり、路線内で激しい戦闘が行われた。また、南方のフランス軍もブリュッセルのターミナル駅のブリュッセル南駅へ突入し、激しい攻防戦を繰り広げた。

 

 1974年6月17日 ブリュッセル ブリュッセル南駅構内

 「クソッあの電車の中からの狙撃だ!」

 「食らえええ!」

 ブリュッセル南駅ではフランス軍とドイツ・フランドル連合軍が駅構内のいたるところで戦ってた。

 「こちら5番ホーム!完全制圧!」

 「11番ホームの敵が多すぎて攻略できません!」

 「了解。制圧した12番ホームから一部部隊をそちらに回す。」

 ブリュッセル南駅のはドイツ・フランドル連合軍の激しい抵抗により一時間で一ホーム制圧できるかできないかの侵攻速度になった。その為、ブリュッセル南駅の制圧はほぼ丸一日かかった。

 

 6月22日、地下鉄線を突破した西方軍はブリュッセル中心部へと流れ込んだ。ブリュッセル南駅からの敗走部隊は南北から挟撃される形となり、瞬く間に壊滅した。この時点でフランドル軍の戦死者数が全体の6割を超え、フランドル政府はブリュッセルの放棄を発表。また首都をアントワープへ遷都することも公表した。そして、7月2日、ブリュッセルに残存する最後の部隊が降伏したことで約一月かかったブリュッセル攻防戦は終結した。

 

 1974年7月17日、フランドル臨時首都アントワープに到達したフランス軍はドイツ・フランドル・オランダの連合軍との戦闘を開始した。フランドル軍は祖国のために必死で戦ったが、ブリュッセル攻防戦で戦力の4割を失い、更に、度重なる敗北でフランドルには厭戦気分が蔓延していた。7月22日にアントワープが占領されたことでフランドルは継戦能力を完全に破壊され、7月26日にフランドルは降伏した。

 

 1974年7月18日 ドイツ国 ゲルマニア(ベルリン)

 「まさかフランドルがやられるとはな」

 「ああ、コミュニストどもはオランダから我が国に侵攻しようとしているに違いない。」

 「上層部も気づいたと思うぜ。何せ3個軍団をオランダに派遣するっていう噂を聞いたからな。」

 ドイツ陸軍の部隊隊員が基地の中で話し合っていた。だが、一人の兵士が来て、

 「大変だ!」

 と叫んだ。

 「おいおい、なんだよ。こんな時に。こっちが話しているときに…で、何かあったのか?」

 「さ、さっき、中国と日本が我が国に対して宣戦を布告したんだ!」

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