第38話

 新橋一郎も坂口もいつの間にか木刀を持っていた。

 新橋一郎が踏み込むと、坂口は踏ん張った。

 カンカンカンと打ち合いが始まった。


 本来坂口は文官で剣の腕はない、ないが新橋一郎と同様に打ち合いを行い、攻防を始めていた。

 どちらがか、一歩引けば一歩下がる。

 下がった所に一歩来る。


 鬼としててはなく、人としての坂口の口元が笑みが浮かんでいた。

 新橋一郎の口元も笑みが浮かぶ。


 これも坂口の幻なのか、どこからか声が聞こえてきた。


 新橋君は本当につよい、いつか自分が強くなったら打ち合ってみたいですね。

 某はまだまだです、ですが、坂口様は少し体を動かしたほうがいいかと、そのお腹が少し出始めてます。

 いやはやこれは手厳しい、では約束ですよ。


 城勤め時代の約束が思い出される。

 打ち合いは数時、数刻ともとれた。

 

 坂口の体勢が少し崩れた。

 その胸に竹刀を叩き込む。道場で言えば一本だろう。


「いやー……本当に新橋君はお強い。

 わたしがもっと心が強ければ……いえ本当にありがとうございます、そしてすみませんでした……」

「坂口様」

「いやはや、様をつけられるとは、妻子を殺した鬼ですよ。

 人の心を保っていられる間に、その刀でお願いします」



 いつの間にか、新橋一郎の手にあった木刀が刀に戻っている。

 坂口の体から血が流れていた。もう一度斬れと願っている坂口。


 新橋一郎は、なんともいえない表情で雄たけびを上げると、今度こそ鬼を一刀両断した。

 鬼の体が道場の床へと倒れこむ。


 何処からか女性の声で、お疲れ様と聞こえてきた。

 新橋一郎は、その声のほうへ顔を向ける。

 何時までも夢にみた妻が涙を流し、子がわろうている。



「すまぬ……某がもう少し早く帰っておれば……いや、稽古なぞしなければ……」



 新橋一郎の贖罪がはじまると、道場の床に涙が落ちる。

 妻と子は新橋一郎の側へとよると、馬鹿ですねと子と笑う。


 この子は不憫な思いをさせました、向こうで可愛がるのでお気になさらずに、でも、直にこの子は、彼方ともう一度会えますゆえに。


 坂口様の魂と一緒に彼方の自負も一緒に持って行きますねと、はて何処に持っていくのだ。と聞くと妻は笑うばかり。


 薄っすらと消える妻と子の姿。消えざり間際に聞こえた妻の声。

「新しい奥さんを幸せにしないと駄目ですよ」

「なっ!?」


 新橋一郎は驚くと妻と子が消えていく。


「勝負あり!」


 野太い声が聞こえたかと思うと、我に返った新橋一郎は周りを見た。

 いつの間にか周りが庭に戻っていたし、断庵が両手ほどの箱を持っている。

 足元には人の姿に戻った坂口が満足そうな顔で倒れている。


 いや、死んでいる。


「取れたのか……某は敵が取れたのかっ!」


 芳助に確認しようと振り返ると、芳助は琵琶の手を止めていた。

 そして、そのまま土気色の芳助は廊下から庭へと倒れ落ちていった。

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