第31話

 芳助は目を覚ます。

 周りを見ると、数人の子供が琵琶を片手に音を鳴らしていた。

 前を向くと、厳つい顔の男性がゴホンと咳払いをする。


(はて、鉄平てっぺいさんですよね。それに周りの子供は、どれも見た事が……夢でしょうか? 懐かしいですね、琵琶を教えてくれる鉄平さんにいつも怖い顔で怒鳴りつけられましたっけ)


 一際大きな咳払いが聞こえると、厳つい顔の鉄平が芳助っ! と注意をした。


「きょろきょろするな。背筋を伸ばせ。琵琶をしっかり持つ事、琵琶は右手でしっかりと持てっ、それからそれから……」


 周りの子供たちがくすくすと笑う。

 それに対しても鉄平の雷が落ちる。


「今、わろうたやつも前へでろ、他人の失敗を笑うとは……芳助は、こんなんでも真面目にしちょる」

「鉄平さん、そんなに怒らなくても……」


 大人の女性の声が聞こえる。

 着物を着た美しい女性が、鉄平の背後にいた。

 名は羅鬼、大きな角を隠すことも無く鉄平に注意すると子供たちを見回す。


「少し休憩にしましょう、お菓子が用意してますよ。

 鉄平さん、皆を奥の部屋へ」

「ですが……」


 羅鬼は無言で鉄平を見つめる。

 鉄平の頬が照れて赤くなる、周りの子供にからかわれるも咳払いをして、わかりましたと頷いた。

 頭をぽりぽりとかきながら、子供たちを奥の部屋へと促して行く。

 小さい芳助も周りの子供と一緒に行こうとすると羅鬼に止められた。


「芳助さん」

「なんでしょうか、おししょうさま」


 羅鬼は口元に手を当てると悲しい顔になる。

 何か悲しませる事を言っただろうかと、考えた時羅鬼は答えを言うた。


「夢の中ぐらい、母と呼んでくれても」

「えっ!」


 思わず声が出た。

 夢と思ったのは芳助自身、見ている夢も過去の日常だ。

 それなのに羅鬼が突然夢だからと、言うからだ。


「あの琵琶は、生命力を吸い取ります。

 あの人や、私なら兎も角。

 芳助さん、むやみに使うものではありませんよ。

 さぁ、お連れ様が心配してますよ、さあお目覚めなさい」


 周りの景色がぐにゃりと変わる。

 唯一変わらないのは羅鬼だけであった、口元に手を当てて上品に笑うとその姿も掻き消えていった。



 芳助は、もう一度・・・・目が覚めた。

 高い天井が見えた、人の気配がするので頭を横に向けると、刀の手入れをしている新橋一郎と目が合った。


「起きたか」

「そうですね、手前は?」


 体を起こそうとして、力が入らない事に気づく。


「無理をするな丸二日も寝ていたのだ」

「二日……そうですか、それはご心配を」

「医者は旅の疲れだろうと、ともあれ無理をさせていたようだ、謝ろう」

「いえいえ、頭を上げてください。

 所でここは?」


 芳助が尋ねると、襖が突然開いた。

 花野であった、部屋の中を確認する前に心配そうな声が響く。


「新橋様、少しは寝たほうがいいですよ。

 看病なら丁稚も……あら」

「おはようございます花野さん」

「まったくもう、心配かけて……旦那様に報告してきますので」


 襖が再び閉められると、パタパタと音を立てて気配が遠くなる。


「いやー、あちこちに心配かけたみたいですね。

 手前自身は何所で野たれ死のうが構わないんですけど」

「そういうもんだ。

 某も……いや、今は辞めておこう。先ずは食う事だな」


 直ぐに権一も駆けつけて、先ずは目が覚めた事を喜ばれた。

 いくら芳助でも、看病までしてもらえば礼を言う。

 権一は、まだまだ借りは返せないですよと笑顔で笑うと新橋一郎をつれて部屋から出て行った。


 一人になった芳助は、壁に立てかけてある二本の琵琶を見る。

 一本は前からので、もう一本は例の琵琶だ。


「人が使える物ではないのですかね……手前の思考を相手に見せるいい琵琶なんですけどね、とはいえ使うたびに命が削られては溜まった者ではありません。

 素直に師に渡しましょうか」


 手の届く範囲には何も無く、寝るしか無い。

 芳助は再び寝ると、暫く後に匂いにつられて目が覚めた。


「なんだ、起きたのか」

「おや、夕餉ですか?」

「朝餉だ」


 確かに部屋の中は明るい。

 軽く寝るつもりが一晩中寝ていた事になる、新橋一郎が少し待っていろと、言うと席を外した。

 直ぐに少年のような丁稚が芳助の膳を持ってきた。

 そして丁稚が帰ろうとすると新橋一郎が戻ってくる。


「では、頂こうか」


 どうやら一緒の席で食べると判った芳助は、特に異も唱えずに飯を食う。

 食い終わると、刀を腰にさした新橋一郎は立ち上がった。


「おや、何所かにいかれるんで?」

「会合らしい、実はな先の押し問答、こちらが悪い事になっておる」


 一之瀬克が、手下を使い花野を無理やり拉致しようとした件の事だ。

 全員を捕縛し、番屋で預け、こちらの身の潔白まで証明した事件である。


「と、いうと?」

「思ったよりは驚かないんだな」

「なんとなく察しはついているので、恐らくは……あの男がどこかに泣きついたとか」

「ほう、中々に筋がいいな。

 某も詳しくはしらないのだが、吉原の揉め事は吉原で解決せよ! というのが決まりらしくてな」


 本来吉原の管轄は町奉行所である。

 しかし、吉原内にある組織が一手を引き受け、よほどの事が無い限り町奉行所は関与しないのだ。


 新橋一郎はなおも説明してくれる。

 どんな理由であれ、遊女を強引に連れ去ろうというのは大問題である、あるがそれを上に知らせるとまた色々と手続きがある。

 場合によっては大門を閉めなければならない。

 閉めるとどうなるかと、言うと、そのまま客も入る事が出来ないし、中に居る客も帰る事が出来ない。

 色々とまずい事が多いのだ。


 そこを逆手取ったのは、たたき出された一之瀬克。

 親身になっている武家に、身請けの約束がある花野を連れ出そうとしたら暴力を受けたと訴えたのだ。


「いいのです?」

「と、いうか本当はお主も来るようにと命令が来ておる、病欠という理由で権一殿が止めているだけだ」


 そういい終わると、権一が新橋一郎を迎えに来た。

 立ち上がる芳助を見て驚いている。


「おや芳助さん、お体は?」

「おかげさまで、気分はいいです。

 手前も呼ばれているとか……」

「ええ。ですが安心してください、先方には病気という理由で話しますので」

「いえ、行きますよ。

 寝ているのも飽きましたし」


 飽きたから行くというのも失礼な話である、思わず芳助以外の二人は苦笑した。

 花野が用意が出来ましたと、三人の輪へと入ってきた。


「あら、芳助おはよう。

 少し留守にするので必要な事は丁稚の小太郎へ……」

「花野、芳助さんもご一緒するそうだ」


 権一の答えに花野は目を丸くする。


「大丈夫?」

「ええ、ご心配をかけまして」

「べ、べつに心配はしてないわよっ」


 少し顔の赤くなる花野を見ると、芳助の心臓が一際波打つ。

 油断していると、いつまでも見ていたい横顔だ。

 頭を軽くふる、幸い周りは誰一人気づいていない。


「あら、新橋様。

 胸元が少し開いています」


 花野が新橋一郎の正面に立つとえりの部分を直し始めた。

 花野の顔が少し紅潮している。

 突然の事で芳助のあごが落ちそうになった。

 花野の嬉しそうな顔は新橋一郎を見ていた。


「動けば、どうせ着崩れる。

 さて、行こうか、どうした? 芳助」

「いえ、なんでもありません。いきますか……」



 一気に体が重くなった芳助はのそっと呟いた。

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