第36話

 話をつけた武家屋敷に琵琶の音が響く。

 弾くのはもちろん芳助であった。

 一同が見守る中、背筋を伸ばしバチを打つ。

 

 ベン。


 ベベン。


「月日は流れ二十五年~。

 年老いた新橋一郎は橋の袂で剣を振る~

 剣をふれども相手居らず、遊びと思って犬が喜ぶ~」


 バシンと音がなると、琵琶の音色が止まった。

 芳助の頭を叩くのは若い姿の新橋一郎であり、別に二十五年もたっていない。

 なんだったら約束の期日前だ。


「痛いじゃないですか。

 手前は、皆さんをなごませようと……それに、一曲弾いてくれと言ったのは新橋さんでさ」

「確かにいうたが、変な未来予想図を言う出ない」

「そうよ、芳助いくら唄とは言え変な唄は歌わないのっ」


 そう言うのは口でこそ怒っているが、声は笑いを堪える花野である。

 借りた武家屋敷には、芳助、新橋一郎、権一に花野、佐久間一二三の後妻の緒松、そして全てをまとめる断庵が居る。


 権一が断庵へと報告をする。


「約束の期日まで残り四日。

 九百両そろえ終わりました」


 そうとう無理をしたのだろう、再会した時より痩せている。


「まずは、お疲れと言っておく。

 次に緒松……お主の証文は残念ながら手に入れてない」

「そ、そんな」


 断庵の言葉に緒松が悲鳴を上げる。

 だが、と言葉を続けた。


「ほれ、この通り」


 断庵は一枚の紙を皆にみせる。

 紙には緒松が借り入れた千両を確かに受け取りましたと、書いてある。


「断庵様これはっ!?」

「作った」


 作ったと簡単にいう断庵であるが、そう簡単に作れないのは全員が知っている。

 相手の筆跡を調べ、紙を調べる。

 代理人の名前もいるし、そもそも偽造は犯罪だ。


「まーこれを使うのは最悪の時だ。

 幸い、緒松の証言から証文が隠してある部屋はわかった。

 離れの地下……だったな」

「はい……一之瀬克がなんども他の証文をもって降りていったのを確認しています」

「ぎりぎりまで、正攻法でがんばろう」



 もはや九百両を渡したから解決するという話は過ぎていた。

 渡した所で緒松は救われないし、今後も八重桜は嫌がらせを受け続けるだろう。

 書いた覚えの無い証文が何個も出てくるかもしれない。



 断庵の言う正攻法とは、どんな正攻法なのか謎であるが、それでも緒松を丁寧に指先を畳み付けお願いしますと言う。


「四日後に金を渡し、その帰り道、一之瀬克を足止めする。

 その間に他の奉行所の力を借り誘拐の捜索で屋敷を押さえる、我輩と芳助、新橋は下っ引きに扮装して数ある証文を奪う」


 それぞれが頷く。

 では、各自決戦の日まで体を休めようと、場を閉めると作戦会議は終わった。


「酒と料理を頼んである。

 今宵は大いに盛り上がろうじゃないか」

 

 断庵が手を叩くと、女中達がどんどん膳を持ってくる。

 酒に居たっては小さい樽で持ってきた。


「あのう……」


 何人かの声が上がった。

 先ずは、緒松であった。

 家の者にこれ以上心配をかけたくないと帰っていく。


 次に権一である、お店がありますのでと、権一と花野は帰る事になった。

 花野に居たっては新橋一郎に当日が無事に終わりますようにとお守りをこっそり手渡していた。なお、芳助の分はない。


 料理を運ばせた女中もそれぞれに仕事がありますので借り入れた武家屋敷から帰っていく。


 屋敷の中が静になった。

 男三人は、それぞれ手勺で酒を飲む。

 ある程度料理が減っていくと、断庵が口を開いた、

「本当にいいのか?」

 と、芳助に尋ねた。


「手前で決めた事ですし」


 その言葉に、すまぬというのは新橋一郎だ。


「某の……」

「いいですか新橋さん。

 手前がすると言ったのは、別に新橋さんのためでも花野さんのためでもありません。手前がしたいからするのです」


 じつは先ほどの作戦。

 あれは万が一のための作戦だ。

 嘘ではないが、本当でもない。

 納得行かない新橋一郎の顔に芳助は喋りだす。


「いいですか、この琵琶は手前が探していた琵琶です。

 効果は新橋さんも知ってのとおり弾き手の思いで効果が現れます」


 

 新橋は頷く。

 無人島で人魚の女性が使った時は、黒いあやかしが琵琶の音で消えていった。

 次に見たのは、花野が連れ去られる時、芳助が弾いた時。

 一之瀬克が突然花野を突き飛ばしたのは芳助が何かをしたのと聞いては居ないが、そう信じてる。

 その結果丸一日芳助が寝込んだ事も……。


「なので、試して見たいのです。

 手前の琵琶が、どれほどの効果を示すのか。

 噂では、死んだ人間すら涙を流すといわれた琵琶ですよ、今回は生きている人間です。

 新橋さんだって自身の剣の腕を試す時あるでしょう」

「いや、それはそうなんだが……命には問題ないんだな」

「ないですよ」


 半分本当で半分は嘘だ。

 別に芳助自身は、道具にさほど興味は無い。

 人ひとり幻覚を見せただけでも寝込んだのだ、もしかしたら命の危険もあるだろう。

 では、何のために命を賭けるのか、それも別に賭けてるつもりも本人にはなかった。

 ただ、こうしたほうが全て丸く治まる気がしたから、それに死なない予感もした。

 決して花野と新橋のためではないと、思い。

 大丈夫ですから、と返事をした。



「話はまとまったか?」

「ええ、心配性の新橋さんは困ります、それよりも……」



 断庵が最終確認を念を押した。

 三人だけが知っている、もう一つの作戦。


 芳助が琵琶の力を使い屋敷を混乱にいれる。

 断庵と新橋一郎はどさくさにまぎれて離れの部屋へ行く。

 地下に捕らわれている座敷童子と証文を奪って逃げるという奴だ。


「新橋さんも大丈夫なんですか? 離れの場所にいた男って例の鬼なんでしょう?」

「ああ。向こうは気づいて居ないみたいだが、恨みはあるがそれよりも真実が知りたい」

「ま、そちらは任せますので」



 そう、離れの前でぼーっとしていた老人。

 歳はとれと、新橋一郎の追い求めてた坂口であった。新橋一郎がなんども厠へ行くふりをし、確認したので間違いない。



「しかし、奇妙な縁よ。こうも話が混ざり合うとはな」


 そういうのは断庵であり、残った二人も頷く。

 芳助が新橋一郎と会わなければ、芳助が断庵に捕まり吉原の事件を解決しなければ、上方へいき雪女の事件を解決しなければ、解決したこそ海へいって人魚に会わなければ……何一つかけても、今回の縁はなかったはずだ。



 気づけば月が出始めていた。

 三人は徒歩で屋敷を出る、四日後の作戦は立ててあるが、全ては今日で終わると三人は確信していた。


 いつの間にか賭場屋敷の前へと着く。

 手馴れた感じで裏口を叩くと、手馴れた感じの返事が帰って来た。

 鍵が外され三人は塀の中へと入った。


「おや、断庵さんと……あれ? 何時もの二人は?」

「何をいうておる、何時もの二人だろう?」


 顔が違う。といいかけた三下であったが、何時もと同じといわれると、背格好も同じだしそんなような気もして来た。

 ましてや、背後の二人が本日も遊ばせて貰うと言うのであれば、三下の自分がとやかくいう事ではない。

 僅か半月の間に合計三百両も使ってくれる上客なのだ。

 ヘソをまげて帰られると、あとで自分が怒られる。


「そういわれると、そうですね。

 ではごゆっくり」


 三人は見送られて何時もの廊下を歩く。

 角を曲がれば賭場の部屋、そこから庭を歩けば離れの部屋だ。


「この辺でしょうかね……」


 芳助は廊下の角で座りだした。

 庭にいる用心棒達は、客が突然座るので動きが止まる。

 止まった所を新橋一郎が直ぐに当身をした。


 叫ぶ事なく崩れ落ちる男達。


 ベン。


 ベンベンベン。



 芳助の琵琶がゆっくりと音色を届ける。

 その琵琶は、夢の中で師匠が弾いては駄目ですよといわれた、とある琵琶法師の琵琶である。


「江戸の町~、魑魅魍魎ちみもうりょうが好む人の夜。

 今宵の賭場には鬼達が~生き血を求めて激しく動く~。

 鬼の女や髑髏どくろの武者――――」


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