第37話

 誰かが灯りをつけたのか、それとも釣られた鬼火なのか、不思議と辺りが明るくなる。

 芳助の琵琶が始まると同時に、襖の向こうの賭場場では、悲鳴や怒号が聞こえ始めた。


 鬼が出た。

 女の鬼だ、男だろ。がい骨がでた、助けてくれよおっかさん。

 扉が開かない、火が出はじめたぞ。


 誰一人襖から出る事なくその声も段々と小さくなっていく。


 ベンベンベン。


 離れの部屋へ行く道には、黙って座る白髪の老人がいる。

 寝ては居ないが微動だにしない。


 直ぐに離れから半裸の男が走ってきた。

 男の名は一之瀬克。

 

「なんだなんだこの騒ぎはっ! あ、てめえ八重桜のぼんくら侍と……しらねえ琵琶弾きだな……誰だ?」


 何度も逢ったでしょうにと、心の中で突っ込む芳助。

 今は唄と琵琶に集中したいので返事は返さない。


 あやかしを見る事が出来るといわれている一之瀬克。

 不穏な空気から慌てて様子を見に来たのだろう。

 静まりきった賭場に、庭に倒れている用心棒。

 かがり火と間違うほどの鬼火。

 黙ってたっている侍と琵琶弾き、とても異様な光景だ。


「くそ……あの女喋ったな……」


 あの女とは緒松の事だろう、これぐらい感がさえてないと親分家業も務まらない。

 一之瀬克は、黙って座っている白髪の老人の肩を叩く。


「おい、あんた……あんたなら、あの二人を倒せるだろ? けったいな力使いやがって……それに、あんたにただ飯食わせているのも」

「飯は食うてない」


 老人が目を瞑ったままそう応える。


「っと、そうだったな。普通の食事はしないんだったな……だったら、食事だ。

 あんたの好きな人間だ。

 倒れてる奴も、起きてる奴も好きに食ってくれ、俺があんたを墓場で見つけた時みたく人を食う所を見せてくれっ!」


 坂口は目を閉じたまま一之瀬克に問う、本当にいいんだな? 食うていいのか? と。


「ああ。好きなだけ、いや全部食ってくれ」


 次の瞬間一之瀬の首と動が二つに分かれた。

 白髪の老人坂口は、人だった物を食べている。

 べりしゃり、ずるると吸い込み、最後に喉を鳴らす。


「不味い」


 一言いうと、落ちている首なし死体の腕を強引にちぎると口へといれる。


「坂口様」

「はて……どこかで聞いた言葉だ。誰の事だっただろう」

「某です、新橋一郎です」

「新橋……新橋……懐かしい名前だ。

 あのわんぱく小僧は元気だろうか、そういえばいつも近くに女が居たな。

 迫ったらこけて死んでしまった、ああ……隠さなければ、鬼、そうだ。

 鬼のせいにすればいい、人を食う鬼。

 まて、子供が見ていたな……面倒だ子供も食べて貰うぞ。

 鬼が食ったのなら、責任は鬼にある、なぁそこの男よそうおもわんか?」


 台詞と行動があっていない。

 坂口と呼ばれた老人は、一之瀬克だった者の腕を食いわると動へと手をかけ始めた。


 あの日、坂口は新橋一郎の家にいた。何時も茶をご馳走してくれる新橋一郎の妻、その妻の色香に惑わされた。

 もちろん、妻にそんなつもりは無い。

 軽い悪戯だった、ちょっと尻を触った老人の悪戯だ。


 運が悪い事に、驚いた新橋一郎の妻は転び、土間で頭を打ってしんでしもうた。

 小さい娘がそれをみている。


 誰かか囁く、鬼だ。

 子が言ったのか、自身が言ったのか、鬼のせいだと、声が聞こえる。

 気づけば首を絞められた子と鬼がいた。


 鬼は全てを食い尽くした。



 新橋一郎は、鬼の言葉を聞くと静かに腰を落とす。



「なるほど……坂口様、仔細は問いません」


 一撃で決めるつもりらしい。人食い鬼が食べていた肉を落とす。

 その瞬間新橋は動いていた。

 居合いからの上段振り落とし。


 完全に斬った。

 そして一歩引くと鬼の姿を見る。

 

 人食い鬼と化した切られた事をお構いなしに、己の内臓から落ちた肉を拾い食べ始める。

 傷がすぐにふさがっていく。


 芳助は琵琶を弾きながら今の光景を考えた。


 確かに斬った。

 

 新橋と最初に会った時の人食い鬼も今ので死んだ。


「馬鹿な……確かに斬った……」



 流石の新橋一郎も驚愕をした、完全に斬った手ごたえもあった。

 呆気に取られた芳助は考える。

 死んでいない……?


 誰かの声が静かに響く、死んだと思わなければ死なないのがあやかしですと……。


「では一体どうしろと……」



 新橋一郎の呟きに、芳助は琵琶のバチへと更なる力を込める。


 ベンベンベンベン!


 ベンベンベンベンベン!


「今宵、人食い鬼騒動も終盤で~、ここにあるのは元は人間の悲しい鬼~」


 突然唄う芳助に、新橋一郎は坂口を気にしながらもちらりと見る。

 坂口のほうも、口からよだれを垂らし芳助のほうを向いていた。


「偶然なのか必然なのか、人の道を踏み落ちた人は鬼になり~」


 

 芳助は坂口の半生を歌う。

 邪な事からばれて、息子のように思っていた男の妻子を殺した。

 殺した事がばれたくなく鬼になった男、突然の事で逃げるも逃げたからとでどうにもならない。

 ならば、黙って討たれてしまおう、そうおもうも体はいう事を聞かない。

 人の理から外れると落ちるのは早い、既に人ではなくなった。

 腹はへったが、人が食べる者は臓腑が受け付けない。

 こっそりと墓場に行くも、悪党に見られ雇われる。

 ああ、この無限に続く悪夢はいつ終わるのか……。


 ベン。


 ベベン。


 唄を聴いていた坂口がポツリと口を開いた。


「終われるのか……」

「ええ、周りをみてください」

「おいっ! 芳助……」


 新橋一郎が驚くのも無理は無い。

 先ほどまで庭に居たはずなのに何処かの道場の中だ。


「ここは、道場……某の通った城の道場じゃないか!」


 ベンベンベン……ベン。


「人で在った頃の鬼の思い出ですよ、あの人は終わりたがっています。

 死ぬ死なないじゃないんです、全てを終わらせて貰いたいのでしょう。

 この道場は手前の琵琶で見せている幻です。

 さぁ、新橋さん、あの人を解放させてあげてください」


 芳助の言葉に新橋一郎の動きが完全に止まった。

 芳助は坂口が願った幻と言った。

 

 しかしだ。


 【あの人を解放させてあげてください】



 その言葉を放った芳助の顔は、亡き妻の顔であったからだ。


 新橋一郎は思い出す。

 ああ、妻もこういう女性だった。罪を憎み人を憎まず、いいじゃないですか、世の中五万と人が居るんです、そういう女性が一人居たって。と。


 思えば自身も逃げていた、坂口様と何が違う。

 解放して欲しいのは自身の事か、いったいコレはどちらの願いか。

 新橋一郎がそう思うと、突然、一本勝負始めっ!! という声が響く。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る