いじわるな神様
雨世界
1 大好き。
いじわるな神様
プロローグ
大好き。
本編
あなたはいなくなってしまった。
……不思議な感覚が体を包んでいた。強大なイメージと存在が私を包み込んでくれている。すごく大きなもの。すごく柔らかいもの。そんなものに包まれて私は眠っていた。ずっと、ずっと、とても長い時間眠りについていた。
それは今まで経験したことのないくらい幸福な時間だった。この中でなら私はずっと安心して暮らしていける。目を覚ます必要もないくらいに、安心だ。
私の体と精神と魂を解き放つことができる場所。誰も私を傷つけることのできない場所。私が誰も傷つけることをしなくてすむ場所。
私の為の、私だけの居場所。
たぶん、これは『愛』だ。
これが愛と言うものなんだろう。愛にはきちんと形があったのだ。私はついに愛を発見することができたんだ。
なにもかも忘れてしまおう。
もう全て忘れてしまえばいいんだ。全部消えてしまえばいい。
あの人のことも、あの子のことも忘れてしまおう。
そして私はここで永遠に眠り続けよう。
そしてとても楽しい『夢』を見よう。
誰もが笑っているような、泣くことなんてないような、そんな空虚な幻想の中で生きていこう。
過酷な現実なんて見たくないんだ。辛い現実の中で生き抜いていくことはもう嫌なんだ。
私はなんで生まれたんだろう?
生まれたかったから?
そんなこと私は願ったりしていない。気が付いたらこの世界に放り出されていただけなんだ。
だから帰ろう。
もう一度、『愛』の中に私は帰るんだ。
それが私の願い。
泣いてばかりだった私が願う『私の本当の夢』。
さようなら。
今まで本当にありがとう。
私は幸せでした。
あなたに会えて、あの子に会えて、本当に幸せでした。
私はこの場所で眠りにつきます。
すべてを忘れて夢を見ることにします。
だから私のことも忘れてください。
最初からいなかったことにしてください。
お願いだから私を探さないでください。
お願いだから、私を……。
見つけないで……。
私の意識は一旦、そこで途切れる。
これは『夢』?
それとも今は『現実』?
どっちだろう? どっちでもいいのかな?
だんだんと私の意識は覚醒していく。ずっと、とても長い夢を見ていたような気がする。でも、それは実際には、とても短い時間の間の、ほんの一瞬の出来事だった。
その『夢の記憶』を私はきちんと認識していた。私は夢の記憶をすべてとは言わないけれど、そのほとんどを目覚めてからもちゃんと覚えていた。
私は意識を取り戻してからも、その瞼を開いていない。私は未だに真っ暗闇の世界にいる。
私は夢を見ていたはずだ。そして夢の中で意識を失った。
意識を失ったはずの私は今ここにいる。ちゃんと思考している。考えることができている。まるで夢と現実がごちゃまぜになってしまったようだ。自分が今起きているのか、それとも夢を見ているのか、自分でも分からないのだ。
私の体はとても温かいものに包まれている。これは夢の中と同じ状況だ。なら私はまだ夢の中にいるのだろうか? 夢の続きを見ているのだろうか? 私の体を包んでいるものはなんだろう?
夢の中の私はこれを『愛』と認識していた。
これが『愛』?
どうも違う気がする。確かにあったかくて、すごく気持ちいいけど、愛ではない気がする。
そもそもあれは夢の中の話だ。
現実ではないのだ。
今の私の現実は暗闇だ。それは私が目をつぶっているからだ。私は今、世界を体と鼻と耳で認識している。私はきちんと呼吸をしている。体は温かいものに包まれている。
次の瞬間、私の耳は声を聞いた。
誰の声だろう?
わからない。でもとても優しくて、とても安心する声だ。
私を呼んでいる。
私はこの声に呼ばれてここに来たのかもしれない。
私はここにいる。
では私はここに来る前どこにいたのだろう?
わからない。
瞳を開くことがとても怖かった。光が強い。光ってこんなに怖かったっけ?
それとも闇をおそれているのかな?
目を開けてもそこが暗闇だったらどうしようって、不安になっているのかな?
でも、どんなに強くてももう目を開けないといけない。
だって私は目覚めているんだから。
私の耳にまたあの声が聞こえてきた。どうやら私に話しかけているようだ。どうしよう? すごくめんどくさいな。……でも、なんだろう? ……この気持ち。
「あの、大丈夫ですか?」声が言う。
……大丈夫? 私は全然大丈夫じゃないよ。
私は目を開ける。すると私の頭の中に強烈な光が差し込んでくる。すごく頭が痛くなる。私の瞳が光を吸収する。とてもたくさんの光。私の頭の中に入ってくる。光で頭の中がいっぱいになる。
眩しくてなにも見えない。体がびっくりしているんだ。怖がっているんだ。
……光を恐れているんだ。
私は光が怖いんだ。
「しっかりしてください。苦しいんですか?」
やがて私の視界の中に人の顔が写り込む。最初はぼやけていてよく見えなかった。その顔が次第にきちんとした形になっていく。
とっても美しい栗色の瞳。
とっても美しい黒い髪。
とってもかわいい顔。
それは『見覚えのない男の人』だった。
年齢はきっと私より上。だけどその外見はとても幼く、その顔はとても子供っぽく見える。そんな男の人が私の顔を覗き込んでいる。
……どうやら私はどうやらどこかに寝転んでいるようだ。
「こんにちは」
私はその男の人に声をかける。しっかりと声が出たか心配になる。声を出すなんてとっても久しぶりだ。とっても新鮮な感じがする。
男の人は私の声を聞いてとても驚いたようだ。目を丸くして驚いている。でもすぐに優しい顔になる。
「………、ちは」
男の人がなにかを私に言っている。しかしよく聞こえない。
「こんにちは。あの、僕の声、聞こえていますか?」
男の人はゆっくりと、とてもしっかりした口調でもう一度私に話しかけてくれる。今度はかろうじて聞き取ることができた。
「聞こえます。すごく綺麗な声ですね」私は言う。
「ありがとう」
男の人はにっこりと微笑んだ。私はその笑顔を見て、とても優しい気持ちになることができた。
「気分はどうですか? 痛いところとかありませんか?」
「気分?」
「はい。どうですか?」
「頭がすごく痛いです」
男の人は私の頭を手置いて、ゆっくりと頭を撫でてくれる。なぜそんなことをしてくれるのか、私にはわからなかったが、なぜだかとても嬉しかった。
「大丈夫。安心してください。私は医者です」
「お医者さん?」
「はい。医者です。痛いのもすぐよくなりますよ」
医者? 医者ってお医者さんのことだよね? この可愛らしい男の人がお医者さん? 全然そんな風には見えない。着ている服も白衣じゃないし……、もしかして、私を安心させるためにこの男の人は、私に嘘を言ってくれているのだろうか? もう助かる見込みもない私を安心してあちら側の世界に送り出すために、そう言ってくれているのではないだろうか? もしそうだとしたら、なんて優しい人なんだろう。
「とってもかわいいお医者さんですね」
「ありがとう」
そう言って男の人はまたにっこりと微笑んでくれる。
その笑顔を見て、私はある一つの真実に気がついた。それは男の人の笑顔の理由だった。
……ああ、そうか。この人は私のために笑ってくれているんだ。私を安心させるために笑ってくれているんだ。
それに気がついたとき、私の中にあるたくさんの不安と臆病な心が、だんだんと小さくなっていくのをほたるは自分自身で感じることができた。
決してなくなったりはしないけど、(……私は弱いから)それでも最初のころの怖さが和らいでいくのがわかった。なんとなく頭が痛いのも我慢できそすな気がしてきた。
案外、この男の人は本当にお医者さんなのかもしれないな。
そんなことを私は思う。
「いいですか、よく聞いてください」
「はい」
「私は今からあなたを助けるために必要な道具を用意しなければなりません」
「はい」
「あなたが安心して体を休めることのできる場所にあなたを移動させなければなりません」
「はい」
男の人の声を聞いているとなんだかすごく安心できる。いつまでもこの声を聞いていたいという気持になる。
すると私はなんだか眠くなる。そしてそのまま優しい男の人の声を聞きながら、私は再びその意識を失っていく。
「………か?」
男の人の声がまたよく聞こえなくなった。それがすごく残念だった。
眠りにつく前に、私はいろんなことを思い出した。
ああ、そうだ。私、事故にあったんだ。それで、私、たぶんその瞬間に……、私は一度、本当に死んだんだ。
私は思う。
ここはどこだろう?
私は今、どこにいるんだろう?
男の人の輪郭がぼやける。目が、だんだんと見えなくなる。
あなたは誰だろう?
そして私は、いったい誰なんだろう?
私は力を失っていく。
そして私は、自分が私ではない、違うなにかに変化していくことを感じる。
……名前。
あなたの名前を、教えてください。
それだけが気がかりだった。
それだけが、私に残された、たった一つの後悔だった。やがて私は意識を失った。だから私に声をかけてくれた、あの可愛らしい顔をした、優しい男の人の名前は、……ずっとわからないままになってしまった。(後日、その男の人のことを私は懸命に探したのだけど、結局見つけることができなかった)だから私は、神様はとてもいじわるだと思った。
……アーメン。
いじわるな神様 終わり
いじわるな神様 雨世界 @amesekai
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます