序章⑥~恩人の記憶~
「あなたが生きていてよかったわ」
「……助けてくれてありがとう」
同じくらいの身長なのに香お姉ちゃんは、まったく俺をおんぶしているのを苦にしてなく、一定の間隔で歩き続けている。
背負われながら、俺はなぜ今まで【
(香お姉ちゃんは、じいちゃんが紹介してくれた人で、俺が1人で生活できるように色々なことを教えてくれた人なのに……)
両親から離れに住むように言われてから、しばらくの間はお姉ちゃんが俺へ家事やこれからどういう風に生きていくのか道標を示してくれた。
毎日勉強をするように言ってくれたのもお姉ちゃんだったのに、このように再会するまでは記憶にふたでもされていたのかというくらい思い出すことがなかった。
お姉ちゃんにおんぶされながら最初に俺が落ちた場所へ着くと、濃くはっきりとした青い線が空中に浮かんでいた。
お姉ちゃんはそれを気にすることなく、そのまま線に向かっている。
またどこかに飛ばされるのではないかと不安になり、お姉ちゃんの肩に回している腕に力が入った。
「お姉ちゃん……」
「大丈夫安心して」
お姉ちゃんは優しい声でそう言いながら、止まることなく歩き続ける。
すると、ここへ来た時のように青い光が渦を巻くように俺たちの周りに現れ、それが消えると同時に元の路地裏へ戻っていたようだった。
(夜になっている……どれだけあの洞窟にいたんだ? それに……)
何が起こったのかと思って後ろを見ても、すでに線は消えており、何の違和感がない路地裏だった。
どういうことなのかお姉ちゃんに聞こうとしたところ、お姉ちゃんが立ち止まって俺を見てくる。
「澄人、もう立てる?」
「うん……」
ゆっくりとお姉ちゃんが屈んでくれて、俺は足を踏みしめるように力を入れて背中から降りた。
洞窟の中とは違って脱力感と全身に走る痛みはないため、ちゃんと立つことができた。
俺が数歩自分の感覚を確かめるように歩くと、お姉ちゃんが心配そうな顔を向ける。
「澄人、あなたはどうやって
「おねえちゃん、ごめん……急に何の話?」
真剣な顔で俺へ質問をしてくるお姉ちゃんには申し訳ないが、本気でなんのことだかわからない。
その言葉自体は何かの本で読んだような気がするが、こんな風に日常ではありえない現象が起こるという意味ではなかった。
「そっか……私こそごめんね。澄人を守ってあげられなかった……」
「そんなこ――」
そんなことないと口にしようとしたら、お姉ちゃんが悔しそうに涙を流しながら俺のことを見てきていた。
お姉ちゃんは溺れかけていた俺を助け、こうして元の場所に戻してくれたので、涙の理由がわからない。
俺が動けずにいると、お姉ちゃんが涙を服で拭い、スマートフォンを取り出した。
「澄人、今日のことをちゃんと説明したいから、連絡先を教えてくれる?」
「お姉ちゃんごめん。俺、それ持っていないんだ」
「え!? スマホを持たずに今まで生活していたの!?」
「うん……連絡する相手がいなかったし……」
クラスメイトにも驚かれていたので、今の世の中はスマートフォンを持っていない人は珍しいらしい。
お姉ちゃんは俺へ差し出したスマートフォンを戻して、笑顔で何度かうなずいた。
「分かった。準備ができたら、私が澄人の家へ行くね。予定がある日はわかる?」
「今は夏休みだから、毎日大丈夫だよ」
「そう? なら、準備ができ次第行くわね」
「あと俺の家は……」
「あの小さな離れでしょ? 何度も通ったんだから忘れてないわ」
「お願いします」
「ごめんね。本当は――」
お姉ちゃんは何かを言おうとして口をつぐみ、首を左右に振って悲しそうな笑顔を俺へ向ける。
そして、路地裏から出るように俺を引率するように歩き始めてくれた。
「もう遅くなってしまったから、帰りましょう? 1人で帰れる?」
「大丈夫、帰れるよ」
「なら、またね澄人」
お姉ちゃんは謎の線があった路地からは出ずに、通りまで見送ってくれた。
数回振り返って、数年振りにあったお姉ちゃんの顔を、今度こそ忘れないように目に焼き付けた。
家に着き、冷蔵庫からペットボトル飲料を取り出す。
いつもならコップへ入れてから飲むが、今はその作業が面倒に感じ、直接飲み始める。
「ぷはぁ! ふぅ……」
勢いよく飲み干し、1リットルほど残っていたスポーツ飲料がなくなった。
濡れてしまった服を着替えるついでにお風呂に入り、晩御飯の準備をしながら今日のことを振り返る。
(なんで昔のことを忘れていたんだろう……香お姉ちゃんのことが抜けていたなんて……)
そんなことを考えながら料理を始めていたら、よくお姉ちゃんが作ってくれたハンバーグを作ってしまった。
両手を合わせてから晩御飯を食べ始め、あの洞窟から出て一切ミッションの表示が出なくなったことが気になる。
(あれはなんだったんだろう……)
スライムと呼ばれる液状の塊や洞窟で体験したと思っていたことは白昼夢で、本当はなにも行っていないのではないだろうか。
ただ、そうとするのならば、お姉ちゃんと会ったことさえ夢になる。
(だめだ。お姉ちゃんが説明をしてくれるまで、この件は保留だ)
いくら考えても答えがでないため、夕食で使った食器を片付けて机に向かう。
勉強をすると落ち着くので、寝る前に少しだけ参考書の問題を解くことにした。
身体が疲れていたのか、勉強を始めるとすぐに眠気を感じ始めた。
(今日はなんだか疲れたから、もう寝よう……)
時計はまだ午後9時を指しており、いつもより1時間以上も早く布団へ入ることになった。
目を閉じると、この建物以外の敷地内へ入らないように両親から怒られたときのことが脳裏をよぎる。
(あと少し、あと少しでここから出られるから、それまで我慢だ……)
俺は布団の中で体を丸めて、眠れるように全力で数字を数えはじめた。
――ピピピピ、ピピピピ、ピピ
手を伸ばして目覚まし時計の音を止めて、いつも通りに起きられた自分に安心する。
時計は5時を指しており、いつも通りの日常が始まりそうだった。
しかし、俺の希望は次の瞬間には打ち砕かれる。
【ライフミッション:5枚の窓をきれいにしなさい】
成功報酬:貢献ポイント100
注意:手抜きをした場合はカウントされません
「終わったんじゃなかったのか……」
俺はぼうぜんと緑色の画面を見つめ、やらないという選択肢があるのかと考えてしまった。
この画面を表示しているやつは俺の思考を読んでいるのか、画面に文章が追加される。
【放棄した場合、強制的にペナルティミッションが実行されます】
「ハハッ……」
乾いた笑い声が小さな部屋に響き、顔を洗うために洗面台に向かう。
ペナルティミッションの文字を見せつけるように画面が消えないので、怒りにまかせて手で振り払った。
力任せに水で何度も顔を洗い、洗面台に両手をつく。
「わかった! やってやるよ!」
俺は寝間着姿のまま台所から雑巾と窓用洗剤を持ってきて、窓の掃除を始めた。
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