第30話

 芳助は驚いた。

 花野を助けにいった新橋一郎が、あっさりと刀を抜くのを辞めたからである。

 一之瀬克と言った男は、その好機を逃すことなく逃げようとする、逃がしたら駄目と思っても、芳助は腕っ節は強くない。


 いや、そもそも取っ組み合いの喧嘩なぞしたことはないので、もしかしたら強いかもしれない。しかし、手前が出て行って負けたらどうすると。


(いや、時刻は夜。負けはしませんが……行くしかありませんか)


 誰にも言っていない、芳助の秘密の顔だ。

 知っているのは僅かに二人、いや……いまは三人になっただろうか。


 あやかしが見える、それだけの人間なら沢山居るだろう。

 そこから、あやかしを退治する人間、それも探せば居る。

 しかし、あやかしに育てられ、血肉を貰った人間はそうは居ない。


 芳助が小さい時に、育ての親である羅鬼に聞いてみた事がある。

 おっかさんは、どうして切られてもしなないの? と。


 首を外して芳助に持たせた羅鬼は、あやかしというのはね、力が強い者ほど自分が死んだと思わない限り死なない者なんだよ。さぁお前は体が弱い、このお肉をお食べと、教わり食事をして育った。


 それから数年、師であり母である羅鬼のおかけで芳助は夜限定であれば、死んだと思わない限り死なない体質になった。


 無茶苦茶な話であるが、その力のおかけで何度も命を救われた。



 なるようになれと、芳助が腰を上げた時、新橋一郎の、

「待てっ!!」

 と怒鳴りつける声が響いた。


 新橋一郎は、一之瀬克たちを呼び止めると、一歩引いて芳助を紹介する。


「某は相手にしない、しかし、まだこの霊験あらかたな琵琶使いが居る、このものがおぬし達を懲らしめるだろう」



 傷の手当を受けている権一もそうだし、人質を取っている一之瀬克、それに用心棒のつもりの刀を抜いた少年達に、その人質の花野。

 最後に、名前を呼ばれた芳助だって同じ事を思っただろう。



 だからどうしたと。



「て、てやんで! 琵琶使いだが、琵琶法師だがなんだがしらねえが、たてつくぞ切るぞ!」

「兄貴、ここは俺が行きますんでっ!」

「芳助っ、危ないから下がって、私は何されようが気にしないからっ」



 人質の花野にまで本気で心配され始める。



「あの、新橋さんどうするんですか、この空気」

「某が行くと血なまぐさくなるのでな、たまにはお主も働け」

「人の五倍は働いていますけど……っと、疑った目はやめて下さい。

 でも、そうですね、何となくですけど、考えがわかりましたよ」

「流石は芳助だ」

「長い付き合いゆえ、注意を手前に向けてくれたのは助かります、では……」



 芳助はおもむろに何時もと違う琵琶を構えだす。

 人魚から譲り受けた師が探していた琵琶である。


 胡坐をかき背は伸ばす。

 懐から出した大きなバチでベンベンベベンと静かに琵琶を鳴らした。



「余り語りは旨くないのですが、皆様こんな話をしっていますでしょうか。

 今宵こよいの場所は吉原でございます、吉原というと様々な出会い別れがありまして」


 ベン。


 ベンベンベン。


 吉原で見られる男女の相思相愛。

 夜が明けると別れなければ、握った手はどちらが最初。

 離した手はどちらが離した。

 規律を破った男女が二名。

 川に浮かぶは女だけ。

 男は今宵も吉原をくぐる。


 ベンベンベベン。


 辺りの空気が静かになる。

 なおも芳助は琵琶を鳴らして口を開く。


 男は新たな女を捜す、捜す理由は金のため。

 

 ベン。


 ようは、客を惚れさす遊女が、客に惚れてしまい騙され殺され。

 男のほうは次の獲物を探して大門をくぐったという話だ。


 ベベンッ!


「一之瀬さん、よおおくみてください。

 それ、本当に花野さんなんでしょうか?」

「は?」


 反射的に一之瀬克が花野の手を引っ張る。

 引っ張った手が抜けたように感じて、花野の顔をみると、両目に穴の開いた骸骨の顔が一之瀬克を見ていた。


 もちろん錯覚で、周りの人間には花野は花野のままだ。

 一之瀬克が手が抜けたように感じたのは引っ張られた拍子に、着物がちぎれただけである。

 千切れた着物を慌ててつかむ花野は一之瀬克へと顔を向けただけであった。


「な、なんだ、ちっお前も化物かっ」


 一之瀬克は花野を両手で突き飛ばした。

 その隙を待っていた新橋一郎は、刀を抜かずに当身をする。

 瞬く間に一人、二人、三人と食らわせていた。


 中庭へ少人数であるが、男達が走って入ってきた。

 吉原の警備を任された男達である。

 事情を聞いていたのだろう、権一の証言から次々に一之瀬克達を縛り上げて行く。

 

 そして芳助と新橋一郎も、事情を聞くために番屋へと行く事になった。

 聴取を受けて開放された時には夜明けに近かった。


 全てが終わった二人が遊郭八重桜の暖簾をくぐると丁稚が驚いた顔をする、お待ちくださいと急いで奥へと走っていった。


 直ぐに、権一と花野が玄関へと現れた。


「この度は本当にありがとうございます」

「私からも、本当にありがとうございます」


 二人が丁重に頭を下げる。

 新橋一郎が慌てて首を振った。


「いや、昼飯と酒の代と思えば安い物だ。

 それに、一番の功績は芳助だろう、某は当身をあてただけだからな」

「いつに無く、謙遜してますね……」

「馬鹿な事を言うな、お主じゃあるまいし、某は普段から変わりは無い」


 芳助と新橋一郎が軽口を叩き合っていると、くすくすと声がする。

 二人は同時に振り向くと、花野が手を口にあてて小さく笑っていた。


「ご、ごめんなさい。

 その二人が面白くて」

「面白かっただろうか?」

「さて……手前も良くはわかりませんが」


 さてさてさてと、権一が話に混ざってくる。

 改めて昨夜の事で礼を言われる、そして良ければ今からでも体を休めて下さいと。


「ありがとうございます。では……あれ? 新橋さん黙って立ってどうしました?」

「いや、二日も礼を受けるほどの事はしておらん」

「はぁーでましたよ、侍という変な意地ですよね」


 芳助は、新橋一郎に向かって直球で意見を言う。

 言われた新橋一郎はもちろん、周りに居る権一や花野、それに丁稚までもが目を白黒させた。

 横柄過ぎる態度に普通の侍なら激怒し人悶着が起きるからだ。

 なんだったら切られても仕方がない。


「お主、某でなければ切り捨てられるぞ」

「手前も、新橋さんでなければ言いません」

「そ、そうか……それもそうだな」


 権一が、恐る恐る話しかけた。


「それでしたら、どうでしょう。

 新橋様には暫くの間、用心棒としてここにいると言うのは。

 いえ、ずーっとではありません、忙しいのは重々承知しておりますが、それでしたら住み込み部屋もありますゆえ」

「用心棒といえと、某はそこまで腕は」

「ささ、こちらですよ」


 権一は新橋一郎の袖を掴むと強引に、奥へと連れ出した。

 玄関に残されたのは、芳助と花野である。

 

 二人とも権一達を見送ると、顔を見合わせた。


「えっと、芳助はどうする?」

「手前に用心棒が務まると?」

「……無理よね、旦那様の事だから忘れてないと思うけど。そう、さっきはありがとう」

「先ほども聞きましたけど」

「さっきのは接客用よ、これは本心。

 でも一つだけなんで、一之瀬は私の顔を見て悲鳴を上げたのかしら……」

「ああ、それは錯覚と言う奴ですよ」


 芳助が奏でた琵琶。

 人魚から譲り受けた琵琶で、長年鬼である師が探していた琵琶。


 元は高名な琵琶法師が使っていた琵琶で、一度奏でると鬼すら涙を零すと言われていた琵琶であった。

 師にとっては愛すべき人の形見。問題はどうやって送り届けようか迷って芳助が大事に持っている。


「ま、なんにせよ疲れたでしょ。朝餉の用意させるわね」

「それはご丁寧に、あれ……? 天井が下にありま」


 芳助は一歩段差をあがったつもりだった。

 何故か天井が見え、後頭部に強い衝撃が起きたと思うと意識を失った。

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