(起) Ignition


「愛しのまりかぁぁぁぁぁ!!!!!」


宿題をこなしていたところに、突然、絶叫が飛んできた。好きな異性の声だが、思わずひるんでしまった。

「ったく、アイツには羞恥心というものがないのかしら」

軽い近所迷惑である。ま、俊の声が聞こえるのはいいことだ。安心するから。

……ところで、いま俊が叫んだ名前。たしか、アイツが好きなキャラクターの名前だったよな。

「チッ」

舌打ちが出た。他の女の名前を口にするなんて──我ながら安っぽい嫉妬だと思うが、最近のアタシはストレス過多だ。些細なことでイラついてしまう。それに、俊をアタシのものにすると決めたんだ。たとえ相手がアニメのキャラクターだとしても、アタシたちの恋路をはばむ者は許さない。

「処分しなくちゃ」

夜になった。俊が風呂に入る時間だ。

アタシは俊の部屋の窓を開け、難なくそこへ侵入した。いや、侵入という表現は適切じゃないな。俊の部屋はアタシの部屋のようなものだから。

葵さんは……来ないな。おおかた、脱衣所で俊の風呂を覗き見しているところだろう。看過かんかできない愚行だが、今日はこっちが優先だ。葵さんにはそこで座り込んでいてもらおう。

「さてと、標的の居場所は……」

いた。アイツ、机にフィギュアを置きっぱなしじゃなか。こんなの、「盗んでください」と言っているようなものだ。なにが「愛しのまりか」だ、笑わせる。本当に愛しい相手なら、ちゃんと縛っておかないとダメじゃないか。

アタシはお言葉に甘えてそのフィギュアをった。これ、意外とゴツゴツしてるんだ。というぐらいの感想しか出てこない。

目的もあっさり果たせたことだし、俊が戻ってくる前に帰ろう。そう思い、ざっと部屋を見渡す。相変わらずオタク全開の部屋だ。あれもこれも燃やしてしまいたくなる。が、あまり派手にやっても俊が悲しむ。

「……ん」

でもイライラは収まらないので盗聴器を仕掛けた。まあ隣の家だし、俊の声はどんなに離れていたってキャッチできるから盗聴器など必要ないが、念のためだ。

俊の顔が見たいところだが……今夜はずらかろう。


翌日。

「臭いっっっ!!!」

二日ぶりに俊に会えたからか、反動でついそんなことを口走ってしまった。自分のことながら、なんてかわいげのない女なのだろう。もっと素直になれたら……。

「痛い痛い! わかったから、ツインテールで攻撃すんな! 荒れた毛先が目に入るだろ」

「ちゃんとパソテーソしてるから大丈夫よ。見なさい、このキューティクルを」

「あーはいはい、キュートですね」

「は!? か、かかか、かわいいって……。急に変なこと言わないでよ」

「は? なに照れてるんだよ。俺は『乳頭』って言ったんだよ」

「死ねっっっ!!!」

かわいいとか、気安く口にするんじゃないわよ。……勘違いするでしょうが。

「だからツインテールで攻撃すんな!! そんなに怒って、カルシウム不足か? 『乳』だけに。だから身長伸びないんだよ」

「アンタを殺してアタシは生きるっっっ!!!」

「痛い痛い! ゴミ袋で叩くな! なんか突起物当たってるから!」

おっといけない。フィギュアの先端が当たっていたようだ。


「ちょいちょい紅さん、いつまで俺に付きまとうつもりですか。はっ、まさかお前、俺のストーカーだったりして……?」

「ば、バカ言うんじゃないわよ!? ストーカーなんかじゃないわよ! 同じクラスなんだから、一緒になるのは当然でしょ」

「ストーカー」という単語に、思わず動揺してしまった。アタシの目論見もくろみを悟られるわけにはいかないんだ。


「いや~、この感じ、なんだか久しぶりですね」

「そうね。いつもは余所者よそものが乱入してきて、騒がしいったらありゃしないわ」

「なんか、スンマセン……」

久々に俊と一緒の昼休み。こうやって彼とごはんを食べるだけでもアタシは嬉しい。

「おや……紅さん、またコンビニのパンですか? もっと栄養価の高い食べ物を食べられたほうが──」

「心配ないわよ。アンタはアタシのおかんか。最近のコンビニ食品はあなどれないんだから」

しょうがないじゃない。誰もアタシの弁当なんか作ってくれないんだから。

「まったく……そんなんだから身長伸びないんだぞ。ほら、これやるから」

「いや海苔文字の『♪』の部分なんていらないわよっ」


「違いますよ! 先程の『マジ』で思い出したんです。俊君、まりか嬢はどうなったんですか! たしか昨日届くと言ってましたよね!?」

茶助が、今朝捨てたフィギュアを話題に上げる。

「まりかは消えたよ」

「なん……だと……?」

「茶助の霊圧が……消えた……?」

「あんなモノの、どこがいいのかしらね。無駄にデカいし、痛いし、捨てにくいし……」

そういえば、フィギュアって燃えないゴミでいいのか? なんなら、ウチでバラバラにして燃やしておくべきだったか。燃やすのは得意だから。

「まあ、いいじゃない。フィギュアにうつつを抜かすことにならなくて」

そう。俊はアタシを気にかけていればそれでいいの。


「俊センパイ、部活に行きましょう!!!!!!!」

放課後。世にも目障めざわりな女が教室に現れた。

「さあセンパイ、部活に行きますよ!」

「ちょっ……おい、引っ張るなって」

久我 香澄が俊の腕を引っ張る。刹那、アタシの血管が怒りで膨張した。

「ちょっとアンタ、やめなさいよ。俊が嫌がってるでしょう」

公の場であることにも構わず口を挟む。

「アンタ、毎日のようにウチのクラスに来襲しては、俊を振り回しているじゃない。少しは他人の迷惑も考えなさいよ」

「はぁ? なに言ってるんですか? ボクはただ、俊センパイが他の人間に汚されないように守っているだけですよ」

「アンタこそ、言ってることが意味不明だわ。『俊が汚される』なんて訳のわからないことを。第一、アンタは俊にとってただの後輩なんだから、わざわざアイツを守る必要なんてないのよ」

「ただの後輩なんかじゃない! 俊センパイはボクのもので、ボクは俊センパイのものなんだから! ボクたちの邪魔をするヤツは、誰であろうと許さない!」

クソガキが。支離滅裂で荒唐無稽な戯言たわごとばかり吐きやがって。

無意識に、アタシは歯を噛み締めていた。

「紅、俺なら平気だ。今日はコイツと一緒に部活行くから」

そこへ俊が口を出す。彼の声で我に返る。

「俊……。アンタ、本当にお人好しね」

そのお人好しな部分にアタシも救われたから、むやみに「やめろ」とは言いにくい。

だからこそ、俊を独占する必要があるんだ。他の女に優しくするなんて、ムカつくから。


「それじゃあ、ここで休憩。その後はスタートダッシュやるよ!」

「はい!」

陸上部の声がグラウンドに響く。やっぱり、部活中の俊を観賞するのは楽しい。アイツの真剣な顔、部活以外ではお目に掛かれないから。

……にしても久我 香澄のヤツ、本当にウザったいな。終始、俊にベタつきやがって。いっそのこと、もう二度と部活に参加できなくしてやろうか?

空の色が変わり始めた。部活はまだ続くだろうが、俊と鉢合わせする前に帰ろう。そう思ってきびすを返す。

「あらくーちゃん。こんなところでどうしたの?」

「……葵さん」

瞬間、葵さんに声をかけられた。不意の登場にやや驚く。

「ちょっと、図書室に寄ろうと思って」

「そう。相変わらず勉強熱心ね」

適当にごまかす。見た感じ、アタシに対する害意はないようだ。

「そういう葵さんは、なにしてるんですか? こんな時間まで」

おおかた生徒会の活動だろうが、適当に話題を振っておこう。

「生徒会の仕事が終わったから、俊ちゃんを迎えに行こうと思って」

「……え?」

葵さんが、部活後の俊を迎えに行く……それってつまり、葵さんと久我 香澄が接触する可能性があるということだ。

「どうかしたの、くーちゃん?」

「い、いや、なにも」

これは好機だ。

葵さんと久我 香澄が潰し合って……うまくいけば、二人ともジ・エンドになる。

葵さんと別れたアタシは、しかし家に帰らず、スマホを取り出した。二人が存分に戦えるように、人払いしなくちゃ。

「──学校の近くに、不審者がいました」


結局、二人の決着はつかなかった。だが無意味に焦る必要はない。これからじっくりと、あぶってやろう。


            ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「えー、ということで、ウチのクラスはコスプレ喫茶をやります」

学園祭実行委員が告げる。

「えー、それでは、みなさんの役割分担を決定したので、各自確認してください」

「いや接客担当になってるー!」

俊が驚きと困惑の混じった声で叫ぶ。

「アンタは念願のコスプレ担当みたいねー」

ま、それを仕組んだのは他でもないアタシなんだけど。せっかくの学園祭だ、特別な俊をこの目に収めたい。俊を表に出すことで害虫が群がるリスクもあるが、裏でこそこそと接触されるよりはマシだ。なにかあったらアタシが対処すれば済む。

……だけど、ひとつだけ誤算があったみたいね。


「ということで、改めて、これからよろしく」

「はい……! こちらこそ、よろしくお願いします!」

俊と水蓮寺 みどりが握手する。しまった、ついにあの二人が知り合ってしまった。日陰者に、俊に声をかける勇気があったとは。……これは、アタシが考えている以上に厄介な展開になるのだろう。今後は、彼女の動向も見逃さないようにしないとね。

「あ……それで、その……相談というか、なんですけど……」

「うん?」

「その、八十崎くんと……お呼びしてもいいでしょうか?」

「いいも悪いもないよっ、俺の名字なんだから。俺も水蓮寺さんのことは名字で呼ばせてもらうね」

「そ、そうでしたか。すみません、私、お友達とか、いなくて……その、距離感のつかみ方とか、わからなくて……」

「謝ることじゃないって! もっと気楽に考えようよ。友達ってそういうもんだしさ」

「は、はいっ 私、頑張ります……!」

「俊、アンタのとこは話し合い終わったの?」

これ以上、二人の距離が縮まる前に、会話を遮断する。

「ああ、俺たちはとっくに解散してたぞ。お前らも終わったのか?」

「ええ、なんとか。それで先生から連絡があるから、全員席に着けだって」

横目で水蓮寺 みどりを見る。……たぶん。たぶんだけど、コイツはアタシの目論見に感づいてる。彼女の前で、あまり派手な動きはできないか。


            ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


今日も、葵さんと久我 香澄がウチの教室で火花を散らしている。そんなに互いが憎いなら、さっさと潰してしまえばいいのに。って、他人のことは言えないか。

俊は彼女たちのことを大切に思っている。彼女たちもそのことを了解しているから、迂闊うかつに手を出せないのだろう。できれば、俊が悲しむのは避けたい。俊に嫌われるなんてもってのほかだ。

そう。だからゆっくりでいい。ゆっくり、キノコの猛毒が全身に回るみたいに、彼女たちを滅ぼせばいい。アタシの企ては、始まったばかりなのだから──

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紅は園生に植えても隠れなし あーる @initialR0514

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