第3話 家の建て増しは一気にやってしまわないと駄目。
さて「散らかっていても別に気にならない」という気質と体質です。
気質の方は、これは「育つ環境」がかなりのウエイトを占めてます。
ワタシが生まれ育ったこの家は、当初書いたように昭和30年代後半に建てられたボロ家です。昔は集合住宅にも時々あった、土壁+トタン張りです。
これは小学二年くらいまでですね。三年あたりから建て増しを始めましたから。
ただこの建て増し工事、実は今になっても終わっていません。というか、予定の部分が結局出来上がっていないのです。
まずガワだけ作っておいて、その後まず一階の内装とトイレの移動。
その後二階の内装。ですが、一階に浴室を作るのとトイレの水洗化は更に数年後。
そして「どう使っていいか判らない空間」には、トタンだけで土壁が塗られていないのですよ。おかげで今そのトタンの隙間から植物が時々入り込んでいます。
いいのか? と言われれば、「普段使わない場所にそれほど手を掛ける必要性を感じない」でしょうか。
話を戻して。
それまでは本当にトイレは汲み取りを自分の家でやっていました。隣に借りていた畑にまいて、それで終わりです。土も肥えますね。何かと入れ替わり立ち替わり畑では作ってましたから。長続きはしないのですが。
トイレはどちらかというと「便所」と言うほうが雰囲気出ますね。当時は皆似たかよったか、母方の実家など家の外にありましたし、当時は目が痛くなるくらいの消毒? 臭い消しを吊り下げていたものです。
父方は家の中にありましたが、同じ家の中に土間があって~という農家の設計でしたから、これも少し面倒なところがありましたね。ただこちらは綺麗でした。常に掃除しているという感じの。
そう、ウチや母方の実家が常に掃除しているとか、というと。
していない。というのが当時の割と当たり前な部分でした。たまにはしますが、根本的に綺麗なところ「ではない」のですね。
大概がそれは暮らしている環境に左右されます。後に綺麗な一軒家を建てるようになるところも、この時代はまだ「《こうば》工場」の一部として家があるとか、農家だとかで、住んでいる場所に気を遣うことができにくかった訳です。
ウチはまずその建て増しの時点で色々根本的に失敗してます。
もともと当時の家は明るさとかの配慮はさほどしていなかったのですが、特にこの建て増しによって、全く窓が存在しないという部屋が幾つかできてしまったのですね。
あとは廊下の端。そこの一角に一日中真っ暗という場所ができてしまいます。
そしてそこに灯りをつけようという気配もありませんでした。結果として、そこはアンタッチャブルな場所となります。
アンタッチャブルが何をもたらすかというと、ほこりです。
これがまあ、慣れると「触らなければいいんだ」という感覚になってしまうんですね。
見えている場所に掃除機をかけている時もたまにはありましたが、まあそこにまで手を回しているとは思えませんでした。
ある意味仕方ないでしょう。ウチの母親は何かと内職なり婦人会の講師の準備だったり、色々と掃除以外のことが忙しかったのですから。
そんな中、自分の部屋以外の掃除の必要というものが頭に全く入ってこなかったのです。
そしてまたこの母親の体質が、……たぶん明らかにワタシに回ってきてます。
何で家が散らかってしまうのか? 江戸川ばた散歩 @sanpo-edo
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