第12話

 芳助が質屋に行き呪われた話を聞いて半月近く。

 秋風が身に染みるようになった夜の日、芳助、断庵、花野が権一の見舞いへと来ていた。


 さらに骨と皮だけのような権一が布団の上で頭を下げる。

 それをあわてて制したのは芳助であった。


「しがない琵琶弾きです。出来るかも出来ないかもしれないのに頭を下げる必要なんてありません。そう思いませんか? 花野さん」


 突然話を振られて花野は目を丸くする。

 芳助自身から、しがない琵琶弾きだと宣言されているが、断庵の口ぶりからすると、違うようなきがするし、なぜか信用してみたくなる。



「そうですね、旦那様は下げる必要なんてありません。

 下げるべきは私共、義子ぎしであります、どうが旦那様と八重桜を救って下さい」

 と、いうと四つ指ついて法助へ頭を下げた。


 いやはや、こまりましたねと、芳助は手ぬぐいで汗を拭く。


「花野さん、顔を上げてください」


 花野がゆっくりと顔を上げると、眼鏡のずれを指で直すと優しく微笑む。


「では、もう一人の花野さんの意見を聞いてみましょう」

「え? もう一人とは」

「はい、権一さんの斜め後ろにいる、鮑貝で出来た杯を置いていった花野さんです」


 法助がそういうと同時に、辺りは静寂に包まれた。

 権一の寝ていた布団、その斜め後ろにいつの間にか若い女性が座っていた。

 遊女の花野は、驚きのあまり声が出ない。

 遊女の花野だけではなかった、権一さえも驚いて見ていた。

 断庵だけは、おう我輩にも見える、愉快愉快と喜んでいた。


 赤い紅をさした女性は、あざけ笑うように、

「生臭坊主と先日の琵琶法師の方だね」

 と喋った。


 権一は、その女性の顔を見て、

「ゆ、夢の中の女……これは夢なのか……」

 と呟く。直ぐに芳助が訂正した。


「いいえ、違いますよ権一さん。

 権一さんの夢であれば手前どもが、なぜ居ましょう、それと、杯の花野さん。

 手前は法師というほど徳はありませんし、成るつもりもありません。

 ただの流しの弾き語りです」


 店主である権一。

 権一に信頼されている花野、そして権一を苦しめている悪霊もまた、何かの縁だろうか花野という名前だった。



「好きにしなっ、アタシは呪うのさ、アイツが居なくなっても、アイツの血がある限りアイツを呪うのさ、あんたらなんかに祓われてたまるもんかっ。

 はっはっはっはっはっはっは」

 

 嗤う女を見て花野は両肩へと抱くように手をやる。

 同じ女で、同じ名前でこうも違うのか、もし自身が遊女などではなく普通に暮らしていればこうなったのかと体が震えてくる。


 その横では緊張感のかけらもない芳助が喋りだした。


「調べてもらったんですがね……権一さん、あなたの親戚が、杯の花野さんを不幸に陥れた人らしく、だからこそ憑かれたと思います、いやー迷惑な話で」

「迷惑? ならあたしの人生はなんだったのさっ!」



 断庵が芳助の隣で深く頷く。

「悪霊となりした女よ。生臭坊主なれどお主を成仏させる事ぐらいはできるのでな」

 

 ニカっと笑うと、背中の包みから桐の箱を取り出した。

 両腕で包めるぐらいの大きさで断庵はふたを開ける。

 中には鮑貝で出来た杯が四杯入っていた。


 断庵は野太い声で杯の悪霊となりし花野へ言う。

 部屋の中に断庵の声だけが響く。


 一つ。


 二つ。


 三つ。


 四つ。


 三つ目と四つ目の杯は粉々になったのを接着されていた。

 断庵が薩摩の国から取り寄せた物の一つだ。

 断庵は懐から五つ目の杯を出した。


「これで、五つ。

 以前もお主は恨みをつのり男を呪い殺そうとした。

 お主の恨みは一つ足りない事を嘆いて出た恨み、これを納めお主を空に返す。悪いがこれ見……」


 断庵が最後まで言い終わる前に、箱に入っていた鮑貝の杯が粉々に割れた。

 杯の花野はクスクスと嫌な嗤いを、辺りに振りまく。


 断庵が調べてきた祓いの方法は、一つ足りないのを杯を全て用意し納得させるやり方だ。

 最初の暴力を振るった男は、これで花野を一度祓っている。

 くちおいしや、これでは呪う事ができませぬと、予定だった。

 しかし、怨霊となった杯の花野のほうが一枚も二枚も上手だったのだ。



 割れた杯はどこからか入るすき間風によって消えていく、悪霊の花野はひいふうみと指を折り曲げ数えている。


「あらやだ、四つも足りない。

 貴方達も杯を隠すのね、丁度全員呪えますわ」


 理にかなっているようで叶っていないその言葉。骨と皮になっている権一が、その指を掴む。


「恨むならわたくし一人を」

「もちろん、お前も恨むよ、そうさね……そこの女、あっちと同じ名前なのに、その幸せそうな顔。まずはお前からかね」


 別に遊女の花野は幸せでもない。

 三食は出る、でも出るだけだ。

 自由に見えて自由がない、こうして八重桜の店主である権一の見舞いで吉原を抜ける事は出来るが、それも責任という言葉がついてくる。

 何か一つでも外で問題を起せば、権一、いや八重桜の名前に傷がつく。


 花野は目を細めて、文句を言おうと体が前かがみになった。

 怖さよりも怒りが前に来たのだ。

 その体を法助は腕を伸ばして制する。


「まぁまぁ花野さん。そう、どちらの花野さんも気を落ち着かせましょう。

 先ずはこの絵をご覧下さい」

「なんだい?」


 芳助は懐から出した小さな掛け軸を広げた。

 松の木があり、その根元に白や黄色の菊の花が数本咲いていた。


松菊猶存すしょうきくなおそんす、という言葉があります。

 古いことわざで、そうですね……少し意味的には違うかもしれませんが。

 どんな生活になろうとも、松と菊。

 この二つは何時の時代も緑変わらぬ松、清らかな香りの菊はまだ残っている、そういうことわざです」


 断庵も不思議な顔をしているし、遊女の花野も突然すぎてよくわからない。

 二人の花野が芳助へと問いかける。


「芳助?」

「琵琶師風情がアタシに何を説くんだい」


 いつの間にか芳助は琵琶を構えていた。


 ベン!


 ベンベンベンベベン!!


 弦が切れるのでは? 周りが思うほど乱暴に弾くと、その気迫で少し狼狽している悪霊の花野を真っ直ぐに見る。


「わかりませんか……この絵はさる殿様、いいえ子も作らずに隠居した元殿様の血縁者からお譲り頂いた物です。

 松は首吊り松と呼ばれた松、菊は死んだ物が安らかに天に言ってほしいと送る花です」

「と、とのさま……まさか」



 明らかに杯の花野が狼狽し始めた。

 この掛け軸は断庵が芳助の話を聞いて、杯と一緒に取り寄せた物だ。



「ええ、さる殿様は松の木で首をくくった女性の本当の事をしり、嘆きました。

 こうも、人を見る目がなかったのかと、それほどまでに思われていたのかと。居なくなった後ではあるが、思えばあの女中が好きだったのではないかと」

「嘘をいうなっ!」



 悪霊の花野が叫ぶ。



「はい、嘘かもしれません。でも、しっかりと絵は残されています」

「それは……」



 ベベンベンベン。


 芳助は弦を弾き唄う。


 さる殿様は、家臣の男が、死んだ妻に取り憑かれ、祓った。

 その事を疑問に思っていた、あの女はそういう人では無い。


 花野が祓われた後に、なぜ悪霊になったのかと調べなげいた。

 ああ、そうだったのかと……では、気持ちに応えれなかった自分は絵を残そう。

 許せとは言わぬ、恨むなら自分を恨め、恨んで恨んで共に堕ちようではないか。



 ベン。



 芳助の手が一瞬止まった。同時に音も反響だけを残す。



「さぁ、恨むというのは疲れる物ですし、もうそろそろお仕舞にしませんか?」



 怨霊となっていた杯の花野は、その掛け軸へとおそるおそる手を出した。

 掛け軸を大事そうに抱き上げると、女の目からは一筋の涙がこぼれた。


 突如、襖が一斉に開く。

 秋風とは違う突風が部屋を襲った。

 風に舞うのは菊の花びら、それに混じって松の匂いも部屋に入ってきた。

 遊女の花野は目を開けてられずに瞳をつぶった。


 若い女性の声が、あなた様はと、呟いた。

 男性の声がそれに、許せと、すまぬ……とかぶさった。


 ベン。


 ベン。


 ベンベンベベン。


 力強くも聞こえる音程の飛んだ琵琶の音。

 鳴り止む頃には突風も消えていた。

 誰か何かを言った訳ではない、言った訳ではないが、全てが解決し終わったと花野は思った。

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