孤独な幽霊

雨世界

1 そこに、希望はあるの?

 孤独な幽霊


 プロローグ


 虹色の夜。

 ……そして、宝石の夢。


 本編


 幽霊になった僕


 そこに、希望はあるの?


 世界は素晴らしい。……世界は、本当に美しい。緑、風、太陽、雨、月。……本当に素晴らしい。それに、みんな笑っている。みんな僕の記憶の中で笑ってくれている。それはとても幸せなことなんだ。

 泣いちゃうくらいに、幸福なことなんだ。


 泣き声が聞こえる。

『お願い。あの子のことお願いね。私たちになにかあったらあなたがあの子の面倒を見てあげてね』

 博士の言葉を思い出す。

 気がつくと僕は大きなねじれた木の上に寝転んでいた。その木と、その木から生い茂る葉が淡い不思議な七色の光を放っていて、辺りを照らしてくれている。僕はその光の中にいる。遠くのほうは真っ暗だ。木の周辺だけが明るい。

 これは『小雨の木』だ。

 二つの苗木が成長して、大きくねじれて、ぐるぐると絡まり合って、一つの大きな木に擬態をしている、不思議な双子の木。

 ……でも、こんなに大きな木じゃなかったはず。もっと小さかった子供の木だったはずなのにいつの間にこんなに大きくなったのだろう? 小雨の木があるということはここは『中庭』だ。……僕は中庭にある小雨の木の上に寝転がって、そのままこの場所で、いつの間にか夜になるまで眠ってしまったのかもしれない。

「あー、あー」

 これは子供の声だ。とてもか弱い赤ん坊の声。僕はこの声を知っている。この声は『あの子』の泣き声だ。悲しくて怖くてきっと博士を呼んでいるんだ。

「あー、あー」

 泣き声は鳴り止まない。

 おかしいな? いつもならすぐに博士がやってくるのに。いつまでたっても誰もこない。どうしてだろう? これじゃああの子がかわいそうだ。

 大きな木の陰から真っ暗な天井が少しだけ見える。そこには無限とも言える数の星が輝いていた。

 ……すごいや。星ってこんなに綺麗なものだったんだ。

 いつも『船』の中はまぶしいくらいの光で溢れていた。窓から星を見ることもたまにはあったけど、星をこんなに綺麗だと感じたことは今まで一度もなかった。このままずっと星を眺めていたいな、と僕は思った。

「あー、あー」

 どうも体の調子がおかしいな。うまく体を動かせないや。それに意識もあんまりはっきりしない。泣き声はちょっとだけ下のほうから聞こえて来る。どうやら僕は大きくなった小雨の木の上に寝っ転がっているみたいだ。

 僕はあの子のところに移動しようと思ったが、うまく体を起こすことができなかった。しばらく頑張って諦める。

 ……しょうがない。転がって移動しよう。

 僕は小雨の木の上を転がるように移動していく。思いつきだがうまくいった。結構いい感じだ。

「あー、あー」

 声を頼りに横移動する。地面を転がるなんて久しぶりだ。意外と楽しい。調子にのって転がっていると体が急に加速した。

 うわ! まずい、と思ったが遅かった。

 僕の体は滑るように小雨の木を転がり落ちていく。ころころ止まらない。すごく目がまわる。そのまま勢い良く木からジャンプ。空中をゆっくりと浮遊する。

 これは痛いかもしれない。

 覚悟を決めて目を瞑る。ゆっくりと大地の上に落ちていく。地面にぶつかって体が二、三回跳ねるように飛んでようやく止まった。

 やっぱり痛かった。ぶつけたところが赤くなっているかもしれない。

「あ、あう?」

 あの子の声がすぐ近くから聞こえる。どうやら目的は達成できたみたいだ。痛かったけど頑張って良かった。

 ねえ、大丈夫?

 僕は顔を動かしてあの子を探した。地面は一面の緑色。短くきちんと手入れされた芝生がとても綺麗でとても優しい感じがした。ここは博士の一番のお気に入りの場所だ。中庭のベンチに座って本を読んだり音楽を聴いたりしている博士の姿を思い出す。

「あう」

 あの子は僕の頭の上のほうにいた。(顔を動かしたら麦で編まれた可愛らしい形をしたゆりかごが確認できた)……まずは、少しだけ転がってゆりかごまで移動する。

「あー、うー」

 よいしょっと。

 今度こそ起きないと。頑張れ、僕の腕、僕の足。ゆっくりと体を動かしながらようやく自分の足で立つことに成功した。ただ地面の上に立つだけなのに、なんでこんなに苦労しないといけないのだろう?

「あう、あう」

 ……良かった。元気そうだ。ゆりかごの中にあの子の笑顔が見える。さっきまであんなに泣いていたのに、表情がころころと変わる。とても可愛らしい。

 あの子のほっぺに手で軽く触れる。あの子は嬉しそうに僕の手に甘えてきてくれた。

「あうー」

 安心したところで僕は改めて周囲の状況を観察してみる。目の前では麦で編まれたゆりかごの中であの子が笑っている。普段なら博士が一緒にいるはずなのに博士の姿はどこにも見えない。

 博士があの子を僕に一言もなしに一人っきりにすることなんて今まで一度もなかったことだ。

 後ろを振り返るとそこにはなぜかとても大きくなった小雨の木がそびえ立っていた。(それは本当に大きかった。僕の記憶よりも二、三倍は大きく育っていると思う。まるでいつの間にか、僕が眠っている間に、とても長い時間が経過したかのようにすら思えた)

 すごいや。でもどうして急にこんなに大きく育ったんだろう? また博士がなにかの実験でもしたのかな?

 小雨の木は中庭の半分くらいを占領していて、その高さは天井まで届いている。淡い光が中庭と僕とあの子を包み込んでくれていた。それ以外はそこも真っ暗だ。いつもなら眩しいくらいの光に包まれている船内は完全に沈黙していた。

 その全景を見て、ようやく僕は今、なにか普段とは違う異様な出来事が船の中で起こっているということに気がついた。


 博士、いったい船の中でなにがあったんですか?

 博士、あなたは今どこにいるんですか?

 博士、僕はこれからいったいどうすればいいんですか?


「あう、あう」

 ……なに? ……そうか、そうだよね。考えていても仕方がない。悩んでいてもそうがないよね。

 僕はあの子の小さな体をできるだけ丁寧に麦で編まれたゆりかごから抱き上げる。

「あう?」

 二人で博士を探しに行こう。きっと博士も僕たちを探しているはすだ。この暗闇のどこかにきっと博士はいる。僕と君が博士に会いに来ることに待っている。

 僕はあの子を優しく抱っこしながらゆっくりと暗闇の中に足を踏み入れていった。とても怖かった。とても不安だったけどそんな臆病な僕をあの子が優しい声で励ましてくれた。

「あう、あう」

 あの子の温もりが僕の冷たい体に伝わってくる。あの子はとても柔らかくて、とても温かい。それはひとりぼっちの幼い『孤独な幽霊の僕』にとって、『希望』と呼べる概念、そのものだった。


 孤独な幽霊 終わり

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

孤独な幽霊 雨世界 @amesekai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ