第26話

 白い砂浜まで降りてくる。

 砂浜の反対には小さな畑もあり、野菜らしき物が実を鳴らしていた。

 近くにある小屋の扉が動いた、新橋一郎は咄嗟に刀へと手を伸ばす。


「これは、新橋様に芳助さん。

 こんな場所までお疲れ様です」


 小屋から出てきたのは伝助で、二人の顔をみると丁寧に挨拶をした。

 

「挨拶は結構、なぜこんな場所にいる。

 皆の者も心配してるゆえ、戻ろうぞ」

「黙ってくれば、皆様も戻れると思い黙って来たんですけどね」


 困り顔の伝助は顎に手をつけ考え込んだ。

 背後の小屋からは琵琶の奏でる音が聞こえ始めてきた。


「伝助さん、この音色は……」

「ああ、そうですね妻を紹介します」


 芳助達は顔を見合わせて小屋へと入った。

 薄着の女性が椅子に座っていた。

 琵琶を弾く手を止め、二人に静かに頭を下げる。

 伝助は座布団を三つ出すと一つに座り、二人に座るように進めた。


「すみません、妻は喋れない者で」

「某は新橋一郎と申す、この度は伝助を保護して頂き誠候」


 芳助は新橋一郎の服をクイクイと引っ張る。

 喋っている途中であるが芳助のほうへ顔を向けた。


「新橋さん、相手は人ではありませんよ」

「人で無ければ悪いと誰か決めましたっ!?」


 怒る伝助に、芳助が静かに口を開く、

「悪いとは言っていません、事実を言ったまでです。

 手前は暴走する新橋さんに付き合って、伝助さんを探しに来たんです」

 珍しく芳助がはっきりと強めに言うと伝助の体が小さくなっていく。


「すみません」


 小さくなる伝助に、いや、そのなんだと、なぜか新橋一郎までが小さくなっていく。


「そのなんだ、伝助よ。

 こちらの女性は人間ではないと……芳助は言うが、その事はわかっているか?」

「ええ」

「本人の前で言うのもはばかれるが、伝助を騙していると言う事は」

「ありませんっ」


 いつの間にか妻と呼ばれた女性が三人の前にお茶を出す。


「かたじけない」

「どうぞ飲んでください、毒などは無いです」


 ちらっと芳助へ確認する、芳助は既に茶を飲んでおり少し後れて新橋一郎も口に含んだ。

 甘めの煎茶の味が口の中へと広がる。


「人魚……でしょうか」


 突然喋る芳助に、妻と呼ばれた女性が小さく手を叩く。

 嬉しいのだろう、何度も首を縦に頷いた。


「芳助、人魚とはこの女性の事か? 足は魚ではないが」

「それぐらいは変える事ぐらいはできましょうに、日本では不老不死の肉として度々名が挙がるあやかしですね。

 音楽の才能が凄く、その歌声は人を惑わし、嵐を呼ぶと言われています。

 喋れないのではなく、喋らないと言った所でしょうか」


 説明を聞いた伝助も嬉しそうに頷く。


「いやはや、さすが土御門家に縁のある人です」

「伝助さん、歌声を聞いてしまいましたね」


 伝助は首を振る。


「それが聞いてないんです」

「では、なぜに……」


 なぜにここに居るのか? なぜ帰らないのかと聞いている。


「色恋に理由など要りますでしょうか? ねえ新橋様。

 芳助さんだって好きな女性の一人二人はいるでしょうに」


 一瞬であるが、芳助の頭の中に、先日知り合った遊女の花野。同僚の晴嵐と母である羅鬼の姿が浮かび上がる。

 直ぐに頭を振ってはっきりとした口調で、いませんとだけ答えた。


「一目ぼれと言った所でしょうか、それに、女で一人で困っているようですし。

 正直に申しましょう、どちらか先かわかりませんが、夢の中で会うたびにお互いに惚れまして……。

 そして船が遭難したのも自らのせいと教えてもらいました。

 ですから、この妻と繋がりがある自分がここに居れば船は江戸に戻るのですっ!」


 説明を聞いた芳助が溜め息と共に立ち上がる。


「なるほど、新橋さん。

 伝助さんは帰らないとの事なので我々だけでも帰りましょう。

 かの、浦島太郎なる人物は海の竜宮城で数日過ごしただけで、戻ってみたら数百年経っていたという話もあります」

「なんとっ!」


 それを聞いては新橋一郎も立ち上がった。

 まだ数刻の時を過ごしただけと思って戻ったら、何十年も経っていては色々と困る。


「伝助よっ! 今一度問う、戻る事はないのだな?」


 最終確認である、ここで少しでも戻りたいといえば、新橋一郎は伝助を担いででも連れて行こうと思っていた。

 つれて帰って船を出せばまた何か解決方法があるかもしれないという考えだ。

 しかし、案の定伝助は首を振る。


「国に帰っても家族はおりません。

 夢に出た女性と生涯を共にする、それでもいいじゃありませんか」

「あい、わかったっ」


 新橋一郎は扉を帰るのに扉を開けると、一気に閉めた。

 もちろん、外に出ていない。

 芳助を手招きして外を見ろと手だけで合図をした。


 白い浜辺には、新橋よりも頭二つ大きい黒い人の形をした何かか何十体も動いていた。


「これはまた珍しい。

 海坊主……の一種でしょうか」


 海坊主、大きさは多種多様であり船乗りを困らせるあやかしである。

 黒い影は手当たりしだいの物を壊しては暴れまわる。

 それだけならまだしも、口の部分が大きく開くと共食いまでし始めた。


 小さな小屋にも目をつけその壁などを激しく叩く、新橋一郎が刀を構えたその時、中に居た人魚が、琵琶持つと静かに奏でた。


 音は小屋の中から外に響くと黒い影が次々に塵となり消えていった。

 驚く一同に人魚は微笑み、琵琶を壁に戻した。


「恩にきる、さて、海坊主とやらも倒したようだし帰るぞ?」


 新橋一郎が最後が疑問系になるは、今度は芳助の様子がおかしいからだ。

 人魚の引いていた琵琶をじっと見ているからだ。

 あまりにも見ているので、人魚が芳助へと琵琶を差し出す。

 黙って受け取ると、その表面を観察し始めた。


 口を真一文字にし真面目な顔になる。

 琵琶を床に置くと、人魚のほうへ向き直り土下座をした。

 

 あの、ひょうひょうとして、人食い鬼相手でも泣く事もなかった芳助がである。

 新橋一郎も驚きで声が出ないし、その気迫に押されて伝助さえも声を出さない。


「手前、琵琶弾き芳助と申します。

 この琵琶は、手前の師が探していた琵琶の可能性が高いです。

 どうか譲ってはいけないでしょうか。

 ですが、手前には少しばかりの金しか差し出す物がありません。

 しかし、金などもらってもこの場所では使いようがありませぬ。

 譲って貰えるのであれば、手前の魂を飽きるまで使って構いませぬ」

「お、おい芳助。

 魂って、そしたら琵琶を手に入れても帰れなかったら意味がないじゃないか」

「その時は新橋さん、手前の代わりに京の土御門家へ届けてください」


 そもそも、ここで別れたら芳助を江戸まで連れて行く事が出来なくなるのだが、新橋一郎もそこまで強くは言えない。

 己の敵討ちに意味があるように、芳助にもこの琵琶に意味があると悟ったからだ。


 人魚は、伝助へ何かを指示する。

 伝助は気づいたように動くと、紙と筆を人魚へと手渡した。

 さらさらと文字を書いては芳助の顔の前へと差す出す。



 この琵琶は流れ着いた物で、持ち主がいるのであれは返したいとは思います。

 ですが、荒れ狂う小さな海坊主を退治するのに使っており、今すぐには手放せません。

 せめて、私に海坊主の元を倒すすべでもあれば良かったのでしょう。

 何十年かかるかわかりませんが、お借りできないでしょうか?

 

 と、書いてあった。 


 紙を見る芳助は、小さな声で二度ほど文を読み直す。

 もう一度読み終えた時に顔を上げた。


「では、海坊主を倒す事が出来れば琵琶は譲ってくださると」


 人魚ははっきりと頷く。


「新橋さんっ!」


 珍しく呆れ顔の新橋一郎は、芳助へと笑みを向ける。


「皆までいうな、お主に恩を売っておけば江戸での頼み事がしやすくなる。

 某は何をすればいい?」

「元はといえば、自分が巻き込んだのです、手伝わせてください」


 新橋一郎も伝助も、共に頷いてくれた。

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