第23話

 一晩立つと、芳助は目を開けた。

 枕元に置いておいた眼鏡をかけると欠伸をする。

 狭い客室で上半身を起こして、体を軽くほぐす昨夜は船の揺れのせいか眠りが浅かった。

 隣をみると、足をくの字に曲げた新橋一郎がいびきを掻いている。


 船が大きく揺れた。

 慌てた芳助が壁に手をつくも、新橋一郎のほうはごろんと半分に転がり、壁にあたった。

 関心するのは、その状態でも刀だけは握っていて、なおかつ寝ている所だ。


「もし……」


 肩を複数回揺らすと新橋一郎の目が開く。

 大きな目で芳助を見ると、朝から嫌な物でもみたかのような顔になる。


「なんだ、厠なら着いて行かんぞ」

「別に着いて来なくてもいいです、それよりも朝になったと思うんですけど」

「そうか……しかし船の上余り寝付けないな。

 どれ空気の入れ替えもしよう」



 声をかけられるまで寝ていた男の言葉とは思えない。

 新橋一郎はもそっと起きると、出入り口の木戸を開けた。海特有の潮風がここちよい感じで部屋の空気を入れ替えていく。


「少し寒いか?」


 振り返り聞く意味は、芳助に気を使っているんだろう。

 なんだかんだで、侍特有の横柄な態度は少なく、それゆえに人に好かれるのが良くわかる。


「手前は大丈夫ですね」

「そうか、それならいい。

 冬というのに暖かい風だな、少し暑いぐらいだ。

 伝助の姿が見えないな……どれ、船は順調に動いているのか聞いてこよう」


 扉を開けたまま出て行ったので、客室に残った芳助は布団を小さく畳む。

 少し外の風にあたろうと甲板へでると、船の先端には人だかりが見えた。

 芳助が近くによると、伝助や新橋一郎、それに他の船員の顔も苦い顔なのを確認できる。


「おや、どうしましたか?」

「ああ、これは芳助さんおはようございます」

「随分と浮かない顔ですけど、まさか遭難したとかなんて事ないでしょうね」


 芳助としては冗談のつもりだ。

 船の上でいう冗談にしては最低な部類に入るだろうが、それでも軽い冗談のつもりだった。

 芳助以外の顔が強張る。

 突然船員の一人が座りだして女の名前を叫び泣き出す、妻か母親と言った所だろう。


「え、本当にそうなんですか?」


 洒落のように確認するも、誰も笑う人間は居ない。

 船員の鳴き声と、誰か悪い、見張りはどうしたなどの不満も聞こえてきた。

 

 伝助が両手で自身の顔を何度も叩く。

 それまで泣いていた船員が、驚いた顔で伝助を見た。


「まずは海路をみましょう。

 誰か悪いかなんて居ないです、しいて言えば船長である自分が悪いのです。

 他にも食料と水の確認、目がいい人は交代で何か見えるか見張ってください。

 お二人はご一緒に部屋にお願いします」


 はっきりと言い切ると、芳助と新橋一郎を連れて歩く。

 優しい顔だけの船長かとおもっていたが、伝助の顔はしっかりとしている。

 背後にいた船員達も、その覇気が伝わり一斉に動きはじめた。


 船長室へと招かれ、座布団をだされる。

 三人は座ると伝助が最初に口を開いた。


「隠し立てする事でもないでしょうけど、遭難しました」

「やはり、そうなんですか」

「「…………」」



 伝助は、見張りの船員から見えるはずの陸地が見えない事と、風の質が変わった事を伝えられた。

 そして、太陽の位置から陸地と思われるほうへと舵を切っているが、いまだ何も見えない事を二人へと伝えた。


「参りましたね」

「一つも参った顔をしてないのはお主だけだぞ……」


 少しそわそわしている新橋一郎が、芳助へと文句を言う。

 直ぐに伝助が間に入ってきた。


「新橋様、悪いのは全て自分の責任です。

 どうかお怒りをお沈め下さい……それと、誠に申し訳ございませんが……その食事などは、その量のほうを」

「わかっておる。元より貧乏暮らしのほうが長いゆえ、出して貰えるだけで感謝だ

 何を文句をいおうぞな」

「まぁ手前もそのような事情なら……」


 伝助に感謝され、二人は握手をされた。

 直ぐに船員が入ってくると、食料は切り詰めれば二週間は持つだろうと、あたり一面は海しか見えなく風がおかしいと言う報告もしていった。


 実は三人も少し汗ばんでいた。

 海の上で日の光が強いのだろうという事ではなく、冬だというのに風が暖かいのだ。

 これだけでも、日本からかなり離れていると予想は出来た。

 もちろん伝助は真っ先に気づいていたが、口には出していない。


 思ったよりも深刻そうですねと、芳助が言うと伝助が、

「お二人には大変申し訳なく」

 と謝ってくる。

 直ぐに新橋一郎も頭を下げた。


「伝助よ、まさに乗りかかった船である。

 乗せる予定の無かった我々を無理に乗せて貰った事に感謝すれど恨む気持ちは無い」


 その様子を見ていた芳助は口を開こうとして閉じた。

(別に手前も恨みはないですけど……手前が一番巻き込まれたような)

 

 新橋一郎が、いつの間にか立ち上がっており芳助の肩を軽く叩く。


「お主釣りは出来るか?」

「した事はないですね……」

「お主、釣りもした事はないのか、こう見えても某は旨いほうでな

 よし、少し教えてやろうではないか、少しでも食べ物はあったほうがいい」


 船員の邪魔にならないような場所で釣り糸を垂らす。

 

 日が暮れるころ、厨房に二人の姿が現れた。

 釣った魚をさばいて貰うためである。

 今日の釣果は芳助が八匹という快挙で、隣で少し不機嫌な顔の新橋一郎は当りなしという。


「いやー、釣りって簡単なんですね」

「よく考えたら某は船釣りは初めてであった、釣れないのも無理は無い」

「手前も初めてなんですけど」

「お主の場合は場所が良かっただけだ」


 こうして遭難一日目が過ぎていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る