第10話

 是非に泊まって行ってください。

 そう花野に言われて芳助は吉原で初のお泊りとなった。

 

 吉原の泊まりといえば、隣には女性が付くのが当たり前。

 しかし芳助の隣には断庵が一緒である。花野は仕事抜きで宿の代わりで使ってくださいという善意だ。

 もう一人の事情をしる権ノ次は家で妻子が待つので。と帰って行った。



 灯篭の明かりで部屋は明るく、雑魚寝している断庵は芳助へ尋ねる。

「で、どうだ。退治できそうか?」

「まず、退治といいますけど、手前は一度もあやかし退治したことはないんですけど……」



 その言葉で、断庵は起き上がると芳助の顔をまじまじと見た。

 芳助は残された膳を箸でつついては口に入れていく。



「そうなのか? では以前の猫又騒動の時はどうした」

「どうしたと言われても、あの猫又はお腹が減っているという事なので、別な場所を教えただけです」

「では夜な夜な現れる豆腐をもった小僧の妖怪の時はどうした」

「あれは、豆腐を食べたら消えちゃいましたね、今でも謎です。

 ともあれ、権一さんを御祓いした人から何か事情を聞いてみないとですね。何を見て何を御祓いしたのか」

「何も見えなかったな、とりあえず経をあげた、他に聞きたい事はあるか?」



 二人の間に沈黙の間がある。

 芳助は、権一を御祓いした人物から事件の背景を聞く気で断庵に伝えた。

 でも、断庵は、自ら何でも聞いてくれと、芳助へ言ったのだ。


「もしかしてと思いますが、御祓いしたのって」

「おう、我輩だ。病は気からという奴と思ってな、全く役にたたなかったわい」


 がっはっはと笑い出す。

 笑い事ではない、そのせいで権一は病に伏せってるし、八重桜の経営も悪化、こうして芳助も借り出される始末だ。

 このまま失敗すると、権一だけではなく、連鎖的に不幸が広がるだろう。



「では、明日にでも権一さんの自宅へ行きましょう。問題の杯をみて、考えるしかありません、何かわかるかもですし……」

 (最悪の場合は本家に連絡しますかねぇ……ああ、いやだいやだ)

「なるほど、では本日はする事がないな、さっさと寝よう」

「そうですね」

 

 二人は布団を引くと灯篭の明かりを消して寝た。



 法輔が次に目が覚めたときは、廊下で誰かか歩く音であった。

 襖越しに明るい日差しが入っている。

 ゆっくりと襖が開くと、花野と目があった。なんでも朝餉の用意がいるか確認しに来たのだという。



「あら先生、起きていらっしゃったんですか?」

「おはようございます、今起きた所で……花野さん……所でその、先生というのは辞めてもらえないでしょうか?」



 芳助としては、むず痒い。

 琵琶の腕前もそうだし、妖怪退治といってもまだ何もしていない出来るとも限らない。

 それに、世間様から外れた生き方が長くて、どうもしっくり来ないのだ。


「あら、では芳助の旦那様とお呼び……」


 芳助は慌てて首を振る。


「流しの琵琶弾きですし、ただの芳助でいいですよ。

 その他人行儀というか、最初みたいので……そっちのほうが好きですので」



 猫をかぶるということわざがあるが、芳助はあまり好きではないのだ。

 花野は芳助を見て、目を丸くする。手で口元を押さえている。


「わかったわ、芳助と呼ぶわね。あなたみたいな男は珍しいわ。

 二人とも何時まで寝てるのよ、もう昼時よ。

 賄いでよければ出来てるから持ってこさせるわね。

 断庵様が連れてくる人だから、緊張していたけど、何か安心した」


 じゃぁ、と障子を閉めていく。

 ポンポンと威勢のいい喋り方で、気持ちがいい。


 隣に寝ていた断庵が欠伸をしながら起き上がる。


「起きたんですが?」

「隣で漫才をしていたら、誰でもおきるわい」

「ふ、漫才って……」

「いい女だろ、嫁にもらったどうだ?」


 簡単にいう断庵に、芳助は胸を押さえて咳き込む。

 何度か深呼吸をした後に、真面目な顔で断庵の表情をみる、その顔は別にからかって言っているような顔ではない。


 花野は吉原の遊女だ。

 吉原にいる以上、自由になるには年季や身請け金というのがいる。

 芳助は詳しくはしらないが、遊女の年季は十年と聞いているし、身請け金というのは数百両というのが決まっている。

 それさえも、店の店主が自由に決めれる値段だ。

 店主が千両といえば千両に跳ね上がる。


 二十文も払う金が無い芳助がポンと出せる金額ではない。


「アレは吉原が出来る前からの古参だ。

 十五の時から店にる、年季ならあと数年だろう。

 ここの店主は昔から知り合いでな、いい奴がいれば身請け先を探して欲しいと……今までも何度がそういう話はあったが、全部断りいれてのう。

 花野があれほどころころ笑うのは久しぶりに見た、芳助に気を許している証拠だろう」


 確かに、笑っていた。

 

「ご冗談を、手前が流しの琵琶弾きだからですよ。

 犬か猫と同じ扱いです」

「そういうもんかね」

「そういうもんですよ」


 二人は花野の命令で、朝食、いや昼食を持ってきた小僧に礼をいい、腹ごしらえを終えた。

 裏口から入ってきたと同じように、裏口から店をでる。

 断庵の案内で大きな商家へとつれて来られた。

 権ノ次の材木屋で、兄という権一は離れのほうに一人で住んでいるらしい。


 権ノ次の奥方などの挨拶をそこそこに済ませ、二人は離れのほうへ行く。

 障子は開けられていて気持ちい日差しが入っているはずなのに、廊下はひんやりとしていた。


「じゃまするぞ」


 断庵が先に部屋へとる。

 部屋の真ん中に布団が敷かれており、骸骨のような男が寝ていた。

 芳助が視線を動かすと、その横では美しい女性が哂っている。

 赤い唇を吊り上げるとその姿は消えていく……。


「どうした? 芳助」


 部屋に入ってこない芳助を断庵が急かす。

(やはり断庵さんは見えていませんね……)

「いえ、なんでもありません。こちらが権一さんですね」

「これは、すみません、げほっ。八重桜のげふ……」


 布団の上で正座をして頭を下げようとする。


「そのままで大丈夫ですよ」


 お言葉に甘えてと、権一は布団へと横になる。

 少し楽なのだろう咳が落ち着いてきた。


「仔細は八重桜でお二人に聞きました。お力になれるかはわかりませんが……」

「いえいいんです。わたくし一人ならまだ良いのですが、八重桜にいる娘達や、弟達に迷惑をかけるわけには……ごほっごほ」


 遊女達を商品ではなく、娘というあたり彼の人柄がわかるという者だ。


「少し気の流れを変えましょう。

 琵琶は枇杷びわと言って商家や庭師の人には色々と忌み嫌われますけど、一部の国では厄除けとして好まれています。場を少しお借りしますよ」


 芳助は寝込んでいる権一のために背中の琵琶を前に持っていくと、手の平サイズのバチで一曲弾いた。

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