第29話

 場所は大門を抜けた吉原の中、駕籠が止まった場所は遊郭八重桜の裏庭だ。

 青い顔をした新橋一郎が駕籠から降りた。


「大丈夫ですか?」

「初めて乗ったが揺れる物なのだな……」

「駕籠ですからね」


 権一が駕籠屋に手間賃を払って帰らすと、廊下をパタパタと走ってくる女性が居た。

 地味な着物を着ているはずなのに色っぽい姿の花野であった。


「旦那様、お帰りなさいませ」

「今帰ったよ」


 権一が言うと、花野は直ぐに二人へと向き直る。


「あら。芳助さんっ! と……」

「某、新橋一郎と申す」

「花野と申します」


 新橋一郎のつけている二本の刀を見た花野は廊下に座りこみ手をつけ頭を下げる。

 新橋一郎は慌てて花野を立たせようとした。


「そんな、頭を下げられるほど偉くは無い。頭を上げてくだされ」

「ですが……」



 ちらっと権一へ確認すると、権一はにこやかに笑う。


「新橋様もそう言っている事ですから、普段通りでいいですよ」

「では……芳助久しぶり、少し太った? お侍さんも立ってないで奥へどうぞ。

 旦那様、奥に一之瀬様が来ています」


 ハキハキとした喋りになり、初見の新橋一郎は驚くが他の二人は慣れた者だ。

 権一が少し眉を潜める。


「一之瀬様ですか……わかりました。

 花野は二人を部屋に今日は泊まりのご用意を。

 自分は一之瀬様の部屋へ行きましょう」


 それではと、権一は中庭から廊下へと上がった。

 そのまま長い廊下を歩いて消えていく。

 男二人はその姿を見送ると、手を複数回叩く音で注意をそらされた。


「はいはい、二人とも部屋を用意するわよ」

「か、かたじけない」

「お願いします」


 二人は花野に連れられて後ろを歩く。

 階段を上がると奥の部屋へと通された。

 ちょっとした座敷になっており小規模な宴会なら開けそうな部屋であった。


「好きに使って下さいなっ。あと、呼ぶのは二人でいいの? 旦那様からそれぐらいのお礼はしたほうがいいが、聞くのをわすれたなと……」

「呼ぶとは?」

「だってここは吉原よ? 男二人で部屋に居たって寂しいでしょうに」


 新橋一郎は芳助に説明を求めた。


「一に顔見見せ、二に宴。

 三、四通って五振られ、六度通って床入り。という所でしょうか」


 最初は顔を見せるだけで金を払い。二回目は宴を開き金を使う。

 三回目、四回目も宴を開き、五回目で振られ、それでも通った六回目で、やっと遊女と一晩過ごせるという意味だ。


「恐ろしいな……何両かかるのだ」

「あら、大の男が懐を気にしたらだめよ。と、言いたい所だけど。

 確かにお金が無いとダメなのはしょうがないし」


 お金の話になり腕を組んで考えていた花野が両手を叩く。


「いいわ、一晩ぐらいなら私も付き合ってあげるわよ」

「床入りをですかっ!」


 思わず芳助が小さく叫ぶと、花野が呆れた声を出す。


「飲みのほうよ……でもまぁ、それが希望ならそれでもいいわよ、女の私にはそれぐらいしか礼は出来ないし」


 慌てた芳助が首を振った。


「いやいや、これは失言でした、忘れてください」

「新橋様は?」

「え? そ、某の事か?」

「ええ。希望でしたら、別部屋で誰か娘をつけますけど」

「某は、その、これでも妻帯者でな」

「あら、妻が居たって遊ぶ人はいるわよ。奥さんは怖い人なの?」

「その……死んだ」



 一瞬にして場の空気が重くなった。

 それでも、花野はごめんなさいと、直ぐに謝る。



「死んでも思われるなんて、素敵な人だったんですね、芳助との付き合いは知らないけど、こっちみたいなったら駄目よ」


 こっちとは、なぜか指をさされる芳助。


「いや、某のほうこそ、すまぬ。とっさに口にでたが、毎度の逃げの口実だ。昔は良く仲間が変な所に誘うのでな、そういとけば大抵は断れる、しかし、今回は本当に辞退しておこう、あまり綺麗な人が側にいると、妻が化けるかもしれんからな」

「まぁ」



 コロコロと花野と新橋一郎が笑うと、廊下を小走りに誰か来る音が聞こえた。

 花野は振り向くと、見知った顔なのだろう、どうしたの? と聞いた。

 聞かれた相手は細身の少年のような男で、店の丁稚ですと紹介した。


 一之瀬様の座席に来るようにと、店主様が言っておられますと花野へと伝えた。


「わかりました、直ぐ行きますとお伝えください」

「はっ」


 短く言うと直ぐに足音は遠くなる。


「さて、お二人が予約をしないゆえに、客がつきました人気者はこまりますゆえ、少々席を外します。では、ついでにお酒を用意させますので、失礼しますね」

 

 わざとに喋ると、花野は深く頭を下げて部屋を後にした。

 残ったのは男二人。

 こちらも、なぜか溜め息をつく。


「いや、すまぬな場を少し暗くしたようだ」

「構いませんよ。手前もこういう場所は苦手ですし」



 暫くすると、花野に劣らず若い女性が酒を持ってくる。

 花野から権一からの気遣いだろうが、二人は部屋に残ろうとする女性を帰すと、ちびちびと飲み始めた。

 浪人中とはいえ貧乏侍と、胡散臭い琵琶弾きは、人魚騒動も含めるとかれこれ一月近く以上一緒にいるのだ、遠慮もなくなる。

 

 お互いに特に何も語らずに酒を飲む。


 部屋の外で男女と思われる複数の大きな声が聞こえた。

 喧嘩のような声と共に、皿が割れる音がし始めた。

 

 やめて下さいっ。いいから来い。

 てください。こっちに来るのだ。

 人を呼んで来て下さい。金なら払ったっ。

 放しなさいっ!


「いくのですか?」


 芳助が顔を上げると、新橋一郎が既に刀を手に立っていた。


「一応な、酒代ぐらいの働きはしたほうがいいだろう」

「では、手伝いますよ」

「…………珍しいな」

「そうでしょうか?」


 その間にも物の壊れる音と、男女の声が響いていた。

 二人は廊下に出ると素早く階段を降りる、途中で何事かと他の客が顔を出して芳助と新橋一郎を黙って見送った。


 中庭には権一と花野がおり、尚且つ知らない男が六人。

 男のほうは痩せてはいるが目がぎらついた男が、花野の腕を掴んでいる。

 取り巻きの男だろう、残りの五人が中庭へと倒れている権一へと刀を向ける。


「店主が斬られたくなければ、黙ってついて来ればいいんだよっ!」

「痛いっ!」

「い、一之瀬様。

 お店での刃傷沙汰にんじょうさたは困りますっ、それにお断りしたはずです」

「おうおう、一丁前に説教たあ、さすが八重桜の店主だ。

 しかしなぁ、こちとら真獄門組の一之瀬克いちのせかつたあ。

 約束通り花野は頂いていく」

「約束も何も……そちらが勝手に……」

「おうおうおうおうおう!! 勝手に? おい、勝手にと言ったな?

 俺様は、この売れ残りの花野を貰ってやると約束したはずだが?」


 花野が、獄門組の一之瀬をにらみ付けると口を開こうとする。

 しかし、ほほの部分に短刀を持ってこられると黙るしかない。

 その間にも一之瀬克は着物の上から花野の胸を揉みだす。


「どんな事情か知らぬが、乱暴な事は辞めた方がいい」


 一歩、中庭に人の気配が増える、注意を促すのは新橋一郎である。

 一之瀬克や、周りの手下らしき男は突如現れた二本差しの侍に少し驚いた顔をする。

 でも、直ぐに嫌な笑いを浮かべた。


「なんだなんだ、権一よ。随分と貧乏そうな用心棒じゃないか」

「し、新橋様っ!」

「新橋様ねぇ……いくらで雇われたかしらねえが、失せな」

「いやはや、見た所は子供の様だ、子供の駄々は大人が直さねば成らぬ」


 子供と言っても、齢三十に届きそうな新橋一郎から見てである。

 一之瀬克は二十代で、まわりの手下も実際は十五から十七という所だろう。

 元服もすぎ立派な大人だ。


 新橋一郎が良く見ると、一之瀬克の手が震えている。

 怒りで震えているのか、慣れない刃物を手にしているのかまではわからない。



「某が出しゃばった真似なのは重々承知である、権一殿よ一先ずこの場は某に任せてくれまいか?」

「で、ですが……」


 権一は少し考えた後に頷いた。

 吉原といえと、無法地帯ではない、中には中の組合があり荒事用の人間もいる。

 今は丁稚数人がこっそりと呼びに行っている所だ。

 新橋一郎が時間を稼げ場稼ぐほど、相手は追い詰められるだけである。



「な、なんだ。俺達と切りあおうというのか?

 別に侍の一人や二人、怖くはないんだぜ」



 場の空気が段々と重くなっていく。

 新橋一郎は刀に手を当てようとしてその動きが止まった。

 切るのは簡単だ、今では一之瀬克を守るように立っている男達も、刀は抜いているが気迫が無い。

 あれでは、人を切った事もあるかどうかも怪しい。

 しかし、乱戦になれば人質になっている花野の身も怪しくなる、先に助けておきたいが、何か注意を引くものが一つ欲しいと考え始めた。


 目だけを動かすと、芳助が頑張ってくださいと、いうような顔でこの騒動を見ていた。

 まて、不公平じゃないかと、新橋一郎の頭で誰かがささやくく。

 あの時も某が動いた、あの時もそうだった、今度もそう……。


「辞めた」


 その一言で少しだけ空気が変わる。

 新橋一郎の体から気迫というものがなくなったのだ。


 呆気に取られたのは権一や花野、逆に一之瀬克達が調子に乗り出した。


「はん、これだから田舎侍は。

 じゃぁ、時間稼ぎされてもこまるんでな、おい行くぞっ!」


 新橋一郎は大きく息を吸う。

 裏口に手をかけようとした男達に向かって、

「待てっ!!」

 と呼び止めた。 

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