第15話
芳助と晴嵐が入った部屋。
小さな囲炉裏があり、炭は赤くなり鉄瓶が掛けられていた。
シュッシュっと、音を立てては沸騰している事を知らせている。
芳助が額に汗を流しながら頭を下げる。
「師匠、ご無沙汰しています。芳助です、相変わらずお綺麗で……」
芳助が、お綺麗でと、言うのはもちろん嫌味などではない。
ひたいから一本角の生えては居るが、その顔は綺麗で見る物を魅了させるような女性の顔。綺麗な着物を着ており、片腕がない。
「芳助さんは、琵琶よりも口のほうが旨くなりましたね」
「そ、そんな滅相もない。手前は本当の事を言ったまでです」
外は寒いでしょうと、鬼は鉄瓶をつかむと茶を入れる。
風が冬へと変わり始めてますねと、言うと片腕でお盆に載せ、二人の前へ差し出した。
角さえなければ、本当に綺麗な女性に見える。
「師いえ……
鬼の名前は羅鬼といい、芳助や晴嵐いや、様々な人間の師匠であった。
晴嵐の言葉を断り、それでもお礼を言う。
「ありがとう、仕事以外は名前で呼んでくれて。でも、そこまで世話になるつもりもないわ」
お茶を出した後に、まっすぐに芳助を見た。
「芳助さん、琵琶を見せなさい」
芳助の体がビクっとなる。
人食い鬼や、杯を数える幽霊となった女性にも平然だったのに、先ほどから汗を拭きながら下を見ているのだ。
「聞こえなかったかしら?」
「い、いえっ、手前の琵琶は手入れも悪く師に見せるほどではありませんっ!」
「それは、私が決める事です」
はっきりと言うと、先ほどまで羅鬼の背後にある影が大きく、そして人ではない影へと変わっていく。
囲炉裏の火が揺ら揺らと大きく燃え上がる。
不穏な空気を感じた晴嵐が、芳助の琵琶を慌てて取ると羅鬼へと手渡す。
片腕で受け取ると、弦が一本切れた琵琶を触りやさしく触る。
先ほど無かったはずの腕が半透明であわられる、胸元からバチを取り出すと、やさしく、そして力強く弾き始めた。
ベン……。
ベンベンベン!
指が弦をはじく度に空気が震える。
芳助の琵琶を聴いた人間ならば、同じ琵琶でこうも違うのかと関心するだろう。
聞く者にとっては魂が洗い流されて涙する者もいるかもしれない。少しだけ弾くと、満足したように芳助へと琵琶を返した。
その時には半透明の腕が、既に消えていた。
「芳助さん」
「は、はいっ」
「いつまでも、私が選んだ琵琶を大事に持っているのは嬉しいですけど、ボロになったのなら買い替えなさい。買うお金が無いのであれば、手紙の一つでも寄こすのです」
「い、いえっ。師から頂いた物をそう簡単には……」
「昔みたいに母とは呼んでくれないのですね」
常人ならば、鬼が母親と聞けば腰を抜かすが、事情を知っている晴嵐は特に驚きもしない。芳助は捨て子なのだ。
芳助は物心ついた時には人では無い者が見えていた。
既に羅鬼が母親代わりをしていて、芳助を可愛がっていた、外に出される事もなかったので親が角が生えていても然程驚かなく、母親というのは角が生えている者と近所の子もいうので、そう思っていた。
次第に手習いや琵琶の修行で外へ行くようになり、おかしいぞと思い始めた。
他人と会話が会わないのだ。
芳助に見える者が、他の者には見えない。
あれだけ角が生えたと言っていた子の両親を見ても、角の生えている母親は一人もいない。
「手前に琵琶を教えてくれたのは師であり、母である前に、それ以外は無いかと思っています」
芳助が搾り出すように喋った。
晴嵐は、その割には琵琶は下手だし、素直じゃない。と考えていた。
別に芳助は羅鬼の事が嫌いではない。
どちらかと言えば好きなほうだろう、捨て子だったのを育てて貰った恩もある。
しかし、何時までも外見の変わらない羅鬼を母と呼ぶには抵抗があり、恥ずかしさが勝つ。
羅鬼は微笑むと話題を変えた。
「少し空が怪しげです、今日は泊まっていきなさい。晴嵐もご苦労様です」
「はっ、それでは失礼します」
晴嵐は深く頭を下げると、後ろ足で廊下に出る。
いまだ固まったままの芳助を見て、内心でため息をつきながら小さく声を出す。
「おーい、芳助さん」
部屋を出ていいと気づいた芳助が、羅鬼へと慌てて頭を下げると廊下へとでた。
晴嵐はゆっくりと襖を閉め。芳輔を別の部屋へと案内した。
部屋にはすでに、善と酒、さらには布団まで置いてあった。
「今日はここをつかうといい。
布団は勝手に使って、善は食べ終わったら廊下へと出しておいてくれ、あとで別な者が回収するだろう」
「はぁ……」
間抜けな声を出して返事をすると、襖はピシャっと音を立てて閉められた。
部屋を見渡すと、火鉢と膳、酒も置いてある。
(はて……、結局なんの顔合わせだったのだろう? 琵琶の捜索の事も聞かれはしないし……)
「しかしまぁ、怒られないならそれで、よしとしますか」
軽く食事を取り、飯を食う。
最後には酒をちびちびと飲むと、芳助はぐっすりと眠ってしまった。
寒い、寒さで目が覚めた。
火鉢の炭はまだ、ほんのりと赤い。
慌てて炭を足して暖を取る、外はすでに明るく日の光が透けて見えた。
別邸といわれるだけあって静かであった。
「さて、朝餉はどうしましょうかねぇ」
誰かに飯の事を聞こうと襖を開けると、中庭が一色に染まっていた。
真っ白である。
寝ている間に降ったらしい雪が積もっていた。
芳助は黙って襖を閉めると、火鉢の傍へと戻る。
寒いのは嫌ですねと、体を丸める。
「これじゃ何のために上方に来たのか……北に行けばよかった」
廊下をスタスタと歩く音が聞こえると、芳助のいる部屋の襖が大きく開かれた。
晴嵐である、男装の着物を着ており、寒さで震えている芳助を見てがっくりと肩を落とした。
「情けない……」
「何がです?」
「その格好だ。寒さなど気合を入れれば何とでもなろうに」
「…………馬鹿は寒さを感じないともいいますからね」
「何か言った?」
「何も」
「さて行きますよ」
晴嵐は芳助の予定など一切聞かずに腕を掴む。
無理やり立たせてはついて来てくださいと、歩きだした。
「晴嵐さん、お腹が空きました」
「…………はいはい、朝餉の用意はしてあります。その代わり食べたら一緒に行きますよ」
「何処にです?」
「何処でもです。見てくださいこの雪を」
「寒いですよね」
芳助の感想に、晴嵐はがっくりと肩を落とす。
気づかないんですか? この雪を降らした妖怪探しですよ! と力強く言ったのだった。
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